jeyseni's diary

「ジェイセニ」と呼んでください。批判ではなく提案をするのが生き甲斐です。

新型コロナ47週目は3.71人,インフルは2.69人--前週比でも減少

新型コロナウイルスの定点観測状況は3.71人と,前週の4.26人から減少した。インフルエンザも2.69人と減少を続けている。

 あと1ヶ月で,五類変更後1年になる。そこまではフォローしたいと思うが,終息に向かっていると考えていいだろう。

 意外にも,現在でもまだマスクを着用している人はいる。特に女性のマスク着用率が高止まりしているように思える。お化粧もしなければならないのに,大変だと思う。

 一方,男性はもはや救いようがない。咳,くしゃみ,大声での会話。本当に情けない。

 カップルでも,女性はマスクをしているのに,男性は素顔のままであることが多い。パートナーに対する配慮すらない。そんな男と付き合う価値があるのだろうか。

 それほど,価値のない男が増えたということで,この日本の将来が「ない」と断言できる。もはや夢も希望も持てなくなった。筆者の娘たちにも未来があるのかどうか,疑問である。

 

逆走車に逆走自転車,そして逆歩きする人まで--わざとなのか,気づかないのか,気が狂っているのか

ここのところ,逆走するクルマの映像が頻繁に流れてくる。最初は,軽自動車で高齢者の運転と相場が決まっていた。高速道路の出口から逆に入ったり,サービスステーションから逆に出たりして逆走し,それに気づかないのが高齢化の影響だと言われていた。

 ところが最近は,高級車に乗った若い人が逆走するケースが増えている。

 若い人なら,逆走していることにいち早く気づけるだろう。Uターンするにしても,スムーズに行えると思われる。

 しかし,どうも若い人が逆走するケースでは,自己中心になって意地でも行けるところまで行こうとでもいうような運転をしているように見える。

 筆者は幸いなことに,まだこの逆走車に遭遇したことはない。もし出会っていたら,心臓がバクバク状態になるだろうし,ひょっとしたら相手に突っかかってしまうかもしれない。

 しかし,クルマを運転していて頻繁に出会うのが,逆走してくる自転車である。

 同方向に走る自転車ですら,追い抜くときは緊張する。速度差は少ないが,何しろ自転車が走る路肩は段差があるし,小石や空き缶などの障害物もある。自転車がいつ進路を変えたり,バランスを崩して倒れてきたりしないか,ヒヤヒヤしながら追い越すのだが,これが逆走されると,速度差が倍になり,あっという間に近づいてくるので,避けきれないような危機感を覚える。特に夜間は,ライトを上向きにして走っている自転車が結構多く,眩しいことも危険な思いをする点である。

 さらに,歩道があるのになぜか車道を歩く人が結構いるのに驚かされる。何を考えているのか,まったく理解できない。気が狂っているとしか思えない。

 たしかに,自転車にしろ歩行者にしろ,歩道にも問題がある。

 1つは,歩道の多くが傾いていることである。水たまりができないようにするためなのか,なぜか車道に向かって下がっていることが多い。普通に歩いていても,足をくじきそうになることもある。

 もう1つは,歩道が車道よりも1段高くなっているために,交差点にさしかかるたびに段差や傾斜があることである。

 自転車や歩行者ならなんとか問題なく通行できても,車椅子や最近流行りの電動キックボード,そしてセニアカーなどで歩道を移動しようとすると,段差が問題になる。特に電動キックボードは車輪が15cm程度と小さいため,段差でつまづいて倒れることが多いと聞く。左右に傾いていることも,車椅子やセニアカーでは危険である。

