jeyseni's diary

「ジェイセニ」と呼んでください。批判ではなく提案をするのが生き甲斐です。

「憧れの仕事」のレベルがここまで落ちたか--CMにみる芸人台頭

コンビニ商品を推薦するコマーシャルで、推薦者にお笑いタレントの1人が登場していた。かねてより、テレビCMでは,酒類とクルマ以外はすべてお笑いタレントが席巻していることを指摘してきた 今の俳優さんは大変だな,と思う件 - jeyseni's diary (hatenablog.com) 2021/3/10。

  CM への起用は、人気のバロメーターでもある。お笑いの人気が高まっているのも確かである。そもそもテレビドラマ俳優は知っていても、映画俳優や舞台俳優ははるか遠くの世界の人であり、むやみに商品宣伝に使うことは畏れ多いことだった。それだけに、話題にもなった。

  はるか遠くの世界だが、これまでは庶民にとって憧れの世界だった。映画館や劇場という限定された空間でしか会えない特別の存在だった。しかし、もう遠すぎて、憧れを抱けなくなり、理想像から消えてしまったという感じである。

  かつて、映画俳優は「憧れの仕事」だった。容姿に自信のある人なら、主演を勝ち取りたいという思いで俳優の道に入った。今は、テレビのアイドルへの道がまず登竜門で、そこで容姿のいい人が集まってくる。そして映画の主役の席が回ってくる。映画に世界に最初に進む人は、おそらくほとんどいないのではないか。

  つまり、テレビに出ることが、「憧れの仕事」となった。渋谷や原宿でスカウトされるのを期待して自己主張しながらウロウロする若者は多い。

  さらに、Youtubeのように、自ら情報発信して売り込む形も定着した。憧れというものがなくなり,自分の好きなことを披露することでおカネが稼げる時代になった。目指す仕事のレベルがどんどん下がっているように感じる。

  かつては、「末は博士か大臣か」と言われたものだが、どちらも人気はサッパリ。医者も弁護士も、苦労して勉強した割に、かつてほど収入も高くなく、責任ばかりが多い割に合わない仕事になっている。

   そこで、手軽に自己主張してカネを稼ぐ仕事が、当たり前になっている。正直、かつて芸人と言えば巡業、旅役者という形の路上生活者であった。劇場ができ、寄席ができても、巡業に変わりはなかった。

   今や、テレビとSNSで物理的な移動巡業はなくても、視聴者や読者が付いて来る。だれでもエンタテイナーになれる環境で、熾烈なアピール合戦になっている。

   カネが稼げることが世の中では評価される。このコロナ禍の最中に、自分のカネをどう使おうと自由とばかりに宇宙旅行に行ったほぼ芸人起業家がいた。本当にこの程度の人間が世の中のカネの大半を握っているかと思うと、いかに人生の目標のレベルが落ちたかと嘆かわしい思いである。

 仕事というのは,人のため,社会のために役立つ何かを創造していくことである。人間にとってエンタテインメントは必要な要素の1つだが,お笑いだけ聞いていても生きて行けない。お笑いがお笑いを評価して拡大するというおかしな増幅ループに世の中が巻き込まれていないだろうか。視聴率だけで広告費を投入する価値があるのか,広告主にも再考をうながしたい。