jeyseni's diary

「ジェイセニ」と呼んでください。批判ではなく提案をするのが生き甲斐です。

やってから謝って許される社会って何?

COVID-19がまだまだ収まらず,デルタ株においては,3密どころか1密状態でも感染拡大が続いている中で,「基本的なルールを守らない」人が増え続けている。集まっておしゃべりをする,おしゃべりしながら飲食する,集まりが禁止されている場所でのバーベキューなども平気で行われている。注意して止める人もいるが,アルコールが入るともうどうしようもなくなる。逆上する人も珍しくない。傷害事件になったとしても,「酔ってよく覚えていない」でウヤムヤになることも多い。ケガをさせられたら,やられ損というわけである。

 罰則が決まっていて,取り締まる権限を警察が持っている交通ルールにおいても,ルールを守らない人が多い。事故が起こらなければいいとばかり,速度オーバー,赤信号でのギリギリ通過,歩行者や自転車への危険な幅寄せ,横断歩道前での不停止など,警察がいなければ,警察に捕まらなければ,とばかり,ルール破りは日常茶飯事である。

 「アイツもやっているんだから,こちらもやって何が悪いんですか」と開き直っても,交通ルール破りは言い逃れはできない。現行で捕まれば,言い訳は効かない。どうしても納得が行かない場合は裁判に持ち込むことは可能だが,それだけの体力や金力があればの話である。

 しかし,COVID-19ルール破りでは,「こういう事実があった」という報道ネタにはなるが,告発もされない。報道にはボカシが入って個人を特定することもできない。報道時にインタビューをしようとすると,「撮影するな」と開き直る。報道側が暴力を受けたり,機材を壊されることもある。

 報道側はもちろん,正義感だけで動いているわけではない。視聴者の好奇心を掻き立てるネタを,いかにもそれらしく見せるような取材をする。一般的に取材される側は,プライバシーを暴かれることを極端に嫌う。カメラやビデオ,マイク,録音機などに対する拒絶反応も理解できる。

 筆者も,すべての街頭インタビューやアンケート,署名などには応じないようにしている。筆者がメディア側の人間でもあるため,顔がメディアに映ったりすることは絶対に避けたいからである。したがって,面白がって取材をする側の気持ちも,取材される側の気持ちも理解しているつもりである。

 「悪いこと」をした人は,している間はほとんど罪の意識がない。カメラやマイクを向けられて指摘をされると,開き直って暴言を吐いたり,暴力ざたになったりする。そしてそのままウヤムヤになる。

 つまりルール違反であっても,「楽しんで遊んで,見つからなければ儲けもの」という社会なのである。「やり得」である。

 同じことをさらに拡大解釈したのが,性犯罪なのかもしれない。まさに「やり得」の世界である。殺害といった極端なところに至れば犯罪だが,「合意があった」という逃げ口上で犯罪性を逃れようとする。被害者側はプライバシーの公開を恐れて泣き寝入りするケースも多い。

 結局,どの国でもルールや一般的な常識というものが守られない程度は,似たりよったりである。日本全体でも1つのルールをコントロールするのは難しいし,もう少し小さい単位で言えば学校のクラスでのイジメなども,この理屈で説明がつく。

 ルールを守らせようと徹底的にコントロールすると,今でいうとタリバンによるアフガニスタン国民の武力による支配,戦時中の憲兵による国民の権力支配などになるのかもしれない。

 武力や権力による支配は,小さくてもあらゆる反発を恐れ,封じ込める方法だからである。

 現在の日本は,警察が存在しようが,メディアが告発しようが,ルールを守らない人を規制することはできない。正義感のある人が立ち上がっても,逆にボコボコにされるだけである。正直者がバカを見る社会である。つまり,精神的には戦国時代や戦前から全く進化していない国であり,さらに衰退しているように感じる。正直者はどうやって生きればいいのだろうか。