 海外では,車道と歩道の間の段差はほとんどない。また,二輪車レーンが整備されており,クルマ,二輪,歩行者が完全に分離されている。

 また歩道も車道の両側にあり,同じ方向に歩いたりするように指導もされている。

 他人のことに配慮しないから起こる逆走は,日本独特なように思える。歩道を歩いていても,右にフラフラ,左にフラフラと定まらない人や,歩道のど真ん中を歩いて譲らない人や,向かってくる人と同じ側を歩き続ける人が多い。近年はこれにスマホ歩きが加わっている。堪忍袋の緒が切れてしまうような気持ちになるが,譲るが勝ち - jeyseni's diary (hatenablog.com) (2019/9/6)と5年も前に書いた内容が,いまだに改善しないところが,やはり日本人なのかなと思って,愕然とするのである。

Google appsheetデータベースへの期待--spreadsheetとの連携が少し気になるがワクワクする面も

ファイルメーカー大好き,ファイルメーカーエバンジェリストの筆者が,ようやくちょっと使いでのあるオンライン・データベース・システムに出会った。googleの「appsheet」というカード型データベース・システムである。データベース同士のリレーショナル・データベースも構築できる。ノンコードで構築できる点も,ファイルメーカーとよく似たコンセプトである。

 2020年に,AppSheet社をGoogleが買収し,googleのアプリケーションとの連携を意識したシステムになっている。ベースとなるテーブル(表)は,google drive上に置いたgoogle spreadsheetである。この表から「機能拡張」でappsheetにつないでデータを読み込み,カード型のデータベースを構築する。

 このデータを「View」という機能を使って,表計算風に表示したり,フォーム状に表示したりできる。表示できる項目を変えることで,いろいろな解析ができる。

 表計算風の表示では,あらかじめ指定の項目でソートしたり,フィルタを掛けて表示するデータを絞ることもできる。

 パソコンからはWebブラウザーで表示できるし,スマホタブレットだとAndroidでもiOSでも同名のアプリがある。とりあえず,同じgoogleアカウントでログインするとパソコンで作成したデータベースを操作できる。

 この手の簡易データベースでは,表計算風に一覧表示した際,Excelと違って個別にセルの修正ができないことが多く,入力フォームを開く必要があるのだが,appsheetでは「ワンタッチ編集」機能にチェックを入れておくと,表計算風の一覧表示画面において個別のセルを変更できる。この辺りも,ファイルメーカーに近い使いごこちだった。

 appsheet側で加えた変更は,元となっているspreadsheetでも変更される。逆にspreadsheet側で変更したデータもappsheet側に同期して反映される。

 無料プランは,基本的に個人使用に限られる。共有するにはセキュリティー設定もできる有料プランが必要になってくる。

 リレーショナル機能も装備されているが,これはまだ試していない。また,セルのカスタマイズなどがどこまでできるのかも不明である。もう少し試してみたい。有料プランになると,ファイルメーカーでいうところのスクリプト処理による自動化ができるようである。ちょっと楽しめるシステムに出会えて,ワクワクしているところである。また報告して行きたい。

厄介なサイズのスマホ--ほぼスパイ道具と同等のスマートウオッチと併せてコンテンツの制限が求められる

電車の中で50人のうち45人はスマホを触っている。しかも,駅で並んでいる間から,電車に乗る時も,そして電車から降りる時も,さらに降りてから改札口に向かう間も,ずっとスマホを見続け,触り続けている。これはもう,キチガイ国である。

 スマホを触っている人のうち,8割はイヤホンを耳に挿している。1割は密閉型のヘッドホンを着けている。つまり,周囲の音を聞いている人はほとんどおらず,音楽やゲームの音響に酔いしれて歩いているのである。ぶつかっても顔も上げない。周囲に対する意識がまったくない,酩酊状態にあると言っても過言ではない。

 なぜ,これほどスマホにのめり込むのだろうかを考えてみた。

 まず,スマホの向こう側はメタバースである。ここは底なし沼である(デジタル技術は時間と空間を飛び越えるため--ゲームやアニメの世界は無限大で底なし沼である - jeyseni's diary (hatenablog.com) 2024/3/26)。つまり,リアルな世界と遮断されれば,リアルの世界に戻ってくるには強い意志が必要になるが,密閉型のイヤホンやヘッドホンによって外界が遮断され,沼にのめり込んでしまう。

