jeyseni's diary

「ジェイセニ」と呼んでください。批判ではなく提案をするのが生き甲斐です。

政治と女性について考えた

自由民主党総裁選挙を来週に控え,「政治と女性」についてもう一度考えてみることにした。

 候補者4人が男性2人女性2人となったことから,正直,変な空気が流れているように思える。男性候補は,正論だが実現困難な目標を掲げているのに対し,女性候補は,アンチステレオタイプ(これまでの常識に囚われない)な理想的な目標を出しているように見え,また,「男性vs女性」という構図が見え隠れしているように思える。

 日本という国が従来から持っている問題点は基本的に同じだが,これに女性の視点で気になっていたことが加わって,議論の幅が広がった,というメリットはあるが,同時に,焦点がボケてしまっているようにも感じる。

 国民の男女比がほぼ1対1なのに,国会議員や閣僚,企業の役員の目標が2~3割というのがおかしいとして,閣僚の半分を女性にする,という目標も出された。しかし,これも何か違和感を覚える。

 東京オリンピックパラリンピック2020では,最終的に組織委員会委員長,開催都市知事,五輪担当大臣の日本側3人とも女性が担当し,開催のゴーサインが出された。しかし,日本の3責任者がゴーサインを出したというより,IOC,IPCのパワーに押し切られて「ノー」と言えなかったのではないか,という邪推が働く。直前の2021年7月にCOVID-19の第5波が始まり,オリンピック開催を強行するために出さないと予測していた緊急事態宣言まで出されたのに,大会を中止しなかったのは,「ノー」と言ったらその責任を取らされると思ったからではないのか。最終的にオリンピック・パラリンピック期間中に感染確認者数は1日で3万人を超えたが,終了後のわずか1ヶ月の間に3000人まで減っている。1ヶ月でワクチン接種率が上がった訳ではなく,あきらかに競技観戦時およびその後の飲酒による盛り上がりが,感染者数の激増につながったと分析できる。無観客開催によって人流は抑えられたが,逆に密状態が各所に発生したと考えられる。このことに対しての東京都知事のメッセージもないし,五輪担当大臣からは「オリパラは成功した」というコメントだけで終わっている。オリンピック開催後のバッハ会長の銀座散歩や,パラリンピックにもオリンピック貴族として来日し,待機期間なしで入国するなどの暴挙があったにも関わらず,「十分な感染対策をしたから問題ない」というコメントは,やはり逃げたという印象を免れない。あるいは,いいようにあしらわれたような印象を受ける。いずれも,もっと毅然とした対応があっても良かったのではないか。

 女性がリーダーになることにそれほど抵抗はない。バリバリと仕事をしてほしい。しかし,今の段階の各位の意見を聞いていると,まず最初は女性の立場の改善に優先順位が来てしまうのではないかという危惧をしている。つまり,国際問題の3つであるパワー競争,地球温暖化SDGsのうち,SDGsが優先されてしまう気がするのである。

 SDGsは,いわば多様性尊重であり,生き物を含む全員幸福を目指す考えだが,筆者にとっては理想論でしかない。地球の食物連鎖を考えると,自然というのは残酷なものである。その頂点に君臨するヒトの数を産業革命前の数字にまで減らすことしか,基本的な解決策はない。1900年当時の世界人口は16億人だった。現在は80億人になろうとしている。ほぼ10年ごとに10億人ずつ増えている勘定だという。これでは食糧もエネルギーも足りなくなり,地球温暖化も加速していく。その中で,病気を克服し,亡くなる人を救い続ければ,人口爆発はさらに加速することになる。

 地球温暖化に歯止めをかけるための技術開発と投資(国内向けだけでなく世界に向けて発信すること)に最大限の力を注ぎつつ,その政策を世界のとんでもないリーダーに対抗して押し進めてパワー競争にも歯止めをかけ,同時に人口爆発抑制のために,貧困国の教育支援・経済支援をする,という難解な課題が目の前にあることを各候補者は理解されているだろうか。

 日本は,出生率が低下し,人口も減少傾向にある。一般に人口傾向は,女性の社会進出と教育費の高騰によって出生率が下がるという。このことは,地球温暖化への貢献度が高いとも言える。しかし,寿命が延び,高齢化社会になることで,年金問題が大きな課題になっている。また若年層が減ることで労働力が減り,国民総生産も減り,税金収入も減るという問題がある。

 アジアも人口ピークが2050年ぐらいに来ると予想されるが,アフリカは21世紀いっぱいは人口増加が続くという。しかし,中国とインドが現在の世界人口のそれぞれ20%近くを占めており,この2国の人口増加をまず短期間に抑えないと食糧・エネルギーとも一気になくなってしまうだろう。この2国に働きかけられるだけの強靭な政治力を持てる人材が世界にいるだろうか。まして日本はと考えると,恐ろしい未来図しか描けない。

 国というのは1つの拠り所があるから名乗れるのではないかと考えた Islamic Stateが“国”と名乗るのは,拠り所となる中心があるからか - jeyseni's diary 2021/9/21。今,インターネットというせっかくの世界オンラインシステムを,有効活用しているのは,悪事を働こうとしている集団だけである。ネットを通じて,世界中で同じ拠り所を持つ人たちが1つの目標に向かって準備し,行動をしている。それが悪事ではなく,善事に使うようにもっと考えなければならない。ネット上で運営されているミネソタ大学はその典型的な例である。

 この際,フリーメイソンでも,ビル・ゲイツ財団でも何でもいいので,本気で世界を救おうというネットワークができてほしい。日本の歴史で言えば,女性が国民の中心になったのは,卑弥呼しかいないような気がする。女性政治家は,卑弥呼のような中心になれるか,また男性政治家も,国民の拠り所になれるか,そういう視点で,自分の政治家としての人望を測ってみてはどうだろうか。そう考えれば,私利私欲,地方利地方欲,地元票だけのために動くのが政治家ではないと思うのだが。