jeyseni's diary

「ジェイセニ」と呼んでください。批判ではなく提案をするのが生き甲斐です。

検温器よりも「ノドのイガイガ検出器」が欲しい【追記】

新型コロナウイルスのオミクロン株変異で、世の中の対応が変わりつつあるが、相変わらずの対応に疑問が出てきた。その1つが体温測定である。

   デルタ株のころの発熱パターンは、かなりの高熱か急に出たり、ちょっとしんどい37.5度ぐらいの発熱があり、検温器でのスクリーニングが役に立った。実際は、熱の振れ幅はかなりあり、スルーした人もある程度はあったと思われるが、そもそも市中感染がまだ起きていなかったから、街中で調子が悪いのに出掛けて検温で引っ掛かる人が少なかった。

   ところがオミクロン株では、無症状感染者がかなりを占めている。市中感染レベルとなっており、100人のうち10人は感染者という状態で、そのうち無症状感染者は半分以上と思われる。検温器では検出できないはずである。

   無症状感染者は、熱もなく、身体の自覚症状もほとんどないのだが、唯一、傾向があるのがノドのイガイガである。

   何となく空咳をしたりするのは、ノドに微妙な違和感があるからである。

   これを検出する機械が欲しい。恐らく、口腔内を写してAI 診断すれば、ノドのイガイガ状態をスクリーニングできると思う。特に、電車荷乗る前に、怪しい人を検出していただきたい。

   逆にノドのイガイガのあることを自己申告した場合は、この後のPCR 検査を無料にするなどの優遇措置を設けた方が、検査効率は上がるだろう。

【追記】と書いたものの、わがままで自己中な日本では役立たないかな、と思う。強制力を発揮している中国のように毎日PCR検査をさせる国や、検査キットが十分に供給できない新興国などで役立つだろう。そういう意味では、日本も後進国と言えるのが実情である。

一気に下半身の筋肉が機能し始めた--期待と不安はあるが、うれしい兆候

2022年5月14日(土曜日)は,筆者にとって1つのマイルストーンになったと言えるかもしれない。50年間,凝り固まった脚から腰までの筋肉が一斉にうごめき始めたのである。

 今まで意識しなかった筋肉が動き始めたものだから,当然のことながら筋肉痛のような痛みが出る。それでも,今までに「ああ,こんなところに筋肉があるんだ」と意識したのが初めてという場所が主に3個所あった。

 まず,お尻の下端。ちょうど脚とつながる辺りである。お尻の筋肉といえば,いちばん盛り上がった辺りの筋肉をイメージするが,それよりも下,浅く腰掛けたときに椅子の角に当たるような辺りである。

 次に,膝のすぐ上。ここは一般的によく鍛える場所なのだが,膝を思いっきり伸ばしたときに,今まではただたるんで膨れるような印象だったが,しっかり膝の上を支えるような印象である。

 3つ目が,モモの裏側の内股側。これまでストレッチをしても,まったくびくともしなかった内股の筋のようだった部分が,きっちりと伸び縮みしているように感じた。実際に,まだ完全とはいえないが,手で押しても少し柔軟になっているのを感じる。

 ここに至るのに1ヶ月ほどの間,心がけたのが,まず,膝をまっすぐ伸ばすように足首からふくらはぎ,モモ,腰と筋肉に力を入れるようにしてストレッチしたことである。

 2つ目が,歩く際に足首を早くさっと振り上げることを意識したことと,3つ目として,踏み切る際に斜め後ろにキックするように意識して歩いたことである。ちょうど,スケートで脚を後ろに蹴り出すようなイメージで歩いた。

 もう1つが,以前に指摘していた「ねじりストレッチ」である 関節は面白い--ねじりストレッチが実は効果大 - jeyseni's diary (hatenablog.com) 2021/2/6。あれからもう1年以上も経つのかと思うと,長かったなぁと改めて思う。どんだけ凝り固まっていたのだろうかとあきれてしまう。それが一気に緩んだ感じなのである。

   椅子に座った時、特に電車の席に座った時は、モモの後ろを座席の角に置き、足首を座席の下に深く潜りこませて爪先だけを床に付けた姿勢を取る。ここで爪先にグッと力を入れ、モモの筋肉を使って立ち上がる方向にジワッと力を入れる。力を入れながら、足首を曲げたりひねったりすると、別の筋肉に刺激が行くし、膝や足首のストレッチにもなる。

