jeyseni's diary

「ジェイセニ」と呼んでください。批判ではなく提案をするのが生き甲斐です。

言葉の功罪

ヒトは、コミュニケーションの手段として言葉を獲得した。この言葉によって世界中のヒトが意思疎通でき、力によらない問題解決手段を得た。

 かくして、同じ言葉を話す群れが集まり、民族や国にまとまって行った。さまざまな互いに相容れない価値観が生まれ、対立しても、力による解決の前に言葉による解決が図られる。

 コミュニケーションはヒトにとって「価値観の共有」という意味で欠かせないものである。同じ価値観でヒトが集まると、それは力になる。

 新型コロナウイルスが第四波となり感染拡大しているというのに、都会では「街飲み」が広がっているという。飲食店ではアクリル板越しでマスク着用でなければ飲食できないことから、制限のない屋外でアルコールを飲みながら談笑するというのである。コンビニやテイクアウトした食べ物も消費されるのだろう。そこまでしてコミュニケーションしたいものかと筆者は思うのだが、価値観が違うので止まらない。

 自治体の職員による呼び掛けが始まったが、法的な拘束力がなく、抑止効果は限定的だろう。何しろ、法律があっても交通違反は無くならないのだから、ヒトは厄介な生き物である。

先に提案した「飲食行動法」も、結局は効果は期待できない。若者の街飲み、年寄りのカラオケ、そして組織の宴会。各世代でガマンできないことが、感染拡大の原因である。

 ヒトは、このコミュニケーションのためのツールを次から次へと開発している。ノロシから始まり、絵で文化を残した。記号、文字で手紙を作り、電信、電話ときて、現在はついにかつてのテレビ電話がzoom 会議になった。スマホが個人のツールとなり、どこでもコミュニケーションできる時代である。

街飲みは楽しいだろう。電車の中の会話も楽しいだろう。しかし、今はその代替手段があるのだから、この新型コロナウイルスが収束するまで、ガマンしようよ、と言いたい。対面のコミュニケーションは重要であることは認めるが、それこそ「だって、今でしょ」と今がガマンの時と認識するのが、ヒトではないかと思うのである。