jeyseni's diary

「ジェイセニ」と呼んでください。批判ではなく提案をするのが生き甲斐です。

顔出しで人生が変わる--慎重な行動が必要なのではないかもう一度考えよう

事件や事故があると、一般に人からの写真や動画が発信される時代になっている。かつては、新聞への投稿しかなかったが、今は匿名で即座にインターネットにアップされる時代である。

   投稿写真は、投稿者もまたその被写体も、プライバシーが知られるという危険性がある。場合によっては冤罪に巻き込まれないとも限らない。実に危険である。

   電車の中での居眠り姿を高校生がアップして、会社を辞めることにまで発展することもある。お互いに悪気がなくても、被害が拡大することもあるという例である。

   誰が写真を撮っているかわからない時代である。何に使われるかもわからない。いったんネットに上がったデータは瞬く間に拡散し、二度と消すことができなくなる。若いころのヤンチャな行動が終世付きまとうことにもなりかねない。

   行動は慎重にするに越したことはない、という話である。

   実際、スシロー事件では、加害者の個人情報が飛び交っているようである。自業自得とはいえ、悔やんでも取り返しの付かないことである。

 筆者も,今日は行きの電車でも帰りの電車でも,隣に座った人から嫌な思いを受けた。この状況を,だれかが撮影していたとして,ネットにアップしたとすると,筆者が被害を受けていることは確かであり,加害者を特定できればその人の人生がどん底に落ちる可能性もある。しかし同時に,被害者である筆者の個人情報も拡散し,被害者である筆者がさらに不特定多数から被害を受ける可能性も否定できない。

 最近,スマホだけでなく,一眼レフ型のデジタルカメラを持ち歩いている若者をよく見かける。多くの人は,インスタグラムなどにアップする写真を撮るのにスマホに飽き足らなくなっているのだという。さらに昔のフィルムカメラを買う若者も増えているという。風景ならいいが,人物が対象だとトラブルの原因になることを認識しているのだろうか。肖像権の問題も起きるからである。

 筆者はこの後も黒子で生きたいと思っている。顔出しなどごめんである。