jeyseni's diary

「ジェイセニ」と呼んでください。批判ではなく提案をするのが生き甲斐です。

「ニュース」って何のため? --視聴者に何を伝えるのが目的なのかわからない

筆者は,ジャーナリストとして専門雑誌社30年,専門書出版社10年のキャリアがある。雑誌社では,スタッフ・ライター制で,社員が記者であり,自らの問題意識でテーマを決めて取材し,自ら文章をまとめて読者に提示してきた。今何が問題で,それに向けて関係者がどのような動きをしているのか,そして将来どの方向に向かうのか,さらに向かうべき方向と課題の指摘などを書いてきた。

 取材を重ねるうちに,自分の仮説が正しくない場合も出てくる。その場合もきちんと検証し,より現実に近い視点にまとめ直して提示してきた。

 専門書出版社では,自ら記事を書くことはなくなったが,企画を立て,その企画に最適な監修者に依頼し,全体構成を固めて執筆依頼をするのが仕事になった。企画を立てる段階で書籍のタイトルが決まる。執筆はその書籍の目的に合わせて書いてもらうので,企画から外れることはない。「こういう内容・趣旨の書籍を読者に届ける」という視点が重要であり,その企画力が出版社の生命線である。

 小説家は,基本的に誰の制約も受けない。自分が書きたいことを勝手に書くだけである。そしてそれを出版する出版社は,単に小説家の作品を形にして販売するだけである。自社で発売して適切かどうかだけ判断すればいい。また,売れる作家を抱え込むのが仕事である。出版社の視点も何もない。

 2022/4/23現在,ニュースが伝えているのは,ウクライナ情勢と新型コロナウイルス情勢,そして政治・経済・国際・社会・スポーツ・季節の話題である。ウクライナ情勢では,現地レポーターからの中継,他国メディアの論調の紹介,政府関係の発表などを「事実」として伝えている。新型コロナウイルス情勢では,今日の感染確認者数と前週からの増減,重症者数,死亡者数を「事実」として伝えている。政府の発表はそのまま映像で,海外メディアも和訳を付けて流すだけである。

 ウクライナ報道で目につくのは,現地取材での破壊された街の様子や逃げられないウクライナ国民へのインタビュー,ウクライナ側,ロシア側のそれぞれの政府関係者の発言を伝えるほか,日本国内での支援の輪の様子が取材されて紹介されている。

 個人的に感じるのは,ニュースメディアが「何を伝えるのが目的なのか」がわからないことである。ニュースは事実だけしか伝えられないが,その事実が本当に公正な視点で取材されているのかが疑わしいからである。

 最も疑問を感じるのが,地震報道である。地震があったという事実,各地での揺れがどの程度だったかという事実,その後に津波が来るかどうかの事実について報道されるのは結構だと思う。ただ,地震は1分で収まる。各地の震度を繰り返し延々と30分以上も伝える必要があるのだろうか。余震の可能性や津波の可能性を伝えるのはいいとして,いったん収まった地震二次被害が出ることは滅多にない。

 その後の各地の被害状況の報道では,被害のあった個所を見つけて報道しており,被害のなかった個所の報道は一般的に行われない。塀が倒れた,コンビニの棚の商品が崩れた,などと報道されても,おそらく取材のクルマで走り回ってようやく見つけた被害個所を報道しているだけなのではないか。阪神淡路大震災東日本大震災クラスならともかく,震度5程度の地震で延々と被害状況の報道を繰り返すのはおかしいのではないか。

 実際,地震の揺れも感じなかった地域の人にとって,通常番組がカットされるという不満もあるし,被害を受けた個所が市中の数ヵ所で,その個所の報道が流されれば,大きな被害だ,と思い込むかもしれない。要は,報道側が視聴者の気持ちを揺さぶる映像だけをわざと取得して流しているだけのように思える。

 もっと酷いのが台風中継である。上陸予定地に行って,レインコート姿で現地レポートをするのだが,画面で見る限り大した雨風もない状態で,「ときどき木々が大きく揺れています」などと報道されても困る。逆に「大した規模じゃないのかな」と信じさせてしまうかもしれない。

 新型コロナウイルスは,感染者や感染者の家族にとっては深刻な問題である。本人にとって感染するかしないかは「1か0」かであり,1で陽性になった場合は,いきなり命の危険と直面することになる。たまたま,オミクロン変異株では感染力は高いが重症化リスクは低く,自宅隔離で治るケースが多いが,運悪く重症化してしまったときの死亡確率はデルタ株のときよりも高い。しかし,ニュース報道では,「前週比で増加したから深刻」「前週比で減ったから改善」と場当たり的な報道をしているだけにしか見えない。「感染確認者数は減っているが死亡者数は高止まりになっており,医療機関では引き続き深刻な対応が続いている」という報道はまったく行われない。