 もう1つは,スマホというサイズが,自分の世界に入れるちょうどいい大きさだったことである。

 筆者は,ノートPCを使って電車内で仕事をする先駆け的な存在だった。当時,電車の中でノートPCを使っている人は最大でも2人。あとは,新聞,雑誌,文庫本,そしてラジオやウォークマン,MP3プレーヤーなどであった。ノートPCもインターネットに接続されているわけではなく,PCの中で仕事を片付けたりするのに使っていた。

 最初はポータブルの日本語ワープロ専用機で,画面には30文字✕8行しか表示されなかった。もちろん,画像を表示することもできなかったし,もちろんモノクロ画面だった。

 ノートPCも,最初は7型液晶の小型モデルで,これが11型,13型と大きくなっていき,カラーになって仕事もはかどるようになった。しかし,あくまでも文字を打ったり,線画を描いたり,といった用途で使っていた。通信していない分,情報の範囲はハードディスクの容量内である。

 ノートPCは,膝の上に置いて手前のキーボードを操作するため,画面は他人から丸見えになる。仕事の内容が見られるとまずいので,要点だけ確認したらあとは出社してからの処理としていた。新幹線で出張したときは,仕事のまとめに集中できた。当時,移動中の通信はできなかったから,PCの中のデータがすべてだった。

 しかし,携帯電話で電話とメール,そして一部のWebサイトの閲覧ができたが,ゲームも小規模なものだった。

 ところが,スマホメタバースに常につながっている。底なし沼のメタバースである。情報は無限。しかも,歩いていても電車に乗っていても,クルマに乗っていても,どこでも同じ条件で情報にアクセスできる。

 シームレスに情報にアクセスできることは素晴らしいことである。かつては,固定電話を外し,そこにモデムをつなぎ,PCとモデムでネットワークにつないでいた。固定電話なので,ホテルや宿などでしかネットにつなげない。そんな不便な時代を知っているからこそ,筆者にとってはインターネットとの付き合いは,つないだり切ったりで調整できる。しかし,若い人は常時接続であり,トイレでも風呂でも,どこでもネットにつながっている。キリがないと思うのだが,まったく平気な様子である。

 さらに厄介なのは,スマホの画面が程よく小さいことである。現在の画面サイズは6インチ前後。7インチから9インチになれば,もはやタブレットである。そのスマホサイズは,ギリギリ,ワイシャツの胸ポケットに入るサイズである。

 ガラケーではPCの1/4ぐらいの情報しか表示できなかったが,スマホではフルHDが表示できる。テレビやPCと同じ情報量が表示できる。

 しかし,スマホは6インチという手のひらにほぼ入るサイズである。これが厄介なサイズである。

 スマホで犯罪と言えば,盗撮である。スマホはふだんから持ち歩いても警戒されない。そこに高性能のカメラが付いており,さらに動画も撮れる。盗撮を簡単に思いついてしまう。

 同じ大きさか,さらに小さなコンパクトデジカメでも盗撮犯罪はあったが,スマホになっていきなり犯罪数が増えたと思う。スマホはもはや,スパイ道具と同じである。

 一方,メタバースにつながったスマホは,あらゆる情報につながっている。なんでも表示できる。SNSで厄介なグループとつながってしまうし,公序良俗に反する情報にもアクセスできる。子供でもエッチ情報に簡単にアクセスできるし,怪しい人物と直でつながってしまう危険もある。

 かつてエッチ情報と言えば,男性週刊誌やスポーツ新聞が情報源だった。電車の中で,中年男性が周囲の目もはばからず読んでいた。世の中には「不良書」ということで,公民館などに投函回収するポストが設けられたものである。

 しかし,いまやスマートフォンでは手のひらに隠して不正情報にどこでもアクセスできる。これを放置してはならないと思うのである。

 AndroidiOSも,海外の企業の運用である。日本人がもっとしっかりしなければ,情報をもっとコントロールしなければならないと思うのである。

 ゲームにのめり込み,コミックやアニメにのめり込み,そしてバーチャルな投資にのめり込む。正しい情報と間違った情報を区別できない。理性を持って画面を切り替えるというしつけ教育ができていない。

