jeyseni's diary

「ジェイセニ」と呼んでください。批判ではなく提案をするのが生き甲斐です。

容姿は持って生まれたモノ。「笑顔」という表現力は努力が必要だが必ず報われる

テレビ各局の女子アナウンサーカレンダーの話題を読んだ。モデルとなるのは20代ばかりで、アナウンサーの仕事とは関係ない点で作られていることや、カメラアングルが足先から上に向かうことなどが書かれていた。

   おそらく、ジェンダーによる扱いの差について批判したかったのだろうと思う。

   しかし残念ながら、テレビに顔を出すアナウンサーにビジュアルが求められるのは理にかなっている。またアナウンサーを目指す本人も、ビジュアルを1つの武器にして応募しているはずである。

   もちろん、若い女子アナウンサーをカレンダーにするというのは、誤った考え方である。視聴率を上げたい、美人アナウンサーを起用する、商品化する、人気が上がる、という局にとってのプラスのスパイラルを利用していることは、女性に対するハラスメントである。SDGsLGBT だと取り上げているテレビ局としては、矛盾している。「女子アナカレンダーはやめるべきだ」と内部から動かない限り、局主体のビジネスとして商品化されても仕方がない。

   局がしなくても、この手の下世話な出版社は山のようにある。カネを積んで話を持ちかけて、多大な利益を得ようとするだろう。ならばというので、局自身が自分の権利のように、社員を商品に使っていることになる。やはりこれはおかしいことである。

   では、被写体を男性や年齢関係なしでカレンダーを作るかといえば、それはほとんど作られないだろう。需要は多少はあるかもしれないが、限定的である。誰も商品として求めていないからだ。

   美人コンテストがなくなり、水着審査もなくなった。とはいえ、美形でスタイルのいい女性が、社会の中では特別な存在にあることは間違いない。人は容姿だけでなく、考え方や性格も総合的に判断するべきだが、中身がどうあっても美男美女が有利なことに変わりはなく、その他大勢は悔しい思いをするのである。

 美男美女のもう1つの優位な点は,「笑顔」が映えるところにある。これもブ男である筆者のヒガミではあるが,美男美女は小さいころから常に褒められ続けてきているはずである。自分の親からも,そして周囲のほとんどの人からも,褒められ,愛され,可愛がられてきている。写真でポーズする場合も,おそらくほぼ笑顔である。これによって,自然に笑顔でいる時間も長くなり,より洗練されてくる機会が多い。

 一方,普通の人は親を含む周囲から「可愛い可愛い」と呼ばれ続けることもなく,他人から注目されることもなく,普段の顔のまま成長する。笑顔になる機会は本当に少ない。写真を撮られることもそれほどない。筆者のように「自分は真面目が取り柄」みたいな意識になり,もてない男,もてない女になっていってしまう。

 しかし女性の場合は,年頃になって髪型や服装などに気を使うようになり,鏡を見ることも多くなる。自分をより魅力的に見せるために,表情も作っていくし,それに合わせて化粧にも挑戦していく。鏡を見て,自分を見て,自分を褒める,あるいは自分で褒められる自分になる,という気持ちで表情や表現を磨いていき,実際にそれが女性の魅力となっている。

 これに対して男性は,鏡を見ない。いつまで経っても「自分がどう見られようが自分流で行く」のが格好いいと思っている。「外面ではなく内面だ」と粋がって,知識をひけらかし,知ったかぶりをし,相手をリードしようとする。昨今の東大生の雑学学部は,東大という看板を不正利用した詐欺にも思える。自分たちが相手より優れていると言わんばかりの行動が,筆者にはかえって逆効果になっている。ただのタレントであり,日本のためにまったくなっていないし,それどころか日本のレベルを落としているだけである(いや,これを言いたいわけではないが,筆者の視点で言うとどうしてもここにつながってしまうのである)。

 2000年以降,韓国のK-POPが日本はおろか世界を席巻してしまった。筆者から言わせると,整形手術も含めた行き過ぎたビジュアルの作り方があると思うのだが,それだけではない歌と言葉(言語)と身のこなし(ダンス)という表現の才能があると感じる。かつて,アメリカの黒人がストリートダンスを世界に押し上げたように,韓国のミュージシャンはダンスで新しい世界を開いた。J-POPが結局日本ローカルから抜け出せないのと対象的である。どんなにがんばっても「K-POPのマネ」にしか見えない。表現力が足りないのである。韓国のプロデューサーが日本人を集めて作ったグループも,結局1年でほぼ消えてしまった。

 自分を表現することは,失敗のリスクもある。世界のYouTuberが非常に先鋭的で独創的である意味危険な表現でオンエアーして賛否両論があるものの,ある意味ですごいと思うこともある。一方で日本のYouTuberは,ダラダラしたおしゃべり,コミックのような文字表現のインポーズ,自宅の自室での安易な撮影で,笑いを取りに行くだけのゴミ表現ばかりである。これに広告費を出すスポンサーがつくことが,また信じられないところでもある。

 特に男性は,ただでさえむさ苦しいのに,どっきり以外で映像には出てほしくないものである。もっと表現を磨け,と言いたい。これは昨今のお笑いタレントにも言いたいことと同じである。ただ大声を出す(恫喝である),切れたようなやり取り(ケンカである),そして肌の露出(公序良俗違反およびセクハラである)など,実に発想が貧困である。もちろん,これを喜ぶメディア側や一般視聴者側にも問題があると思っている。

 ということで,女性は自分がいいと思う表現を磨くことで,自分で生きる方向を見つけてほしい。逆に男性は,社会的動物として世の中が自分をどう見るかも含めてより思慮深い表現を考えてほしい。そして,人間が他の生き物と違う「笑顔」という表現力をある程度努力して身に着けることで,自分の社会性をアピールすることが,求められると考える。