 天気予報は,今日1日,今週1週間,今月1ヶ月などの天気の予報を伝えている。これは画面に一覧表示されればそれで済む。しかし,天気解説を聞かなければ,記号や数字の裏にある予報の背景を知ることができない。「晴れマークは出ていますが,大気状態は不安定なので,折りたたみ傘をお持ちください」と分析が加わるから意味がある。ニュースも,数字や映像だけで事実が伝えられるなら,解説は要らない。事実を伝えるとともに,責任のある分析を伝えるのがニュースではないのだろうか。その解説を常に「専門家」のインタビューで済まそうとしているが,専門家は正直言えば,本音を言って予想を外したら自分の仕事に関わるので,絶対に結論は言わない。「なんで専門家が出てきているのに,一般人のコメント程度のことしか言わないのかな」といつも思っているが,それは彼ら自身の保身のためである。

 ニュースキャスターは,ただ原稿を読むだけだったら,現在ならAI音声で流せば済む。実際,NHKではすでに,AI音声によるニュース提供が始まっている。読み間違いもない。キャスターに必要なのは,ニュースの事実を見て,これをどのように視聴者に伝えるべきかについて,番組スタッフと慎重な議論をしてニュース報道に臨むべきだと思うのである。単なる素人的な感想を述べるだけなら,それはまったく時間の無駄である。

 一方で厄介なのが,ワイドショーのMC(司会者)である。ワイドショーはエンタテインメントである。おもしろおかしく物事を解釈して伝え,視聴者が楽しめればいい,という視点で作られている。したがって,MCは自分の思い描いた方向に情報操作することがMCの仕事だと思い込んでいる。ゲストにコメントを求めるように割り振るのも仕事で,こいつは面白いコメントをするだろう,という素人ゲストやタレントゲストを並べて,基本的にはMCのワンマンショーである。

 しかし,新型コロナウイルスウクライナ侵攻などの深刻な議題に対しても,自分の思いどおりの結論に導こうとする。MCにとって厄介なのは,医療関係者や軍事評論家,また法律関係者が,MCの思い通りのコメントをしないことである。そこで,MCがどうするかというと,「先生が先ほどおっしゃった○○ということは,結局は□□ということですよね」と無理やり自分の論理にねじ曲げようとする。専門家は「それは断言できません」と肯定も否定もしないと,「○○のこともあるが,□□ということもある,ということでいいでしょうか」などと,再び自分の論理に引き込もうとする。まことにタチが悪いのが,ほぼすべてのワイドショーのMCである。これをニュースということは,さらに無理だと思うのである。

 放送局の社員であるキャスターの場合,局の考えを越えて自分の考えを披露することはできない。したがって,事前にじっくり議論して,本当に視聴者に伝えたいことは何かをきちんとまとめて臨む必要があると思う。一方で,フリーのキャスターの場合は,局側はまったくコントロールできないという危険をはらんでいることを認識してキャスティングすべきだと思う。社員にはコンプライアンスがあるが,フリーにはコンプライアンス意識がないからである。もっとも某局のように,社員でありながら無責任なコメントをする解説委員がいたりするのは困ったものである。また,NHKというきちんと教育された局を見限って民放局で自分勝手にコメンテーターとして出演したりしている元NHK社員を見ると,本当に恥ずかしくなってしまう(もっとも,NHK時代にも不必要なコメントばかり出していて,局にも視聴者にも不要な存在だった)。

 ニュースキャスターは,単に原稿を読むだけでなく,その分析と「本当に視聴者に伝えたいことは何か」をきちんと認識すべきだと考える。事実を伝えるだけでは「大変だ,大変だ」とパニックになっている一般市民と変わらない。どう行動すべきなのか,この事実をどう解釈すべきなのか,もう一歩,頭で考えてから報道してほしいと思う。

 特に,ウクライナ侵攻関連で,日本で応援のためにウクライナ国旗の色でいろいろなモノを作って募金をしている,という報道がやたらと目立つが,これは自己満足以外の何者でもないのではないかと筆者は感じることがある。場合によっては売名行為とも言えなくもない。売上の全部を寄付するならともかく,一部を寄付する,といった程度では,便乗商法と見られても仕方がないのではないか。善意ではあるが,疑いも持って見ていないと,とんでもない報道になりかねない。(数年前,「花粉症缶バッチ」が報道され,電車内でくしゃみをしているのは,感染症ではなく花粉症なので許してください,というのをさりげなくアピールするため,といいことずくめのように見えたのだが,値段が1個800円だと聞いて,そりゃボロ儲けでしょ,と突っ込みたくなった。人件費抜きで原価40円ぐらいでできるので,せいぜい100円か150円で販売すべきだと思うのである)。

 ニュースキャスターもジャーナリストであってほしい。視聴者に何を伝えるのが望ましいのか,きちんと考え,社内のコンプライアンスに準じて報道することを心がけてほしい。でなければ,そこらのブログやコラムで勝手きままに発信している自称専門家や自称有名人と同レベルでしかありえない。報道に関わるプロとして,ジャーナリスト魂を持って臨んでほしい。