jeyseni's diary

「ジェイセニ」と呼んでください。批判ではなく提案をするのが生き甲斐です。

教育改革の提案--やりたいことをやらせる

筆者の人生を振り返ってみると、実に平凡で地味だったなと感じる。マジメに勉強し、飛び出ることは何もなかった。戦後、日本が最も伸びている時期の教育であり、ちょうど技術革新の真っ只中で、ゼネラリストもスペシャリストもどちらも求められていた。筆者は、スペシャリストへの勉強に取り組み、最後にそのスペシャルを活かしたゼネラリストの道を進むことになった。一般教養も専門知識も役だっている。

  その側線に、小学生6年から聴き始めた英語教育があり、さらに低学年から参加したボーイスカウト活動があるのを感じる。この側線による人生の膨らみは大きい。

  高校までの教科は、基本的にみな面白かった。大学の教養課程でさらに幅が広がった。専門課程で挫折したが、パソコンやプログラミングとの出会いがその後の人生に役立った。何が起こるか分からない。

  今の高校までの教育は、量が多すぎるのと、成果主義に走りすぎている。その上にアクティブラーニングだの探究型授業だの、学級単位の行動を求める時間が増えつつある。これらの方法で創造性や自主性を磨くというのは、単なる理論上の効果でしかない。

  筆者が高校までに学んだ内容は、恐らく現在の知識の1/3ぐらいではないだろうか。特に、生物系は20世紀末のバイオテクノロジーの進展によって、極端に知識が増えている。正直、一般社会生活ではまったく無用な知識であると見える。数学でいえば、専門課程で学ぶ偏微分方程式が一般社会に関係無いようなものである。三角関数も、ほとんど関係無いか、これは式の変形の頭の体操みたいなものである。決して、公式を覚えることが目的ではない。

  大学受験という線引きまでは画一的な教育をするという今の教育課程は、多くの知識を詰め込んだために脱落者を多く生み出した。一方、脱落せずに知識だけで一流大学に進んだ者は、三角関数微分もバイオテクノロジーも関係無いクイズ王やYoutuber 、ゲーマーなどになって、遊びながら金儲けに走っている。まったく日本のGNP に貢献していないのである。

  中学までは一般教養を学び、そこからは自分の好きな道を自由に進ませた方がいいのではないか。そして、世の中にどんな仕事があるかをみんなで知る機会を持つ方がいいのではないか。

  今の教育指導要領を、恐らく多くの先生も消化できていない。文科省の言いなりで進めているに過ぎない。もっと自由な学びがあった方がいい。

  ただし、日本語と英語の能力だけは必須である。