 スマホは,日本を滅ぼす道具だったのではないか,と勘ぐったりしている筆者である。そろそろ,情報制限をしてもいいのではないのか。日本のキャリアには,そんな理性はないのだろうか。堕落したテレビ・メディアと同様の道をたどるのではないかと,勘ぐっている筆者である。

円安✕インバウンドでラーメン4000円,ハンバーガー4000円,1泊20万円--それで日本国民を切ることが正義なのか

海外旅行に行くと,旅行者が利用するホテルは地元では高いと言われていた。新婚旅行で行くような場合は,まあスイート・ルームを選ぶこともあるだろう。筆者の場合も,1泊2万円ぐらいの部屋に泊まったように思う。国内旅行でも,有名ホテルなら2万円は普通ぐらいなので,海外旅行でも高いとは思わなかったのだが,現地ではバカ高い宿泊代だったのだという。

 しかし,当時の円ドルレートは1ドル150円と,今とあまり変わらなかった。2万円だと133ドル。100ドルを超えると地元の人は泊まらないと聞いた。

 ところが現在,海外の旅行者が泊まるホテルの価格が10万円とか20万円も普通なのだという。1ドル150円だと666ドル~1000ドルほど。アメリカでは,卵のパックが6ドルで,円換算だと900円。現在は日本でも250円ぐらいなので4倍ほどだが,少し前だと150円だったので6倍も高い。日本人の感覚で2万円のホテルは,アメリカ人だと8万円~12万円で同じ感覚なのだという。

 日本人がこの値段の国内ホテルを使うことは,よほどのことがなければないだろう。しかし,ラーメンやハンバーガーは,日本人にとっても普通の食べ物である。これが今,4000円だという。4倍なら1000円,6倍なら666円。海外の人にとっては,問題ない出費なのだが,日本人も同じ飲食店を使うことは普通である。

 今の若い人にとって,食べ物の価値は,1つは見た目のインパクトである。食べることよりも,まず写真を撮り,動画を録り,これをSNSにアップすることが第一目標である。当然,そのあとはその食べ物を食べる。おそらく,ものすごくしっかりした味付けだったり,複雑な味の組み合わせだったりして,情報発信に事欠かない。ネタ代も含まれているのだろう。1杯4000円のラーメン,1個4000円のハンバーガーでも,十分元を取った気持ちなのだろう。

 筆者にとっては,マクドナルドのビックマック単品が380円から480円になったのでもけっこうショックで,フライドポテトが250円というのもあり得ない値段で,もはや数年来マックにも行っていない。

 いまさら誰も,マックのハンバーガーを持て囃すことはない。しかし,話題になる食べ物なら,何時間並んででも手に入れ,写真や動画をネットにアップすることで,自己満足と他人満足と,そして実質的には広告収入や評判を得ることにしか生きがいを覚えないのだろうか。

 かつて日本人は海外でカモにされ,高いカネを払わされてきた。今,海外からのインバウンド客に高いカネを払わせて,600円の価値のラーメンを4000円で売って平気な顔をしている日本人のえげつなさが見えてしまい,情けない気持ちになるのである。

 コロナ禍で売上半減が続いた反動で,ガツガツ儲けようといういじましさが見える。一方で,日本には子供食堂がなんと9000個所もあるのだそうだ。1個所で30人分の1食を賄ったとして,27万人が食べるのを困っている家庭なのだという計算になる。

 儲けを還元しないのは,今の好調が単なるバブルだと理解しているからであり,次のバブル崩壊に対処するために貯め込んでいるというにすぎない。

 とにかく,価格にせよ,飾り付けにせよ,盛り付けにせよ,食べ物で遊ぶこの日本の今の国民性は,国際社会にとって恥である。それを煽るテレビ・メディアも,それをネタに活動するお笑い芸人も,さらに東大卒のクイズ・タレントも,すべてバカの一言に尽きる。本当に何も日本に残らない,また次の空白の10年になってしまうと考えるのである。

