jeyseni's diary

「ジェイセニ」と呼んでください。批判ではなく提案をするのが生き甲斐です。

「性的志向」と「性自認」を一緒にしてはダメではないか

ここ数回、トランスジェンダーについてコメントした。世の中にはLGBTQというより広い捉え方で性の多様性が議論されているが、トランスジェンダーの課題は少し視点が違うと思ったので、コメントにまとめることにした。

 トランスジェンダーは自身の身体的な性と心の性が異なることを指している。つまり、「性自認」の問題であり、つまり自分だけの問題である。一方、L(レズビアン)、G(ゲイ)、B(バイセクシャル)は、「性志向」の問題であり、セックスの対象としての相手の存在が関わってくる。

 したがって、トランスジェンダーの課題については、トイレと風呂という場所の問題としてコメントできた。しかし、LGBについては、場所は関係なくなる。ただ、共同生活するための住居や結婚制度、相続制度。家族制度などの障害が出てくることが予想され、問題解決の流れはまったく異なると思われるのである。

 ステレオタイプな筆者としては、LGBはいわゆる同性愛であり、本人同士が了解していれば問題ない。セックスの志向も、どうぞご自由に、と言える。ただ、子供は養子ということになり、それこそ親ガチャの歪んだ考えを押し付けることになる。子供が柔軟な発想であればいいが、筆者のような堅物だと悩んでしまうかもしれない。

 一般の夫婦や若いカップルでも、今の日本ではまだ性の解放は限定的である。欧米と違って、キスや抱擁の習慣が定着していないため、街中での交遊シーンにはまだ賛否がある。ところが、なぜかLGBの人たちは、意図的のように街中でベタベタとした態度をとる傾向にある。私的空間では何があってもいいが、それを公的空間に持ち込まれるので、反感を買われるのではないかと思ったりするのである。

 トランスジェンダーについては、心の問題であり、社会もサポートすべきだと思う。ただ、自分が女性だと認識して、「なりたい女性像」がオシャレやファッションというのでは、女性(という価値観の)蔑視ではないかと思うのである。

 仕事や教育などに男女差はない。何をもって「自分が人間としてできるか」を考えた上で、そこに男女の価値観が必要なのかどうかを考えるべきではないか。「性志向」は人にとって表舞台の問題ではないと考えるのである。