jeyseni's diary

「ジェイセニ」と呼んでください。批判ではなく提案をするのが生き甲斐です。

「政策」で勝負してほしい--相手の人格を否定するような政治家はゴメンだ

医者や学者の世界では,いまだに厳然とした「学閥」が存在する。出身大学によって優劣を決めつけてしまうケースが多いらしい。実際は,手術の技術だったり,研究内容で評価すべきなのだが,完全に学閥の傘にすがってしまうようである。

 法曹界も学閥があるようである。しかし,実際は法の解釈の深さや,ケースの読み方によって,結果が変わってくる。検事と弁護士の戦いであっても,そこには真実があるからこそ,勝ち負けが決まる。

 一般企業では,顧客に対する製品やサービスの内容,適切な価格が勝敗を決する。勝者と敗者はほぼ明確に決まる。恨み言を言っても始まらない。いいモノが勝つか,価格で勝負するか,それは顧客が決める。文句の言いようもないし,相手を恨んでも所詮はこちらの負けである。逆にもっと良いものを作ろう,という意識が働かなければ,そこで勝負は終わりである。もちろん,政治力が働くことによって,特定の需要に対して応えることで法外な値段でも売れるという市場もないわけではないが,それは経済の原則から外れた政治の世界である。

 ところが政治家の世界は,なぜか「相手の人格否定」ばかりが目立つ。政治家個人もそうだが,政党を含む政治団体も,自分は正しくその他は正しくない,という全くの排他主義であるように見える。相手の存在そのものを全否定して自分たちの正当性を主張する。

 政治家や政党を選ぶのは国民であり市民である。その評価の対象となるのは,その人の人格,その人の主張,そしてその人の政策である。

 しかし,まず「政策」ありきでしょ,と筆者は思うのだが,その政策には多少の違いはあっても評価できるような明確な差はほとんど見当たらない。「誰が当選しようが,われわれ国民の役に立つ仕事をしてくれればいい」という気分になる。

 そうすると,政治家そのものの人間としてのイメージが先行してしまう。人気タレントを起用したり,別の世界で活躍した人物を立てたり,ここぞとばかりに女性候補を擁立したりする。政策は,その候補者を公認したり推薦したりした政党が数の力で通す,というのがお決まりのパターンになる。そこでは,政権与党の力で勝負が決まっており,政策も基本的に決まってしまう。野党が不信任案などの動議を出して引き伸ばしを図り,若干の修正は加わっても,結局最後は与党に押し切られる形になる。そこに政策論争などほとんどない。与党の思った通りにしかならない。

 アメリカやイギリスのような二大政党の争いになると,政策の違いがはっきりしており,どちらが政権を握るかで,国民生活も,また世界中が大きく変わる可能性が高い。しかも,アメリカやフランスの大統領は「個人」の権限が強力で,議会での議論を覆すだけの権力を持っている。イギリスは議会政治が原則なので,首相の個人の権限は限られている。日本も同じである。

 2024年11月5日に実施予定のアメリカ大統領選挙は,民主党のバイデン氏と共和党のトランプ氏の戦いで始まったが,トランプ氏への銃撃による暗殺未遂事件とバイデン氏の撤退宣言により,均衡状態が変わりつつある。8月の民主党候補者確立でハリス氏が選ばれる可能性が一番高いとして,その後の選挙戦を考えてみると,相変わらずトランプ氏による相手の人格否定が延々と続くのではないかと予想される。

 何しろ前大統領であるトランプ氏の政策は,すでに全世界が知ってしまった。これに対するハリス氏の政策は,未知数である。また,世界のリーダーとしてのアメリカ大統領としてのリーダーシップをどこまで発揮できるかも未知数である。国民にとっていい政治をするかどうかよりも,世界中の力学バランスを取れるか,平和や産業発展,そして地球環境などを取り返せるか,などについてどのような答えを出せるのかが未知数である。

 したがって,政策論争でもトランプ氏は有利だと思うのである。これまでのようにバイデン氏に対する汚い言葉を使っての人格否定や政策否定をしなくても,自分の政策の正しさを主張すれば,力のあるリーダー像を表すことができると思う。逆に,政策論争をせずに相手の誹謗中傷を繰り返すのは,逆効果のように感じる。民主党大会での候補者選出後の演説の冒頭で見せたような,落ち着いた姿を続ければ,国民も世界中も納得する部分もあったはずだが,後半は相変わらずのトランプ節になってしまったのは残念である。

