jeyseni's diary

「ジェイセニ」と呼んでください。批判ではなく提案をするのが生き甲斐です。

怒りの気持ちも分からない訳ではないが

東京の地下鉄車内で,催涙スプレーの噴霧事件があった。マスクの着け方で諍いが起こったようだ。一方が,鼻を出した状態でマスクをしていたのに対して,もう一方が注意をして突き倒し,鼻を出していた人が防犯スプレーを噴霧して逃げたようだ。

 筆者も実は以前,催涙スプレーを持ち歩いていた時期がある。いわゆる「親父狩り」が流行っていた頃である。普通の勤め人だった筆者は,夜の飲食の付き合いもあった。酔って帰宅する際,自分の身を守るためだった。その後,不用意なスプレー噴霧が世の中で問題になったため封印したが,当時は正直,催涙スプレー,防犯ブザー,携帯電話の防犯ブザー設定などをした上で,真面目に,防刃ベストの購入まで検討していた。それほど,見境のない犯罪が横行していた時期である。

 2020年現在,男性が催涙スプレーを持ち歩いているという状況は,極めて異常である。自分の身を守る防具というより,相手を攻撃する,あるいは相手を支配するための武器のように見える。その催涙スプレーを所持していた側が,マスクを鼻から外していたとすると,注意をされたことを素直に受け止めずに反抗する際に催涙スプレーを使用した,ということになるだろう。わざわざスプレーを使用するチャンスを待っていたかのようにも見える。確信犯ということである。

 一方,鼻出しマスクの相手を注意した側にも問題がある。以前にブログで主張したが,マスクは外部の微粒子を吸い込まないようにするためには鼻も口もきちんと覆って自己防衛する目的と,自分のツバや飛沫,マイクロ飛沫を相手に飛散させるのを防止する目的の2つある。相手に迷惑がかかる飛沫拡散を防ぐには,口を覆うだけで十分で,鼻は開放しておいてもいい。鼻風邪を引いてくしゃみの際に鼻水まで撒き散らす可能性があるなら別だが,通常の会話,咳くしゃみでは,口を覆うだけで十分である。したがって,今回の場合,鼻出しマスクをしている人は,周囲に迷惑をかけているわけではないので,注意を受ける筋合いではないはずである。鼻出しマスクは,微粒子を鼻から吸い込んでしまう危険性はあるため,花粉,粉塵,密閉空間では鼻も口も覆わなければ感染の危険性が高くなる。自分のための着け方である。

 どうせマスクを着けるならきちんと着けろ,という理屈はわからないわけではない。また,鼻出しマスクは周囲に迷惑をかけていないから文句を言われる筋合いはない,と言うことを「屁理屈」と捉える人もいる。まったく理不尽な注意をされた場合は反論することは大事だが,自分がなぜ注意されたかを冷静に考え,相手に不快感を覚えさせたならば譲歩するぐらいの余裕も必要である。しかし,今の世の中,あまりにもギスギスしていて余裕がない。残念なことである。

 筆者も,街を歩いたり,クルマを運転していたりすると,相手の行動に怒りを覚えることが結構多い。街中では「ソーシャルディスタンシングを取りたいのだから,もう少し離れて歩けよ」とか「ゴミをポイ捨てするなよ」とか「自分のウチのペットのウンチぐらい拾ってやれよ」とか。クルマの中では「信号が青になったらスムーズにスタートしろよ」とか「停止線を越えてから停まるなよ」とか「まぶしいんだから,信号で停車したら前照灯は消せよ」とか「要らないところでブレーキランプをパカパカ点けるような運転をするなよ」とか。人が通り過ぎてから,またクルマの中で1人でブツブツ言っている。他人が聞いたら,タチの悪い人だと思われるだろう(実際,クルマに同乗している家族からは,いつも注意を受けている。お父さんはクルマに乗ると人が変わる,とも)。それぞれ,筆者なりの理屈があるが,他人からすると屁理屈なのかもしれない。それが諍いの原因になるのだろう。

 「3秒先を予測して行動する」ことが大事と以前のブログで書いたが,「3秒後のことを考えて行動する」ことも大事なんだろうなと改めて思う。自分が災いに巻き込まれないために,理性と余裕を常に持って行動すべきだと感じる。「一呼吸置く」これが平和な世界につながるのだと思うのだが,お金が絡んでくると心の目が曇るのも人間の性なのかもしれない。