jeyseni's diary

「ジェイセニ」と呼んでください。批判ではなく提案をするのが生き甲斐です。

憲法論争-権利と義務-平時と有事

今日は憲法記念日である。憲法を擁護する人と反対する人が,毎年のように同じ議論を繰り返し,平行線で終わるのだろう。

 新型コロナウイルスのない平時における憲法議論と,新型コロナウイルス渦中の有事とも思える状況での憲法議論は,相変わらず同じなのだろうか。

 憲法論争というと,第9条である。

『1 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。 2 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。 国の交戦権は、これを認めない。』

 筆者は,これについてのコメントはしない。

 さて,平和憲法と言っているだけに,第二次世界大戦後の“平和”を前提とした権利と義務を示したのが現在の日本国憲法である。その後,日本を取り巻く環境がどんどん変化している。SDGsをキーワードとする地球全体の存続についても,近年議論されている。そして2020年からの新型コロナウイルス禍である。条件がどんどん変わっている。

 第二次世界大戦では,日本は世界に対して武器で拡大を図る侵略国であった。終戦後,武器を捨て,ドン底の経済の中で国としての体裁を保つための御用憲法であったが,日本はこの平和とアメリカの保護を利用して経済発展し,領地を拡大せずに世界経済の中でのトップの位置に上り詰めた。

 戦後45年の1990年代には,この日本経済の発展モデルをアジア各国が追随し,安くてふんだんにある労働力を生かして日本の製造業を奪って行った。電子技術,コンピュータ技術,バイオ技術で,アメリカが再び世界のトップに立ち,これにインドや中国が追随し,社会統制力で中国がアメリカに対抗する形で一歩前に出つつある。日本は新しい発展モデルを築けないまま,世界に対して何も発信できない「衰退国」になってしまった 日本はやはり「衰退国」ではないのか - jeyseni's diary (hatenablog.com) 2021/4/23。

 戦後の貧困の中で,自由や教育の権利,生きる権利などを掲げ,これを実現できたのは,ひとえに経済発展によるものがある。今から言うと時代遅れだが,「国民一丸となって」「エコノミック・アニマルと呼ばれようが」必死にモノづくりに取り組んで,いい製品をつくり,世界に供給して外貨を稼いできたからだと言える。生活のゆとりができ,教育も受けられ,海外との交流も盛んになった。

 現在は,このときに培われた「自由」「権利」だけが独り歩きしているように見える。自由によって「多様性」が認められつつあるが,残念ながらこの自由,権利を支えるだけの経済基盤を日本が失ってきている。

 これに加えて,世界的な新型コロナウイルス禍なのだが,日本の危機管理意識がまったくない。「正しいことを言っていれば,世界が助けてくれるだろう」みたいな呑気な気持ちでいるのではないか。正直,世界中でここまでパンデミックになることはだれも予想していなかったことだが,遺伝子ワクチンも作れない,完全な経済支援をするだけの予算もない,したがって国民にガマンのお願いをするだけしか方法がない,何となく第二次世界大戦中の「ぜいたくは敵である」「竹槍でB29と戦う」みたいな雰囲気である。

 戦争中は憲兵がいたり,隣組があったりして,思想統制と情報統制がされていたが,いまは行動も発言も「自由」であり,「権利」の主張によって混乱が収束しなくなっている。平和ボケと改めて言うことができるのではないだろうか。

 憲法論争は結構である。しかし,憲法制定当時の前提の元に,議論が膠着しているのではないか。日本が武力攻撃を受ける可能性のある相手がソビエトや中国だった時代から,今は北朝鮮アルカイダタリバンなどの過激派武装組織に変わり,一方で中ソからはサイバー攻撃を簡単に受けてしまっている。場当たり的に防衛省にサイバー対策チームを作っても遅い,というものである。

 さらに,ウイルスという見えない脅威に対しては,各国が移動規制をしており,人の移動の制限に続いて物資の移動制限も起きないとは限らない。各国が鎖国状態になった際に日本に何ができるかについてもシナリオを構築しなければならないだろう。

  筆者にとって,現在は「平和」憲法を議論する段階ではないと考える。その議論は次の「平和で発展」の時のためにいったん棚上げしていただき,現在の「有事」で「経済衰退」の時のために,何が必要かを議論してほしいのである。