jeyseni's diary

「ジェイセニ」と呼んでください。批判ではなく提案をするのが生き甲斐です。

トップ写真は記事の「主語」を表示すべき--コメンテーターの顔など見たくもない

筆者は古い人間なので,ついつい文字で書き進めてしまう。本ブログももう2年経ち,770を超える記事をアップしているが,たぶん写真付きでアップしているのは10前後だと思う。

 写真が記事にとってインパクト,説得力があることは間違いない。筆者は,必要だと思う写真しか添付しない。そういう方針でブログを書いている。だから訴求力が弱いのだ,と言われても仕方がない。これしか方法を思いつかない。

 新聞の記事では,タイトルが命である。そこに細心のパワーを注ぎ込む。文字数の制限もある。ただ,書体のサイズを変更することができるので,Webニュースよりは融通はある程度効く。Webニュースのタイトルは,ニュースの内容をまったく反映していないただのアイキャッチであることが多く,その酷さには毎度悩まされる。期待してリンクを開いても,まったく関係のない結論へと導かれることがほとんどだからだ。

 世の中の多くのブログは,トップに写真がある。ニュースポータルを見ても,文字だけのニュースなどほとんどなく,ほぼすべてのニュースの頭に写真がはめ込まれている。いわばアイコンなのだが,ここにコメンテーターの顔写真が入ると途端に品位がなくなる。

 テレビのワイドショーでコメントしたコメンテーターの話が,Webニュース上にも多く引用される。しかし,その内容は「コメント」「意見」「感想」だけであって,何の建設的な「提案」がない。 コメントばかりで提案なし--マスメディアもブログも批判ばかり - jeyseni's diary (hatenablog.com) 2021/5/7。

 はっきり言えば,このようなワイドショーのコメンテーターの感想を引用するWebメディアがバカだと思うのだが,そこにいつも同じ顔写真が載せられている。しかもなぜかいつも写真のサイズが大きいのである。

 有象無象のタレント,元知事,評論家のコメントは,どうせ開いても意味がないのでスルーするが,スクロールするうちに何度も同じニヤけた顔が表示されるのが実に不愉快に思っている。コメンテーターの顔がニュースなのではなく,その内容の「主語」がニュースであるべきなのである。

 このコメンテーターにはこの写真,と決めてあるのだろうか。また大きく表示されるのは,カネをもらっているのだろうか。まあ,メディア運営者のことを考えれば,それぐらいのカネの動きはあって当然だろう。汚い世界である。しかも,コメンテーターの多くが男である。公共の電波,公共のインターネットを通じて,シャレにもならない顔が並ぶ今のメディアが実に低俗である。逆に女性の写真も安易に使うその非常識さもガマンできない。

 もっとも,ここ数日はIOCバッハ会長の写真ばかりが目につく。彼のコメントなど,結局意味がないことがわかったので,たとえば原爆慰霊碑に献花している様子とか,小池都知事と会見している様子とか,そういう写真だけで十分である。デカデカと写真を載せ,コメントを載せるほどの価値は,もはやない。