   この座りストレッチのいいところは、体重を椅子で支えるため、安定した姿勢でじっくりと脚に力を加えられることである。また、電車の席は強度も十分あり、転ぶ心配がない。家庭やオフィスの椅子だと、安定性に問題があるように思うので、気を使う必要がある。また、靴を履いているので、床をしっかり踏めることと、足首をひねり過ぎない保護ができることもポイントである。

   この1ヶ月、もう1つ意識していたのが、リュックを背負った時の腕の振りである。というのも、筆者はなで肩なので、いつも肩ヒモが腕の方にずり落ちて来るのだが、ある日、いつもずり落ちて来る左の腕を大きく振るように意識したところ、リュックの肩ヒモのズレが起きないことに気づいたのである。

   意識してみると、右腕の振りに比べて左腕の振りが少なかったことと、左の肩甲骨の動きが悪かったことが意識された。分析すると、中学以来、肩掛けカバンを愛用していたのが原因と思われた。肩掛けカバンを左肩にばかり掛けて歩いていた。肩掛けなので、掛けた側の肩をあまり動かさない習慣になっていた。写真を撮る時、いつも首の傾きを注意されたのも、この左肩固定歩きが原因だったと改めて思った。左腕を大きく振ることで、肩こりも少し解消しつつつある。

   ストレッチや整体など、その場では楽になった気になっていても、必ず揺り戻しがある。恐らく、1ヵ所を修正しても、身体全体でどこかに歪みがあれば、元に戻ってしまうからだろう。今回、何かのきっかけで歪みの基がリセットされたのではないかと感じる。少し、あちこちが痛いのだが、筋肉や骨、関節に無理がいかないように気をつけて、目的に向かいたいと思っている。

   あくまでも、個人の体験なので、気軽に真似をされないようにご注意しておきたい。

お行儀の悪いドライバーにお仕置きするクルマを--ヒヤッとさせなければ改めないから

最近のクルマのドライバーは、あおり運転か“アクセルとブレーキの踏み違い”言い訳運転ばかりである。すべて精神病である。認知症も、脳の病気だが、残念ながら一種の精神病である。

 かつては、飲酒運転や無免許運転など、物理的な原因による悪質ドライバーしかいなかったから、免許の取り消しなどの「処分」で解決できたが、精神的な原因の場合は、処分しても本人には一向に反省の気持ちを持たせることができない。裁判でも自分を正当化するだけで、罪の意識がまったくない。これをサポートする弁護士は、すべて悪徳弁護士であると筆者は思う(弁護士は、冤罪を防ぐ仕事以外で金儲けするんべきではない、と思うのである)。精神病なので、「責任能力がない」という理由で無罪にしようとする。もちろん、人間の多様性の1つであり、人権の尊重もあるかもしれないが、被害者がある以上、無罪放免はできないのではないのか。

 人間はカネで動くので信用できない面がある。政治家や専門家が特に悪質であるのは,世の常識になっている。企業の経営者も口先だけはいいことを言っても裏でカネが絡むと悪どいことをしないと自分が生き残れないと思って,法律ギリギリのところまで悪事を働く。こういう人たちに踊らされる一般人が情けないところである。

 このルール破りは,機械にお仕置きをしてもらうしかないのではないだろうか。

 たとえば,無賃乗車をしようとすると,今は自動改札機のゲートが閉じる。多少でも理性のある人なら,戻ってきちんと精算をするという行動を取る。理性のない人は,無理にゲートをこじ開けて進む。本来なら,絶対に通れないようにすべきだが,機械を壊されても困るので,そこは多少の安全枠を設けてあり,仕方なしとして放免される。これをまた悪用する人が後を絶たないのが日本である。海外の改札機は,完全に鉄のバーが固定されるので,乗り越えない限り絶対に進めない。日本の機械製造メーカーは,日本人の良心を信じて「絶対」ではないような設計をしているというのに,これを逆に悪用するのが,一部の日本人である。

 さて,筆者がクルマに乗っていてイライラすることの1つに,ウインカーを出すタイミングの遅さがある。信号待ちをしていて,前に停まっているクルマがまっすぐいくのか,右に曲がるのか,左に曲がるのかが分からない。信号が青に変わって,突然ウインカーが点滅を始める。こちらは相手が直進するかと思って待っているのに,左折して行ってしまう。この数秒間の待ちがイライラを招く。予めウインカーで左折合図をしてくれていれば,相手の動きに合わせてこちらも前に進めるのだが,と思うのである。

