筆者は,大学の教授を筆頭とする学者が嫌いである。なぜかというと,彼らは自分の地位を上げ,より高い勤め先を得るために,論文を書くことだけが仕事だからである。優秀な人材を育てるための教育をするわけでもなく,逆に優秀な人材を蹴落とすために,必死になって研究をし,論文を提出し,認められることが生き甲斐である。社会のために貢献しようなどという意識は,基本的にはどこにもない。
かつて,象牙の塔と言われていた学問の世界は,まだある意味では純粋な世界だった。浮世離れした研究をしていようが,誰も文句を言わなかった。ほおっておいても国から給料は払われる。先生先生と世の中からは持ち上げられる。カネはなくても,地位と名誉は得られ,そこに怪しいカネが動くこともあった。
いま,大学は金欠である。国からの給料は抑えられる。研究をしたくても,機材や材料に膨大なお金がかかる。とても大学の研究室ではまかないきれない。そこで,民間企業との共同研究という形で機材の購入を企業が肩代わりする。その代償として,企業の研究の実務を大学が担うことが増えた。科研費を申請するための書類を作成するノウハウが必要になった。科研費が得られやすいキーワードを何とか入れたテーマを作ろうと必死になる。内容などどうでもいい。カネさえ降りれば儲けものである。しかし,科研費は時限の予算である。継続的に予算を獲得するためには,テーマを永遠に作り続けなければならない。出費がかさむため,自分の生活を支えるだけで精一杯になる。秘書も雇えない。研究室には,時限でしか雇えない特任教員しかいない。研究の手伝いのために大学院生や学生が動員される。むなしくデータ取りばかりして大学院生活を終え,お目溢しで博士号を取らせてもらっても,結局行き先がない。学部生の募集だけで枠が埋まってしまうので,一般企業の就職先もない。ポスドクと呼ばれる無給の人材だけが大学の研究室に残る。
新型コロナウイルス関連で,現在までに何本の論文が世の中に出ただろうか。ウイルスのDNA解析結果や,ワクチンの有効性,治療実績など,原因究明や予防,治療に関する論文が大半だろう。現在のmRNAワクチンの短期間での開発も,これらの研究の成果の一つと思われるが,最終的にワクチンを製造できるのは薬品メーカーである。治験と呼ばれるいわば人体実験によってその効果を検証する以外に,最終的には方法がない。論文書きをしている学者では,数万人への治験行動は実施できない。
尾身茂を会長とする政府の有識者会議「新型コロナウイルス感染症対策分科会」は,科学の立場から政策提言をするための組織だと理解しているが,その提言先は政府であり,国民には直接発表されない。政策を決めるのはあくまでも政府なのだが,会議の提言を実行に移すまでにだいたい1週間はズレる。その間に影響が拡大して,取り返しが付かない事態になってしまう。
それにしても,この分科会に属する学者は,政府との決め事で独自にコメントが出せない立場にあるのだが,世の中にはもっと多くの学者がいるはずで,彼らが独自に研究・分析して発表・提案してもいいと思うのだが,悲しいことに,「論文をジャーナルに寄稿し,それが認定されるまでは情報を公開しない」というのが学者の世界である。要は,論文が認められて「自分の実績」となるまでは,絶対に外に出さない,というのが,学者根性である。研究の成果としての論文ではなく,論文を出すための研究なので,論文として認められるまでは決して提案しないのである。
街のクリニックの医師は,論文を書くよりも患者を診ることでお金を儲けている。自分のクリニックではこのような治療や方針を持っているので,相談してほしい,と世の中に呼びかける。相談料を取るクリニックもある。提案ではなく,コンサルティングである。提案すると責任を取らなければならないから提案はしない。コンサルは責任は取るがおカネも取るからそちらの方を優先させる。
テレビでコメントするより,本を書いて印税で儲けた方がいいと考える学者も多い。新型コロナウイルスではすでに膨大な数の書籍が出版されている。日々情報が変わり,内容に誤りも出てきているのにも関わらず,ネームバリューだけで売れ続ける本もある。売れればいいと考える出版社は取り下げない。実に無責任である。
天下のT大学や西のK大学O大学,そのどこからも,これぞ,という発表がまったくない。先生方は,ご自分の研究だけでお忙しいのですか。
結局,日本政府も新型コロナウイルス研究に特別の研究予算枠を取っていないのだろう。理研の「富岳」による分析も単に自前なので,政策に結びつく結論が出せていない。「緊急事態宣言」の発令に数日かかって全然緊急感がない。結局だれも決断に他逸する責任を取ろうとしない。日本の政治家には期待しない。もはや遅いが,学者が自らの責任で正しい情報発信と政策提言をすべきだろう。体質変換を期待したい。