「貧乏人は麦を食え」とマスコミが勝手に発言を切り取って伝えて炎上したのが,昭和25年(1950年)の池田勇人蔵相(当時)の発言だった(【昭和のことば】“切り取られ”発言の元祖 貧乏人は麦を食え(昭和25年) - zakzak:夕刊フジ公式サイト)。いまでもマスメディアも政治家もこの揚げ足取りは得意だし,個人のSNSでも同じような方法で炎上してしまう。言葉の力は恐ろしい。
2000年を境に日本の経済が停滞したが,国民が貯金して消費しないのがその理由だとして,銀行の預金金利より利率が期待できる投資をさせるように課税枠を拡大したNISAが盛んに宣伝された。
株価が上がり,円安が進み,評価額が上がったと思った途端に株価が乱高下し,為替相場も乱高下する。長い目で投資するから数十年先には大きくなる,と言って慌てさせないようにしているが,実際は海外投資家を含むプロの投資家はこの乱高下で利益を出して大儲けしている。一喜一憂している国民は,仕事も手につかない状態である。
さて,ブログの頭に紹介したのは,実はこれはこれで正しいと思うのである。というのも,国を支えるのは農業や漁業などの食を生産する一次産業と,生活を便利にするモノを生産する工業などの二次産業である。要するに,まず衣食住がなければ生活できないからである。
モノを作る産業は,基本的には肉体労働である。毎日汗を流して働き続けなければ,モノはできない。油断をしているとケガをしたり命を失ったりする。常に緊張感を持って仕事をする運命にある。しかし,新しいモノはそこから創造され,価値を作り出して行くのである。ある量を生産するためには,組織が必要になってくる。そしてモノを生み出すためには,設備投資が必要になる。そのためにはお金が必要になってくる。
そこから生まれてくるであろう新しい価値に対して融資という投資をするのが,銀行の仕事である。何年後かにその生まれてくる価値からリターンが得られるという分析と信念によってお金を投資する。相手との信頼関係の中で投資される。この銀行による融資はギャンブルではない。
一般国民は,この銀行のプロフェッショナルな仕事に対して,貯金という形でお金を預け,融資に使ってもらい,そのリターンの一部を利子という形で受け取る。これも銀行の仕事を信じるからである。そもそも,どんな企業がどんなモノを作ったりしているのかを一般国民は知ることができない。もし,そこの株式を買うなどという「投資」をするなら,それこそギャンブルなのである。
現在の政府は,国民にギャンブルすることを推奨している。時々刻々と相場が変わる世界で,モノ作りと同時並行で投資をすることはできない。投資に力を入れるのなら,モノ作りはできないし,さらに衰退していく。
地球温暖化でコメの作柄が不良となり,生産量が減っている。海水温が上がってサカナが取れなくなっている。養殖業も大量死滅している。国際情勢の悪化で,輸入に頼っている小麦や大豆などが供給されなくなる危険が目の前に迫っている。天候に左右されにくい農業の工業化や陸上養殖など,そして自給率の上がらないエネルギーの水素転換など,銀行が投資すべき対象産業は山ほどあるのに融資しない。だからモノ作りが廃れてしまう一方で,国民が安易なマネーゲームにうつつを抜かし,ほとんどの人が財産を失うという流れになっているように思える。
半導体産業に投資したとしても,その先に半導体を活かせる産業がなくなってしまっては,意味がない。今,日本に何の産業が必要かを見極めて集中投資しなければならない時期に,政治腐敗が明らかになって,だれもまともな政治家がいない。そもそも,モノ作りや農水産業を第一に考えている政治家がどれほどいるのか。地元に金をばら撒いているだけではないか。
新プロジェクトXが始まっているが,平成以降にモノ作りでの物語がまったく出てこない。日本の中では話題になるが,世界の中ではほとんど意味を持たない。
地球温暖化対策,食糧対策について,明確な方向性のある産業に注力し,融資を拡大し,国全体,世界全体規模で考えないと,本当に意味のない国になってしまう。まず,国民に「投資というギャンブル」をやめさせ,良いものをしっかりコツコツ作る,というかつての国民性を蘇らせ,節約も美徳と思える謙虚な国を取り戻したい。皆がマネーゲームに走ってしまったら,食べるものを作る人がいなくなってしまう。目先の損得だけで行動してはならないと思うのである。