世の中で,“盗み”に関して無条件に犯罪の引き金になるものについて考えてみた。
盗み以外の犯罪は,人間関係が引き金になる。殺人,傷害は,恨みや妬み,追い詰められたことから生じる。単なる好き嫌いから発展したものもある。
これに対して“盗み”に関する犯罪の引き金になるのは,「モノ」「金」そして「女」に集約される。
目の前に欲しいモノがある。お金がある。人間は“出来心”でそれに手を出してしまう。正当な労働によって得られたお金があったとしても,心が動く。心が動かない人はいないだろう。それを抑えるのは,理性や教育である。
しかし,性犯罪を引き起こす「女」という引き金は,人,特に男の本性を自然に刺激することで起きてしまう。ここには,理性や教育がほとんど役に立たない。実に残酷である。
一般に「先生」と呼ばれる職業についている人は,理性や教養があると世間では考えられている。医者,教育者,政治家,法曹界(裁判官,弁護士)など。一般的に,社会的地位も高いし,収入もそれなりに高い。しかし,社会面の報道でもあるように,「モノ」「金」「女」の犯罪者の中に占める割合は極めて高い。
これに宗教の聖職者(牧師,神父,僧侶など)が加わり,さらに国民の安全を守るはずの警察,自衛隊,さらに公務員が加わる。
一般企業でも,大金を扱う銀行や証券業界,「先生」や「金持ち」に対しての衣食住などのサービスを提供する会社(旅行,宿泊,料亭など)も,不正に加担しがちである。
しかし「女」への性的犯罪は,基本的に業界も所得も地位も関係なく行われる。一般的な認識では,学生から大人にかけての比較的若い年齢層の女性が被害の対象となるが,加害者である男は,学生から大人,さらに高齢者にも及ぶ。介護施設におけるセクシャル・ハラスメントなど,信じられないことがあちこちで起き,介護に当たる女性が被害を受けている。
性犯罪とは少し性格が異なるが,性的虐待については幼児から思春期にかけての子供が対象であり,しかも行われる場所が家庭という空間にあり,さらに父親から子供への虐待という陰湿さがある。
さらに性的虐待としてのDV(ドメスティック・バイオレンス)は,結婚によって築かれた家庭の中において,妻が夫から受けるという陰湿さがある。
つまり性的犯罪は,すべての男が加害者になる可能性がある。職業も年齢も環境も関係ない。子供にとって絶対的信頼を置けるはずの父親が加害者になるケースは,常識では信じがたいが,現実問題である。
子供にとっては,親からの性的虐待を無抵抗で受け入れるしかない。生徒にとっては,先生からの性的虐待を無抵抗で受け入れるしかない。妻にとって,夫からのDVも無抵抗で受け入れるしかない。家庭,学校と,いずれも閉鎖された空間にあり,表に出てきにくい犯罪である。
最近,性的暴力に対する裁判所の判決が無罪となるケースが増えている。確固とした証拠がなかったり,「無抵抗」を「拒否」と認定されなかったりするからだ。
意図的に相手の男性を冤罪に巻き込むケースもないわけではないが,家庭,学校,宗教界など,閉鎖的な環境における性的犯罪申告に対しては,例外なく有罪とすべきであり,隔離すべきである。逆に,痴漢などの不特定な犯罪については,より正確な判断をすべきである。
世の中から子供の性的虐待やDVがなくならないのは,法律の判断が甘すぎるからである。何しろ,法曹界がいじめや性的暴力の可能性を秘めているからだ。粛清に近いかもしれないが,例外を認めないことでさらなる犯罪抑制効果が期待される。
このためには,AIの活用が欠かせなくなってしまうかもしれない。AIの判断によって次々と人が抹殺されていくという映画の世界が,現実のものになるかもしれない。
現在進行形の新型コロナウイルスは,行政側の甘い判断もあるが,一般人の甘い考えによって拡散が続いている。「自分は巻き込まれない」と思っている人が多すぎる。いまだに咳・くしゃみマナーは実行されず,人に話しかけるのにマスクを使わない人が多い。首相による閉鎖空間でのイベントの自粛要請,学校の休校要請は,近代の日本の行政側としては初めての政治的判断である。その経済的影響は計り知れない状況になりつつあるが,クラスター系の拡散の抑制による蔓延の終息を期待するものである。しかし,民意が相変わらず低く,マスクの買い占めや高額転売,テレワーク要請に応じない(あるいは応じられない)中小企業,などの存在により,パンデミックが確実に広がっている状況が恐ろしい。
性犯罪についても,断固たる態度が必要なのだと思うが,人類始まって依頼の職業である性産業であることや,禁酒令や麻薬取締法があっても裏社会があることなど,人間社会の根の深い問題は解消しそうにない。
人間による環境破壊ももう止めようがない段階に来ているように感じる。大型隕石の落下による大量絶滅しか地球をリセットする方法がないように思っているが,今回の新型コロナウイルスによるパンデミックの教訓から,より知性的な生き方を学んでほしいものだと思っている。自分がそのパンデミックに巻き込まれる可能性を否定しないために,ここに書き残すものである。