jeyseni's diary

「ジェイセニ」と呼んでください。批判ではなく提案をするのが生き甲斐です。

「線」を考える

記憶はあやふやだが、日本ほど「線」を引いている国はないのではないだろうか。クルマも人も、車道も歩道も、ベタベタといった感じに白線、黄線、ピンク線、水色線が引かれている。

 線というのは、時間や空間を分けるために引かれる。車線は隣のクルマとの安全な間隔を保つためであり、停止線はクルマと歩行者や他のクルマとの安全な距離を保つためである。

 筆者は、生まれてこのかた、この線のルールに従って生活してきた。何の疑問も感じなかった。

 しかし、改めてこの「線」を意識してみると、おかしいことに2つ気づいた。

 まずこの線をまったく無視している人やクルマがあまりにも当たり前のように見かけられることである。一番気になるのは、横断歩道のところの停止線である。筆者の場合、教習所で停止線でピタッと停めることを盛んに言われた。越えたら即時教習中止である。試験の時も同様だった。したがって、停止線を見たら体が自然に反応している。ピタッと停められたら快感を覚え、ちょっとでも越えてしまったら失敗したと思う。

 しかし、横のクルマはお構い無しである。1mぐらい前に出ているクルマもある。ゆっくり進みながらじわじわと停止線を越えるクルマもある。信じられない光景である。

同じように、電車のホームでも、「足元のライン」を越えて電車を待っている人を多く見かける。最近はホームドアの設置が進み、安全性は増したが、線を引いてある60cmという距離は、電車が通過したときの風圧に押されない距離だという。安全側にいたほうがメリットは大きいのに、わざわざ線を越える意味が分からないのである。

 一方、日本のこの線引きが美しくないことに改めて気づいた。黄線の手前に白線、さらに列の表示に緑や青わ赤の線が無計画、無規格に引かれている。実に汚い。

 昔の電車のホームを思い出すと、白いタイルが点々と埋め込まれているだけだった。海外では、このような明示的な線引きがなく、敷き石の色だけで示されていたように思う。電車との安全距離など、感覚的に当たり前であるかのようである。

 つまり、日本では「安全」のためと称して無計画、無規格にただ線引きしたために、ヒトの持つ動物的な感覚がマヒしているのではないのか。そして、それに意識的、無意識的に反発、あるいは無感覚のまま、線を越えてしまっているのではないか。

 自分の足元を一度確認してみてはいかがだろうか。