jeyseni's diary

「ジェイセニ」と呼んでください。批判ではなく提案をするのが生き甲斐です。

エンタメは座敷芸--仕事とそのルーツを考えてみた

ヒトは生物の中で唯一,「喜び」を求める生きものである,と最近書いた 「目的地」と「リアル」を目指したい--人生の生き方として - jeyseni's diary 2023/4/22。エンタテインメントは,まず小さな集まりの中で始まり,喜びを分かち合って広がってきたのだろう。人類にとっての潤滑剤であり,前向きに,そして外向きに生きるためのエネルギーとなっていったに違いない。このエネルギーによって人類が進歩し,新しいものを作り出し,文化を形成していった。

 鼻歌から始まった芸が,やがて音楽になっていった。語りがやがて,話芸に,手技がやがて,手品などに発展していった。個人からグループに拡大し,地方に移動して拡散し,逆に劇場やホールなどの固定の活動の場を作ってお客様が集まる場となっていった。

 ラジオ,テレビ,そしてインターネットがネットワークで情報を拡大し,家にいても,そして個人の机の上でも,さらに移動しながらでも,音楽や動画,情報,ゲームなどを楽しめるようになった。

 エンタテインメントは,場の雰囲気を楽しみ,喜びを分かち合うことに意味があると思う。テレビで野球観戦するよりも,野球場に行って応援する方が楽しい。いくらいいイヤホンで聴くよりも,コンサートホールで音楽の響きを肌で感じる方が感動する。ネットワーク技術は,だれでもいつでも楽しめる環境を作ったが,喜びを分かち合うという環境をなくし,個人の楽しみの世界に入り込んでしまう道を作ってしまった。これがいわゆるオタクの世界を急速に形作ってきた理由ではないだろうか。オタク同士の横の交流はほとんどなく,むしろ競い合ってしまう関係になっているのではないか。そこにさらにねじれた感情が生まれてしまうような気がする。

 演じる側も受け取る側も,個人の自由が許される時代になった。かつては,たとえばレコード会社が新人発掘のオーディションをしたりして育てて行ったが,現在は才能のある個人がインターネットで自ら音楽を発信できるようになり,そのうちの一部が話題となって行く。なんでもアリの状態になっている。かつては,都会のビルの地下の狭い部屋で開かれていたアングラ演奏会が,いまや堂々とYoutubeに発表される。しかも,リアルの人間ではなく,バーチャルな動画としてアップされ,人格がキャラクター化されている。いまだに顔を出さないアーティストもいる。

 この多様性の爆発は,何を生み出すのだろうか。肯定するか否定するかはともかくとして,これまでのいわゆる伝統文化を破壊していく結果につながっているように筆者には見える。

 これまでも,絵画や音楽,歌舞伎,バレエなどにおいて,前衛的な作品が生まれ,それまでの常識を壊した新しい作品が生まれている。しかし,これまではその動きに伴う流通や情報発信,価値作りが一種の経済活動として形成され,市場と経済構造が生み出されてきた。

 しかし,ネットワークを通じた多様なエンタメの発信は,ただ時系列に沿って羅列的に発信され,周囲を巻き込んで流れ,そして消えていくことを繰り返しているだけのように見える。いわば「使い捨て」のエンタメである。スポーツ選手なら,身体能力の高い若い人材が登場することで,淘汰されていく運命にあるが,エンタメでもこれを踏襲していいのだろうか。文化が形成されないのではないかと感じる。

 かつては,子供の将来の夢は野球選手であり,今ならこれにサッカー選手が加わる。ゴルフのプロを目指す子供もある。才能を発揮し,一気に稼ぎ,名声も得て一生を楽に過ごす,そんな夢を見るのだろう。ここに,近年はエンタメが加わり,Youtuberがなりたいものの1位に踊りでたこともあった。スポーツは1つのルールの中での文化を形作っているのに対し,エンタメにはルールがまったくない。まったくの個人技になってしまう。それで一生を過ごせるのかという心配がある。

 もともとは小さな集団の中のささやかな楽しみから生まれたと思われるエンタメだが,ネットワークが生まれるまではいわば「お座敷芸」だった。日本だと踊り,謡,三味線,海外だと宮廷音楽など,いずれも身体を張って芸で身を立て,生きるためにあらゆる要求に応えるという世界である。しきたりも厳しければ,多くは身を売るような世界でもあった。そのウェットな世界が,ネットワークやメディアを通じて拡散することで,これまでの社会の理性が破壊されてきた。ポルノ解禁,ヘアー解禁などよりもさらに衝撃的なカオス解禁が現在の動きである。

 スポーツも,もともとは猛獣との格闘で命と引き換えに場に立ったものである。そこに次第にルールが生まれ,命を奪わないで勝負を決めることで競いあうようになった。命を奪い合う戦いを防ぐための人類の知恵でもあったのだが,なぜいまだに戦争や内紛が絶えないのだろうか。

 今のエンタメ界は,あまりにも軽すぎる。命がけで芸に臨むという姿勢が見られない。ただ大声を張り上げたり,コンピュータの力に頼ったりしている。インターネットでの自己配信はともかく,大手テレビネットワークや広告業界までが,これを利用して囃し立て,使い捨てるのを見るのが情けない。

 芸能界という敷居が一気に下がった,というか無くなった。だれでもすぐに自分を売り出すことができる。かつて,芸能界に子供を送り込もうという親がステージママ,ステージパパとして必死になっている姿が報じられた。現在は,子供と一緒になってYoutuberデビューする親も増えている。仕事としてそれだけの価値があるのかなと思ったりするのだが,筆者の考えが古すぎるのかもしれない。

 そのために化粧やアクセサリーから始まって,整形まで進めていく若者も増えている。前にも書いたが,筆者にとって今の若者がほとんど同じような顔に見えるようになったのは,同じような整形を施されることも原因の1つではないかと思うのである。何か,目指す方向が違うような気がする。

 エンタテインメントは,ヒトにとって欠かせない要素だが,すべてではない。まず真剣に今の地球,そして人類の将来を考えて,今何をすべきか,考える必要があるのではないだろうか。