 そこで提案だが,クルマが動き出す3秒前までにウインカーの操作をしなければ,曲がれないような“安全”装置をクルマを付ける。要は,いきなり曲がろうとしても曲がれない仕組みを組み込む。これだと,曲がろうという意志に反してクルマが曲がらないから本人が気づくだろう,という仕組みである。そのまま直進させるか,あるいはそこでクルマを止めてしまうかをすることで,ウインカーを事前に出すことをドライバーに意識させる装置である。

 逆に,目前の信号の動作を検出して,反対側が黄色信号になったときにドライバーに合図をする装置もあっていい。信号待ちの間にスマホ操作や子供(ペット)相手に熱中してしまって,青信号になっても発進しないことで周りに迷惑をかけていることを意識させる装置である。

 今のクルマは,「クルマが勝手に判断」して,ライトをオンオフしたり,アイドリングを止めたりする。これははっきり言えば「余計なお世話」だと筆者は思うのである。むしろ,「暗くなってきました。スモールランプをつけていいですか?」とドライバーと対話するシステムが望ましい。アイドリングオフにしても,何が何でも止めるというのが現在の設定なので,数秒停まってもエンジンが止まり,その都度またエンジンを始動させるという無駄な動きをしている。「停車しました。エンジンを切りますか?」とドライバーに聞き,ドライバーが判断できる仕組みが望ましい。信号で停車しても,反対側の信号が点滅していれば10数秒後にはスタートできるのだから,エンジンをオフにする必要はないのである。これをすべてクルマの勝手に動作させるために,軽自動車でも耐久性の高い高価なバッテリーを積まなければならないし,エンジンに余分な負荷をかけている。ガソリンの消費量は減るかもしれないが,再起動時の余分な排気ガスや生ガスの発生,バッテリー寿命の圧縮などもトータルで考えると,本当にこれで低燃費,低環境負荷の対策なのか疑問になるのである。

 ウインカーを出すように,クルマ側がドライバーに指摘したとしても,おそらくほとんどのドライバーが3秒前にウインカーを出すことはないだろう。「信号が青になってから出してもいいじゃん」的な思いのドライバーが本当に増えている。ならば,クルマ側は「ウインカーを出さないのなら曲がらせない」ようにして,ドライバーにお仕置きをするようにするしかない。

 こういういい仕組みを作っても,結局は機能をオフにするのだろうな,というのは,かつての時速100km速度超過時の鈴の音がなくなったことでも明らかである。

 相手に対して事故を起こしてはいけない。しかし,間違った運転をしているドライバーに注意喚起して,ヒヤッという思いまでさせなければ,最低限,ドライバーの意識改革はできない(また,絶対に意識改革できない人も,実は相当な数,いるのではないかと思うのである)。

 

マスク嫌いと口臭

2002年から数えてちょうど20年,外出時にマスクをする習慣が経過した。しかし,2020年の新型コロナウイルス禍では,外出時はおろか,室内でもマスクをすることが求められている。おしゃべりをしたり,咳・くしゃみ時のマイクロ飛沫が,新型コロナウイルスの感染拡大の最大の原因になっているためである。もちろん,強制換気も必須だし,ワクチン接種も望ましい。

 ここまで続けられたのは,不織布マスクを使ったからである。筆者が子供のころは,布マスク,特にガーゼ生地の給食マスクだった。アベノマスクと同等だった。しかし,この給食マスクは嫌いだった。というのも,すぐに臭くなるからである。

 不織布マスクを使うようになって,このマスクにつく臭いに悩まされることはなくなった。使い捨てという面もあるが,口がマスクに直接触れないために,ツバがマスクにつきにくいからである。臭いの原因は,マスクについたツバの臭いである。

 マスクにつく臭いはこのほかに,いわゆる口臭があり,また喫煙者はタバコの臭いもマスクに移る。さらに外を歩いていれば,車道を走るクルマの排気ガスの臭いもマスクについてしまう。

 マスクに慣れていない人が(というか,マスクをきちんと着けられない人が),マスクの着け方がいい加減なのは,このマスクの中の臭いが原因(というか言い訳)なのではないかと思うのである。

