jeyseni's diary

「ジェイセニ」と呼んでください。批判ではなく提案をするのが生き甲斐です。

マンガ、アニメ制作者への筆者の偏見

筆者は、絵を描くのが下手である。絵の価値も分からない。小学生高学年になって初めてカメラを父から買ってもらった。シャッターを押せば撮れる写真は、ありがたかった。もちろんまだフィルムカメラの時代である。1本のフィルムで倍の枚数が撮影できるハーフサイズカメラだった。当時はカラーフィルムは高く、モノクロフィルムを使っていた。蒸気機関車の撮影にも持って行ったが、カメラの性能もフィルムの性能も写真の腕もダメダメで、大きく引き伸ばせた写真は数枚程度だった。

  その後は、仕事で一眼レフカメラを使い、留学中に買った8mmビデオカメラを使い、ビデオがハードディスクタイプに、カメラがデジカメに変わっていった。現在は仕事で使う写真もスマホの写真で事足りている。いい時代である。

 絵ごころの無さは相変わらずで、手書きは苦手。書類もプレゼンもパソコンのソフト頼りである。一時期、マウスの代わりにペンタブレットを購入したとき、お絵描きソフトも試してみたが、まるで幼児のお絵描きの域を出なかった。

 スマホの前に現在のタブレットを使うことになり、ちまたで流行っていたアニメ作成アプリや、筆タッチができるというスケッチアプリなども試してみたが、いずれも惨敗だった。フリーラインでのお絵描きには向いていないようである。

 それにしても、コミック、アニメブームである。世の中にこんなにマンガを描く人がいるとは思わなかった。とても嫉妬してしまう。筆者の友人が大学のマンガクラブにいたが、今で言うとヘタウマ。いや、下手な作風だった。今ならひょっとしたら売れっ子になっていたかもしれない。コミックが原作で、これをアニメ化したり、一気に実写ドラマになったりしている。コミックやアニメならではの表現を実写化するのも今の流行りである。とても付いて行けない。

  写真が一瞬で作画されるのに対して、コミックやアニメは線を1本ずつ引くところから始まる。1枚の絵を作るのに数十分。アニメだと1秒作るのに10枚から30枚の絵が必要になる。昨今はコンピュータで作画することも多いだろうが、大変な作業である。よく集中できるものだと感心している。筆者は無理である。

 写真やムーピーでは表現できない部分を、コミックやアニメは強調して表現できる。この表現がいろいろと物議を呼ぶ。

 まず、表情、特に目の表現が特徴的である。目の表現で星を初めて入れたのは手塚治虫氏だというが、その後、目の表現はとてつもなく進化している。そして強烈な印象を読者、視聴者に与える。恐怖を覚えることさえある。

 次に、汗や涙、そして血などの液体系の表現が鮮烈になってきた。テレビゲームでいうと、「バイオハザード」あたりの相手を殺傷する表現あたりから、表現が生々しくなったのではないだろうか。大当たりの「進撃の巨人」「鬼滅の刃」あたりの妖怪対戦の場面は筆者にとってはかなりショッキングである。しかしそれが当たり前になっているのが恐ろしい。

 もう一つは、男性、女性の描き方への指摘である。闘いがテーマの一つとして描くために、男性キャラクターはより力強く描かれる。一方、闘う女性キャラクターは3サイズを大きく、露出度を高く、そしてアングルを際どく描きがちである。この傾向は、ますますエスカレートしているように思える。

 この流れとして、男性はドヤ顔で仕切る立場となり、女性はロマンに入って行くというステレオタイプで描かれる。このあたりが時代錯誤なのだが、それを武士の時代や未来に人類が侵略されているといったシチュエーションですり替えていると思われる。

 マンガにはもう一つの隠し技がある。いわば実写におけるモザイクである。敢えて描かないことで読者の想像を掻き立てる。実写版や映画では影で表現したりするが、マンガは直接的である。従来の男性週刊誌のマンガの手法である。一般向けのコミックでも、際どい表現があったりする。これも時代錯誤か。

 コミックやアニメの作家は、このような演出も含めてストーリーを描くのだから、確信犯である。しかし作画する制作者にも、曲線の強調や露出度合いの工夫などの意図が入っていないだろうか。

 おそらく、「読者の声」に応えた、という説明だろうし、多くの男性読者は賛成、反対は一部の女性のみなのかもしれない。しかし、極端な誇張表現は、問題になる前の自粛が理性的と思われるのである。

 その他、映像では女性の胸を強調するような動作、胸が上下するような走らせ方、さらにそれを誇張するためのスローモーション再生など、男性を刺激するような演出が多すぎる。かつての芸能人オールスター水泳大会みたいな下品な企画の時代にまた逆戻りしているようだ。今の男女同権の時代にそぐわない。理性を求めたいものである。