能登半島で震度6強の地震が2022/6/19に発生し,また6/20にも震度5強の地震が続いた。同じ地域で短期間に連続して起こるのは珍しい。
中継を見ると,一般家屋の倒壊は意外に少ない。というか,どの家も屋根瓦が真新しい軽量瓦で,地震に強い新しい家のように見えた。地方=田舎ではなく,地方=ブルジョアなのかもしれない。都心の住宅や新興住宅街の方が,古い家が目立ったり,粗製乱造住宅が目立ったりしているように見えた。
さて,地震といえば防災カメラやテレビ局のライブカメラなどの映像が使われる。今回の地震でも,珠洲市街を映していた防犯カメラの地震発生時の映像が流れていた。カメラが急に右を向くなど,激しい揺れがあったことが想像される。
しかし,カメラ自身が揺れていては,写っている映像のブレがカメラ自身のブレなのか,被写体のブレなのかがわからない。むしろ,カメラ自身のブレをただ表現しているだけで,これが実際の地震の映像とはとても思えないのである。
地震の映像を写すなら,まずカメラ自身が免震構造物の上に載って,自身が動いていないことが大前提となる。その上で,被写体となる電柱の揺れや家屋の揺れ,電線の揺れなどを写さなければ,地震の揺れを写したことにならない。
まず,中継用のカメラはすべて免震構造の上に設置されるべきである。大手放送局は,マラソン中継などで手ブレや中継車の揺れをキャンセルする免震装置を持っているはずである。地震の中継をするなら,この免震装置を使ったカメラで中継すべきである。
これは地震計の常識である。地震計の針は地震に寄って動くが,その本体は地震から切り離された免震構造の上にある。だから針と本体の差分の動きを記録できるのである。本体が地震で揺れていては何の意味もない。
地震の中継映像が流れるたびに,ああまたカメラが揺れている映像が流れている,と憂鬱な思いになる。また,街中の被害状況の取材でも,倒れた鉢植えだの,落ちた看板だの,倒壊した鳥居だの,とにかくピンポイントでしか中継しない。おそらく,100軒あれば実際に倒壊するのは1軒か2軒である。それをいかにも,地震の影響で倒れたほど大きな地震だった,と言わんばかりに撮影して放映する。放送人は,とにかく被害がある状況を伝えるのが使命だと思っており,「倒壊した家も数件あるが,大部分が被害を免れた」とは報道できない宿命を持っている。
津波警報が出ても,実際に津波が到達したかどうかわからないし,10cmでも津波だと伝えなければならないという使命がある。東日本大震災の30m級の津波は例外である。。
「自然災害が起きても1人でも多くの命を救う」と岸田首相が宣言していたが,本来は「1人の死者も出さない」と言い切るべきところではないのだろうか。10000人が亡くなっても1人でも2人でも命が救えれば,それで行政の使命を果たしたことになるのだろうか。
相変わらず,COVID-19では毎日20人前後の死亡者が出ている。交通事故では,以前より減ったとはいえ毎年8000人の方が亡くなっている。ワクチンも特効薬もあるはずのインフルエンザですら,年間3500人の方が亡くなっている。まだまだ安全安心な社会ではないし,COVID-19を甘く見るには早すぎると筆者は考えている。
皆さん,もっと「常識」を養いましょうよ。ダジャレクイズばかりに喜んでいる東大生を見るにつけ,やはり日本の将来を危ぶむ気持ちは変わらない。