 たとえば,「鼻出しマスク」。口だけ覆っているので,マイクロ飛沫拡散防止には効果がある。鼻をマスクの外に出しているので,自分の口臭は気にならない。ただ,他人の唾液飛沫やマイクロ飛沫はまともに吸い込んでしまうので,感染罹患リスクは高い。これは自己責任だから仕方がない。

 アゴマスクは最悪である。唾液飛沫もマイクロ飛沫も自由に拡散させて,他人に迷惑をかける。自分も吸い込むリスクを自ら背負っている。馬鹿げた行為としか見えないが,こういう輩を放置しているから,いつまで経ってもパンデミックが収束しない。

 食事のときに,口にモノを運ぶときはマスクを外し,口に入れたらマスクをして咀嚼する,という食レポをよく見かける。これではマスクがあっと言う間に汚れてしまう。いましばらくは黙食が必要だと思う。そもそも,食レポなど,美味しいものが出てくるのに決まっているのを,わざわざ大げさにレポートするのは,いかにも下品な番組企画である。

 正直,仕事中もマスクを着け続けて1日が終わると,マスクの中の臭いが気になる。何しろ口内細菌は1億個もいると言われており,それが唾液飛沫,マイクロ飛沫となってマスクの内側に付着するのだから,臭うのは当たり前とも言える。

 逆に,その事実を知れば,「きちんとマスクを着けて相手と向かい合おう」という気になるのではないかと思うので,一度,自分のマスクの臭いをじっくり嗅いでみてはどうだろうか(自分の臭いなのだが,意外に普段は意識できないものである)。

 さらに,やり過ぎは禁物だが,食後の歯磨きや消臭効果のある緑茶を飲む習慣も大事だと思う。場合によっては,病気のサインを受け取ることができるかもしれない。

分厚い荷物の中身は何?

普通の通勤風景が戻ってきた。人が増え、場合によっては、ラッシュの混雑になっている。

   いまだに、リュックを背中に背負っている人がいる。また、お腹に背負っている人も多い。筆者は手提げヒモを握り、膝の前辺りに下ろしている。あるいは、荷棚に乗せてしまう。

   リュックを背中に背負うのは論外だとして、お腹に背負っている場合もやたらと分厚い荷物に驚かされる。しかも固く、重たい。いったい何を持って仕事に行くのだろうか。

   かつて大きなビジネスバッグは営業マンの商売道具が詰まっていた。チラシや資料、契約に必要な書類一式が入っていた。

   しかし、リュックで営業はできないから、営業マンではないと思われる。

   通勤風景と言えば、新聞か週刊誌だけを丸めて持つだけという人が多かった。筆者の場合、多少の資料やメモ、そしてカメラを持ち歩くのが常だった。その後、ここにノートパソコンが入ってそれなりに厚くはなるが、それでも厚さ10cmぐらいだろう。今のリュックは、少なくとも厚さが20cmはある。いったい何を持ち歩くのだろうか。

   しかも、荷棚に載せる人は少ない。手から離してはならない重要な資料でも入っているのだろうか。もしそうなら、情報セキュリティ、あるいはコンプライアンス上、問題はないのだろうか。

   弁当でもない、パソコンだって今や厚さ2cmの時代である。荷物が厚く重たくなる理由がわからない。

   とにかく、邪魔だし、当たったら痛いし、また余計なヒモが周囲に伸びて、バッグを動かすたびに周囲にはねあがる。本人はこれにも気づいていない。

   テレワークの快適さを改めて感じる。

水素細菌ねぇ--まず電気分解水素でのインフラの確立が先決だが安定供給には必至の技術かも

アメリカや中国で、水素細菌で水素エネルギーを使うというプロジェクトが国家規模で進められているという。二酸化炭素も餌として吸収し、水素ガスを産出するとともに、自身は生物プラスチックの素材にもなるらしい。日本もようやく研究に資金提供するかどうかを検討するという段階だという。

   水素細菌を使った微生物燃料電池の研究は、日本でもかなり前から進んでいたらしい。まさか、石油エネルギー文化が地球温暖化という弊害まで至るとは誰も予想せず、言わば無視されてきた技術で、急に脚光を浴びた格好のようだ。