日本はミサイルもドローンもおそらく1機も迎撃できない--数もなく,準備もなく,コースを読むこともできない

一触即発--イランvsイスラエル(アメリカ)+ロシアvsウクライナ+北朝鮮to日本 - jeyseni's diary (hatenablog.com) (2024/4/4)。イスラエルによるヨルダンのイラン大使館の後,4/14にイランからイスラエルの首都テルアビブに向けて200発のミサイルとドローンが撃ち込まれた。イスラエル軍は,このうち99%を迎撃したという。イスラエルが誇る「アイアンドーム」防空システムである。

 迎撃ミサイルだけでなく,高射砲やドローンも交えた防空システムである。ミサイルで撃ち損じても,接近戦では高射砲の連射で狙い撃ちする。ミサイルは自動追尾だが,高射砲は射手が視認で狙い撃つ。普段から腕を磨いていなければ,いざという時に役に立たない。常に臨戦状態にあることが分かる。

 一方,日本のミサイル迎撃システムは,ザルである。1発1000万円もするミサイルである。外すわけにはいかないから,ムダ撃ちはできない。かといって,発射をためらっていると,ミサイルが着弾してしまう。サブシステムとしての高射砲もない。

 まして,複数のミサイルやドローンが飛来した場合,自衛隊には迎撃する方法がない。そして,ミサイルが向かう先は,自衛隊ではなく,住宅街やオフィス街である。

 仮にそのミサイルに核弾頭が搭載されていたら,迎撃できたとしても被害は甚大だろう。

 イランとイスラエルの争いを,他人事のように見ている日本人は,呑気の一言に尽きる。

 南海トラフ地震で,西日本の21の県で震度6強地震に見舞われるという。四国全県も対象である。能登半島地震でも3ヶ月経過してもほとんど復旧しない。熊本地震から8年経って仮設住宅はなくなったが,孤独死が200人以上も出ているという。

 自衛隊は本当に日本を守れるのか。

男の肉体を画面に出すな--これはパワハラでありセクハラである

ボディビルで鍛えた肉体美を武器にしたタレントや俳優がCMに続々と採用されている。これもまたが広告代理店の暴走ではないかと筆者は考える。

    人間が基本的に服を着るのは、周囲に対する礼儀である。服なしで許されるのは、出入りの限られた集団の中だけである。未開のジャングルの民族や小島の村などで、現在ではほとんどなくなっている。

    もう1つはスポーツである。スポーツは鍛えた身体で勝負する。それが筋肉だったり、柔軟性だったりする。腕や脚、そして胸筋や背筋を示すことで、相手に対して優位に立てる。観客もその強さや柔軟性に期待している。問題はない。それでも、胸筋まで出すのは、水泳やプロレス、ボクシング、相撲に限られる。

    CMを見るためにテレビや動画サイトを選ぶ人はいない。見たい番組を選んでいるだけである。そこに、番組とは直接関係のないCMが挟まれ、見ざるを得ない状況にある。そこには基本的に服を着て、周囲に礼儀が求められるはずである。

    タレントの裸芸に対する糾弾は以前から何度もしている。さらに今回は、ボディビルデで鍛えた身体をこれ見よがしに披露するCMに対する苦言である。

    明らかに、自分の体格的、腕力的な優位を示しており、これは共演者にとっても視聴者にとっても、パワハラに当たると判断できる。存在そのものでマウントを取っているからである。

    さらに、女性にたいしてはセクハラでもある。ボディビルダーの出演するバーなら、そこに行く女性はボディビルダーに対して興味や敬意、あるいはセックスアピールを求めていると言える。しかし、テレビを通じて一般家庭に放送することで、多くの女性にとっては圧力になり、セクハラになると考える。

    筆者の意見では、ボディビルダー採用によって商品イメージは悪くなっている。これは、お笑いタレントの起用の場合と同様か、さらにハラスメントという意味では、拝島すべきと考えるのである。