 日本の政治にもおかしな面があることが,今回の東京都知事選挙で明らかになった。「なるほど,地方自治においては,市長は大統領なのだ」ということである。その市町村の政策は,市長1人で決めて実行できる。議会の議員は,政党がある意味で数合わせで揃えた一般人の候補者なので,政治に100%コミットしているわけではない。政策を立案するのは市長だけである。

 この地方自治のパターンを東京に持ち込んだI候補によって,都知事選挙が大波乱を起こした。本人も,そして東京都民も,何か勘違いをしたのだろう。これで政治が変わる,といった期待票がSNSYoutube動画を通して無党派層や政治に関心のなかった若者層に響いた。未知数の候補だが,「政治屋は要らない」との過激な一言が,何らかの期待につながったのだろう。

 しかし,地方の市町村政治と違って,東京都や大阪府などの都道府県政治や国の政治は「大統領制」ではない。良くも悪くも,政策を掲げた政党政治である。今後,I氏が政策をまとめて政党を結成できるのなら話は別だが,個人としては中央政治は難しいと感じた。リーダーシップを取れる人物ではないように思ったのである。

 トランプ氏のリーダーシップは,経済人としてのトランプ王国を築いたという実績がベースにある。その経済原理をアメリカ政治から世界政治に持ち込んだことで,これまでにない「合弁」が進みつつある点は気になるが,実績に基づく説得力を持っている。

 さて,政治の世界をもう一度見直したみると,日本では政党政治を背景にヤジ怒号が飛び交い,牛歩戦術で混乱を招くなど,およそ政策論争からかけ離れた場面が見られるし,議会での居眠りやセクハラなど,国民の代表として恥ずかしい場面が見られる。韓国や台湾の議会では,かつて日本の議会でもあったような暴力沙汰も頻発している。

 政党に限らず,会社やその他どの組織でも。それに属してしまうと,変な力学が働いてしまい,個人の能力以上に組織の理屈を振り回したり,不透明なカネの使い方をしたりしがちである。そこに犯罪の可能性も出てくる。政治という組織の中でも,横領やセクハラなどの犯罪が横行し,クリーンな政治家というのがほとんど見かけない状態である。そういう意味で,「政治屋は要らない」発言はインパクトがあったとは思う。

 筆者もかつて中学生のころは,「政治家」を目指し日本をいい国にする,と卒業アルバムに書いた。しかし,実際の泥沼政治を見るにつけ,この政治の世界には足を踏み入れることはできなかった。あまりにも人間関係がドロドロしているからである。相手の人格を否定するような発言を平気でできるような世界はゴメンである。もっとクリーンな世界,堂々と政策で勝負する世界であってほしい。 

 日本も,経済界出身のリーダーに立ってもらいたい。豊田章男氏がトヨタ自動車会長に--次は日本再生に乗り出してほしい - jeyseni's diary (hatenablog.com) 2023/1/28と書いたのだが,自動車各社の社内不正行為が一気に明るみに出てしまい,豊田章男氏の求心力にも限界があったのかもしれないと,かなりガッカリしているところである。

 アメリカ大統領選挙が今後どのように進むのかわからないが,おそらく民主党候補に選出されるであろうハリス氏には,トランプ氏の挑発に乗ることなく,逆にトランプ氏のこれまでの政策をきちんと批判評価し,自らの政策をきちんと説明することで,世界のリーダーとしての資質を明確に出してほしいと願う。

 逆に日本は,次期首相として名前の上がっている人たちも,野党の党首も,魅力的な人物が見当たらない。かつて新型コロナウイルス対策で活躍した吉村大阪府知事や鈴木北海道知事も,いつのまにか影が薄くなってしまった。筆者的に現在期待できるのは,上川外相に期待--中国の王毅外相と堂々たる対峙 - jeyseni's diary (hatenablog.com) 2023/11/30)ぐらいかな,という気持ちである。