jeyseni's diary

「ジェイセニ」と呼んでください。批判ではなく提案をするのが生き甲斐です。

「批判」は「否定」と同じ--何も生まないし,足を引っ張るだけ。創造なくして前進なし。

「批判家」という肩書で仕事をされている方がおられることを初めて知った。「批評家」なら理解できるが,批判家と言えば「相手を批判するだけ」「文句を付けるだけ」という印象を受ける。「常に反対する人」というイメージなのだが,それでいいのだろうか。

 批評であれば,相手の考えに対してプラスマイナスの意見を述べるというイメージがある。意見に強さのさまざまなレベルがあるように思え,考えに幅があるという理性を伺わせる。批判は相手を否定することである。あえて「批判」と名乗るのは,悪役に徹したいという意味だろうか。

 相手を常に批判する,というと,政権政党に対する現在の野党のことを思い出す。この政策はダメ,あの政策もダメと,即座に否定する。政策に関係のない過去の履歴やカネのやり取りのほじくり出し,発言の揚げ足取りなどを常に準備する。

 筆者は,このブログのプロフィールに「批判ではなく提案をするのが生き甲斐です」と書いている。テレビのワイドショーでも,コメンテーターと呼ばれるゲストが毎回呼ばれるし,専属コメンテーターも毎週登場する。コメントは「批判」と訳される。つまり「ノー」と言わせるための存在である。オピニオンなら「意見」であり,その人の考えを聞くことができる。筆者の「提案」はプロポーザルである。新しい建設的な方法を述べることである。

 批判家は要するに「ノー」と言うだけの人である。コメンテーターには「ノー」と言わせるだけである。政策や提案を作るには時間がかかる。しかし,それを否定するのは,一瞬である。まさに一言で済む。時給にすると,いい稼ぎになるのだろうか。批判家と言うより,むしろ「否定家」と言った方が正しいのではないか(はい,これも筆者からの提案です)。

 今回のCOVID-19第6波における蔓延防止等重点措置の発令についても,多くの意見がある。筆者も,以前と同じような飲食店制限ではダメだと思い,「新・重点措置」を提案している 新・重点措置の提案--移動する人のPCR検査を職場,公共交通機関全体で実施し,飲食店は通常営業で経済を止めない政策を - jeyseni's diary (hatenablog.com) 2022/1/18。飲食店の制限ではなく,公共交通機関が対応する案についても,鉄道会社と飲食店が交代。人流を抑える新たな対策を提案 - jeyseni's diary (hatenablog.com) 2021/5/7に提案している。

 残念ながら,プロポーザーである私ジェイセニは時給0円であるし,これを仕事にするつもりもない。黒子に徹したいと思うからである。まぁ,常に正しい意見や提案ができる自信がないということもあるからである。