jeyseni's diary

「ジェイセニ」と呼んでください。批判ではなく提案をするのが生き甲斐です。

言葉,発言--個人のSNS発信直前に入力システム側がアラートを出す仕組みがほしい

言葉は,使い方でプラスの力にもなればマイナスの力にもなる。「ペンの力」とも言われるが,書き言葉はある程度の推敲が可能なのに対し,話し言葉はその人の普段の考え方が直に表現されると見ていいかもしれない。

 言葉によるハラスメントが起きるのは,普段からそのような考え方を持っているから,ついつい口をついて出てしまう,ということだろう。年配者はそもそも,ハラスメントに対する認識がなく,指導も受けたことがない。さらに失言を抑える脳の前頭葉の働きが衰え,理性も低下している。

 逆に,言葉を選んで話すことで,本心を隠してしまうこともできる。謝罪の言葉が度々報じられるが,表現が常に同じで,まるで例文を棒読みしているだけにしか聞こえない。最近はなくなったが,土下座が最大限の謝罪のような風潮も一時期見られた。わざとらしさが見え見えである。

 話芸を本職とする噺家やタレントは,わざと強い言葉を選んで話すことがある。「オレはプロだから,こういう言葉づかいは当たり前」という穿った気持ちが見え見えである。同じように,テレビタレント化した評論家も,わざと強い言葉を使って,よしとされる風潮が見られる。

 意図的であれ,無意識であれ,口をついて出てしまった言葉は,止められない。

 SNS上の言葉遣いは,口での発言に極めて近い感覚がある。最初のネガティブ(と思われる)意見に対して即座に反応して発信できる仕組みを持っている。無記名での投稿ができると同時に,発言を取り消すこともできない。発言以上に問題なのは,わざと文字で強調したり,絵文字などで装飾したりすることで,逆に意図的に世論を煽ることもできる。恐ろしい武器である。

 テレビ,ラジオなどの公共の電波を使った情報発信には,放送倫理規定がある。しかし,メディアの社員には基本的な教育は施されるが,タレントMC,フリーになったアナウンサー,外部の評論家,ゲストコメンテーターには,規定に基づく教育は施されない。リアルタイムのワイドショーでのコメントは,事前にチェックできるような二重体制(バックグラウンドでゲストとやり取りをし,チェック後にその録画映像を流す)などが必要ではないだろうか。有名人だからといって,生出演の価値はない。

 一方で,SNSという安易な発信の手段を持った一般人は,もう無法地帯である。受信者自らが情報を選別しなければならない。しかしその教育も行われていない。学校教育,家庭教育などに,単なるIT教育だけでなくITリテラシーの教育も入れていかなければならないし,今後はAIがその機能を担って,たとえば否定的な言葉遣いの入力に対してアラートを出すなどの入力支援が必要なのかもしれない。

 会見する側も,十分に発言内容を吟味し,あらかじめ目を通し,さらに想定問答に対してもきちんとした回答を準備して,臨むべきではないだろうか。国の長,自治体の長,企業の長,党の長,そして議員の失言があまりにも多すぎる。謝罪を仏頂づらで行ったり,方言で茶化したり,質問をはぐらかしたりしては,もはやリーダーとしての力がないと判断されても仕方がないのではないか。