jeyseni's diary

「ジェイセニ」と呼んでください。批判ではなく提案をするのが生き甲斐です。

「文化」の背景にはカネのニオイ--晴れの日が日常になった現代社会に,汗水垂らす鉄腕! DASH!!が唯一の救いか

日本は今や,「文化」のみの国になったと感じる。正直言えば,これは堕落の道を辿っていることを意味すると言いたいのである。

 事の始めは,アニメーションの出現だろう。紙の上でかつて「マンガ」と呼ばれていた文化が「コミック」と呼ばれるようになり,1つの作品が20話も30話も続けて書籍化され,書店の本棚を占領して行った。これがテレビでアニメ化され,さらにネット配信となり,映画版(劇場版)に展開して行った。コミックの段階で世界各国語版が作られて輸出され,劇場版も各国語への吹き替え,あるいはスーパーインポーズで公開された。「アニメーションという日本の文化を輸出して外貨を稼ぐ」と文化庁が息巻いた。

 しかし,従来型のプロダクション方式では作品の供給が間に合わず,そこに韓国が国策としてアニメーション制作に力を入れた。日本のアニメ作品で,国内で生産しているのはどの程度だろうか。中国もアニメ制作を始め,いまや中国発のアニメも世界的に認知されるようになった。

 ゲームという文化も,ほぼ日本発だろう。ゲーム機本体は日本企業が規格の主導権を握っていた。しかし,スマホにゲームソフトが移植されるようになり,一時期のような勢いはなくなった。ゲームの主人公が活躍する映画が作られ,これがまた世界中で人気を集めているという。

 文化は,かつては金持ちの気晴らしのためのエンタテインメントである。音楽,バレエ,絵画,歌舞伎,曲芸・・・。スポーツも同様である。闘牛や猛獣と戦わせる生死をかけたゲームが,スポーツという命を奪わない範囲で勝ち負けを決めるというルールを持った文化に置き換わっただけである。

 金持ちが作らせたものが巨大な文化遺産となっている。ピラミッドや城もそうだし,神社仏閣も,ほぼカネと宗教の力で作られたものである。

 いずれにしても,この「文化」というものは,時間とカネを掛ければ実現できる。カネをチラつかせればそれに飛びつくのが人情である。そして死にものぐるいで作業するので,他に例を見ない独特なものが出来上がる。ときにはそれが評価されない場合もあるし,後世になって評価されることもある。昔は,命がけだったので基本的に素晴らしいものが出来上がったものと思われる。

 しかし,現在の「文化」は,すぐにコピーされてしまうものばかりである。日本の独特のタッチのコミックも,アニメという世界に入った途端,各国に真似されてしまう。

 伝統芸能も,他文化との交流と称して安易なプレゼンテーションの道に走り,また円安でカネを落としてくれる海外からの観光客への見世物に堕落しつつある。

 特に日本は,すでに製造業が外貨を稼がず,エネルギーも食糧も輸入頼り。少子化で生産性も上がらず,衰退の一途を辿っている。マネーゲームで勝つこともできない。海外の賞を取ったからと言っても,別にそれは空想の世界であり,現実に日本で食えない人がいる事態を改善することにはまったく繋がらない。

 かつての映画俳優は,選ばれた「スター」であった。歌手もスターであった。それは,なかなか到達できない雲の上の世界であり,憧れの気持ちを持つことで日々の生活を送るための糧になっていた。

 しかし,今やエンタメの世界が国民の日常になっている。見て,聴いて,笑って,取り憑かれて,それで燃え尽きてしまい,それを何か生み出すためのエネルギーに変換することもなく,ただ1日が過ぎて終わってしまう。かつては,映画館や劇場,コンサートホールなどの限られた場所が,ある意味で神聖な空間であり,そこから出ることで日常に戻ることができた。しかし,スマホBluetoothイヤホンを手にした現代人は,歩いているときも通勤中でも常にスマホに依存し,そこで提供される動画,写真,SNS,ショッピングなどの情報に埋もれてしまう。何か新しいことを考えることなどしない。

 そして,投げ銭だ,アイテム購入だ,サブスクだ,とエンタテインメントの世界にはまり込み,人生が狂ってしまうのではないかと感じる。

 久しぶりに「ハレ」と「ケ」という言葉が浮かんできた。ハレは晴れ着の「晴れ」であり,非日常である。ケは「」という字を書き,日常のことである。文化やエンタテインメントは,ハレの産物であり,そのためには日常,つまり仕事をしてお金を稼ぐことが必要である。日常あっての「晴れ」である。かつては,1年に1回,あるいは一生に1回しか訪れない晴れの日のために,日常は黙々と働く,ということで生活を維持し,それが最終的に国を支えてきた。

 しかし現在は,ハレ=日常になったような気がする。黙々と働く,何か新しいものに挑戦する,そんなエネルギーが日本に感じられなくなった。ただ与えられたものを無意識に食べ散らかすだけの生き物になってしまったかのように思える。与えられなければ(あるいは得るためのカネがなくなれば),人から借りて借金地獄に陥ったり,犯罪に手を染めたりすることが簡単に行われる。組織的な集団生活ができないので小規模の仲間集団を作り,イジメや犯罪に進んだりする。

 みんなが汗水垂らして働いて,充実できる日本が戻ってきてほしい。単なるエンタメではなく,環境問題や廃棄問題などの目標を持って体当たりしているTOKIOの「ザ・鉄腕!DASH!!」が,いつも新鮮である。今のところ,ジャニーズ事務所の活動で,唯一応援している企画である。逆にお涙頂戴型の「24時間テレビ」には,基本的にまったく賛同はできない。