   正直、微生物系のシステムは、相手が生き物だけにコントロールが難しい。発酵食品ではまだまだ勘に頼る面も多い。しかし、ビールやワイン、納豆、味噌、そしてヨーグルトなどはほぼ工場レベルで生産が自動化できている。大量に培養することで、水素を効率良く発生できるかもしれない、という期待を持った。

   問題は、水素エネルギーに対する危険意識により、インフラが整っていないことである。大量に水素を産出できても、それを格納し、運搬し、利用するプラットフォームがない。「日本は〇〇で行く」という方針が出せないからである。恐らく、石油団体と政府自民党の強大な癒着がそこにあるのだと思われる。

   ここは、名誉挽回のために、東京電力が生き残りを賭けて独自のエネルギー開発に方針転換する絶好のチャンスではないだろうか。

   当面は、再生可能エネルギーで作った電力で水の電気分解で水素を得て、これを赤道近くから運送して使う必要はあるが、そこで確立した水素エネルギープラットフォームに、今度は水素細菌工場をつないで、国内で水素の安定生産をすることで、エネルギーの海外依存率を下げられる。

   水素エネルギープラットフォームは、ドイツが急速に確立しつつあるらしい。これも驚きである。うまく共同開発して、せめて貯蔵技術ぐらいは世界市場の独占ができるような枠組み作りが必要だろう。

「屋外マスク」の意味の取り違え--道を歩くときとジョギング時はマスク着用義務を

新型コロナウイルスのオミクロン株が感染力の強さを武器に次々にマイクロ変異を続けている。2022年のゴールデンウイークが終わり、予想どおり感染者数は増加に転じている。

   しかし、暑い季節に入ることもあって、医療専門家からもマスク着用について緩和策が提案されている。マスクを絶対に着用しろと言って、逆に熱中症が増えてはかなわないというのだろう。つまり、感染症専門医ではなく、一般医が緩和を言っているのである。自分達のところに、余計な患者が来ては困ると言わんばかりである。無責任である。

   特に「屋外では感染のリスクが低いからマスクなしでいい」ということに、正直言って根拠がない。しかも、「屋外」と言ってもさまざまな場面が考えられる。ひとくくりに「屋外」と言ってほしくない。

   たとえば、子供たちが校庭や公園で遊んでいるのは、屋外である。風は自由に吹き、拡散する。子供たちも同じ場所に留まることはなく、呼気は拡散する。

   一方、歩道では、前を歩いている人の呼気は、広がる前に次の人の顔面を直撃する。よほどの強風でも吹かなければ。拡散しない。タバコの煙が歩道に長い時間漂って臭うのと同じである。ここではマスクは必須である。

   当然ながら、公共交通機関の中は屋外ではない。しかし、会社は室内だがそこに行くまでは屋外だと勘違いする人がほとんどだと思う。

   よほどの日射しの中をずっと歩いてきたという場合を除いて、歩いているときには熱中症にはなりにくい。逆に室内で動かないときが、水分補給もいい加減になり、熱中症の危険がある。

   とにかく「歩き咳・くしゃみ」が最悪である。屋根がないからと言って、それを屋外と一把ひとからげに言えないと思うのである。

 もう1つは,ジョギング時である。通常より呼吸量が多く,しかも口を開けて呼吸するので,マイクロ飛沫が通常呼吸の数倍は撒き散らされる。他の人とすれ違わずに走る,ということは無理で,必ず一般の歩行者とすれ違い,大量のマイクロ飛沫を撒き散らす。相手はたまったものではないのだが,そもそもジョギングする人は,自己中心的な考えの人が多く,他人のことを慮ることはまずない。最低限のスポーツマスクをする人もいなくなって来ている。おまけに,運動で暑くなっているから,マスクをずらして走る。自分は健康になろうという意識かもしれないが,それで周りの無関係な他人に感染拡大のリスクを大きくしているのだから,まったく許しがたいのである。

 屋外マスクの緩和は結構である。しかし,道を歩くときと,ジョギング時はマスク着用を義務化する必要がある。ここをきちんと分けて説明してもらいたいのである。

 電車内での会話も,「控えめ」ではなく「禁止」にすべきであると書いた 電車内の会話を「禁止」に--オミクロン株対策をもう1つ追加提案 - jeyseni's diary (hatenablog.com) 2022/4/26。時と場所をきちんと区別して,行動にメリハリをつけることが必要である。しかし,けじめのない人が多すぎるのである。