jeyseni's diary

「ジェイセニ」と呼んでください。批判ではなく提案をするのが生き甲斐です。

『夜の街』という表現への違和感

2020年6月14日(日)の東京の感染者数が47人と発表され,そのうち『夜の街』関係が18人と書かれていた。どうも,当初からこの『夜の街』という表現が気になっていた。最近までは,『繁華街』という言い方が主流だったはずだ。

 繁華街はもともとは,にぎやかな街という意味であり,食べ物屋さんや遊戯施設が集まる商店街などのうち,特ににぎやかな街が繁華街呼ばれていた。銀座も繁華街,道頓堀も繁華街である。活気があって華やかな街,という意味が見て取れる。

 銀座や赤坂などは,夜も賑わっている。接待が伴うお店であったり,カラオケができる狭いバーであったりするが,やはり繁華街であり,もう一歩譲っても『夜の繁華街』である。1席が数万円,政治家や経営者が落としたお金が回る世界。料亭という政治の裏の舞台が繰り広げられる。新型コロナウイルス禍で行き場を失ったという高級魚や和牛は,こういうところで消費される。庶民へは間違っても流そうなどとはこれっぽっちも思わない。

 『夜の街』と言っているのは,政治家や経営者が行かない世界,つまり『歓楽街』と呼ばれる街である。繁華街でも歓楽街でも,女性が「性」を武器に男性を接待し,金の流れを作る。歓楽街は,基本的にリアルな性が取り引きされる点が異なるのかもしれないが,繁華街でもリアルな性は取り引きの対象となっているのは周知の事実である。

 ならば,わざわざ「夜の」と付けずに,『歓楽街』と言えばいいのではないか。歓楽という言葉が『快楽』つまり性行為を意味しているから使わない,といった意図を感じるが,『夜の街』と言い換えると,その裏の意味を想像してしまって,さらに淫靡な響きを持っていると感じる。素直に歓楽街と言えばいいのではないだろうか。歓楽街は,必ずしも性を売り物にしている街ではない。『夜の街』が性を売り物にしているという定義ならまさに『水商売』そのものであり,性の売買を容認していることになり,売春防止法を反故にしているのではないか。『夜の街』は「これを機会に閉鎖します」と言ってもいいのではないか。

 とはいえ,性を商品とする商売は,人類の歴史とともにあるというから,また拡散するだけかもしれない。梅毒でもAIDSでも性商売は無くならなかった。この問題はまた別の機会に議論したい。