jeyseni's diary

「ジェイセニ」と呼んでください。批判ではなく提案をするのが生き甲斐です。

もしも自分が女性だったら

筆者は60代なかばの男性である。家族もいる。契約社員ではあるが,常勤である。ただし,現在は週1のテレワーク中である。

 自分は男である,という気持ちをずっと当たり前のように持ち続けてきた。一生懸命勉強し,いい会社に入り,いい仕事をして社会に貢献する。結婚して家族を作り,家族を養って幸せな家庭を作る,ということが当然のように思ってきた。

 勉強も仕事も,ライバルは基本は男性だった。もちろん,学校でも会社でも,自分より優秀な女性は何人かいた。女性が自分の上司になることもあった。しかし,最後は自分が“天下を取る”みたいな気持ちがあった。自分のまとめた記事,自分で企画した書籍,そして自分で設計したプログラムなど,なんだか絶対的な自信があったように思う。これまで,人生で成功したことがないにも関わらずである。実際,今でも機会があれば世の中で注目されたいと思っている。このブログは,実際のところ,誰にも読まれていないが,自分では最高の文章を書いているつもりである。

 教育にしても,就職にしても,過去から現代のどの時期でも,男性に圧倒的に有利であった。モーレツビジネスマンと呼ばれ,残業も徹夜もいとわず,仕事に邁進してきた。常に前に向かおうという気持ちがあったからだと思う。

 結婚や家庭は,仕事とは別の世界だった。家族に責任を持つことで,仕事にさらに力が入った。健康に注意が必要と思う半面,お金をもっと稼ごうという気持ちも強かった。仕事をより充実させるための結婚だったといえるだろう。25年にわたって支えてくれている妻には,感謝以外のなにものもない。

 さて,これまでずっと,女性の自立のことやリーダーシップのことを語ってきたが,これはあくまでも男性の視点で見てきたことである。女性の視点で見たら,随分上からの視線で見ていると思われたかもしれない。今日は一度,「自分が女性だったら」どうだろうか,と考えてみることにした。

 これまで,男性としては全く人気がなかった。つまり,女性からは相手にされなかった。勉強ができて,仕事ができて,英語ができて,信用もあり,みんなからは頼られていた。今考えると,学級委員長をしたり,書類の準備をしたり,など,雑用係であり,便利屋であったと思う。いいように使われていた。要領のいいヤツは,遊んで楽しんでいたと思うが,自分はそういう用事をこなすことが楽しみだった。

 自分が女性だったらどうだったろう。男性から全く相手にされなかったら,どう感じただろうか。勉強もできて,先生の信頼も得て,委員長クラスの仕事もこなせる女性。何となくそれでもいいような気もするが,ひょっとしたら,髪型をわざと変えたりなどして,周りの反応を探ったかもしれない。自分が男性だったら,ほとんど考えない行動である。

 ニキビができれば消したくなる。普段着をちょっとおしゃれしてみる。ちょっとお化粧もしてみたくなる。女性だったらそんな気持ちも起きるのかもしれない。

 街を歩くとき,男性の自分は周囲の女性が気になる。男性には興味がないし,むしろ離れたいという意識がある。一方,自分が女性だったら,周りの男性に対しては何らかの怖さを感じながら興味を示す,ということになっていたかもしれない。相手が女性だったら,別になんの興味も示さない。あるいは,彼女の見た目や態度には興味を示すかもしれない。

 自分が男性の場合,異性に対する興味は,基本的に自分が仕事をバリバリできるように家事をサポートしてくれる「奥さん」がほしい,という理由でしかない。洗濯,料理,買い物,子供の世話などを全部引き受けてくれることが,仕事に100%コミットするには必要である。そういう考えでパートナー選びをしている男性は多い。残業も徹夜もなくなった今,男性も家族サービスにかける時間が増えてきた。昔,単に家でゴロゴロしていた親父たちよりは,随分マシになったとは思うが,真剣さは今ひとつではないだろうか。

 さて,自分が女性だったら,異性に対してどう感じるのだろうか。自分の仕事をバリバリこなしたいから,身の周りの世話をしてくれる男性がほしい,と思っても,そんな男はいない。結婚して仕事を続けるには,仕事も100%,家事も100%みたいな状況になる。仕事に集中したければ,結婚しない,という選択をするのではないか。

 周囲から相手にしてほしいが,ちやほやされても結局は仕事を犠牲にして“おさんどん”になる,というのが結婚である。戦前に比べて女性の権利が大幅に認められるようになり,仕事の選択肢も増えたとはいえ,家事は女性,という基本的な風潮は変わっていない。

 女性としての魅力を放つことには興味はある。しかし,それで男性からチヤホヤされ,性の対象とされるのも腹が立つ。弱みを見せると男はつけ上がるので,何か自分の行動に責任が取れるように,合気道や空手などの心得はしておきたいものだと思う。

 女性としての弱さは,力だけでなく,トーンの高い声でも現れてしまう。ピンチにパニックになれば,相手は必ずそこにつけ込んでくる。ドラマではたいてい女性は悲鳴を上げる設定になっている。悲鳴を上げることは,弱さを露呈することである。ここでも,平静を保てるような訓練が必要ではないかと思う。海外経験なども自信につながるが,危険が伴う可能性もある。どこでも行っていいわけではない。

 世界でリーダーシップを取っている女性は,弱さを微塵も感じさせない。自分に対する自信がそうさせていると思う。これは精神的,肉体的に何らかのトレーニングが必要だと考える。人一倍努力したのではないかと考える。

 身体が大きい場合は,それを武器にできる。女性としての魅力を出しながら,周りを巻き込んでいく,これは理想的なリーダーシップである。ハリス氏や周氏には,そのような新しい時代の女性リーダーとして期待したい。