岸田文雄自民党総裁が、次期自民党総裁選挙に出馬しないことを表明した後、党内の11人もの議員が出馬宣言や出馬の意向を表明している。メディアはその様子を伝え、個別のインタビューを伝え、評論家がそれぞれの予測をコメントしている。今の関心事は、各議員が規定の20人の推薦人を集められるかどうかに集中している。
かつての自民党総裁選は、派閥の争いであり、最大でも5人の候補しか立たなかった。派閥を解消すると宣言後、派閥という具体的な構造は消えたのかもしれないが、元の派閥の仲間というつながりは当たり前だが厳然として存在する。推薦人を集めるにしても、この元派閥の仲間が中心になる。
そして、自民党の総裁が選ばれると、政権与党として自民党総裁がほぼ自動的に内閣総理大臣に任命され、国のリーダーになる。つまり、自民党+派閥の多数の支持によって日本のリーダーが決まる、という構図そのものはまったく変わっていない。
自民党の派閥解消後、自民党を出て新しい党を作るという動きも期待したが、まったく存在しなかった。結局は、仲間は仲間、ということである。その中で、かつて派閥の争いの中でくすぶっていた複数の人物が、独自路線で名乗りを上げている。しかし、そこに勝ち目はほぼ残っていない。
問題なのは、総裁選挙に関わるのが自民党の議員と地方の党員だけであり、この選挙によって自動的に国のリーダーとして選ばれてしまうことにある。つまり、国民の意思がどこにも反映されないことになる。
アメリカの大統領選挙では、各州の国民の投票によって州に与えられた数の選挙人が民主党か共和党かのいずれかの得票としてカウントされる。この選挙の仕組みも不思議なシステムだと思うのだが、少なくとも国民が国のリーダーを選ぶための意思表示をする1票を投じることができる。そういう意味での公平さが感じられる。
日本では、各政党が経済団体や宗教団体などの支持団体を背景に持っている。この組織票は基本的にぶれることがない。ここでも、国民の意思は反映されない。
かつて自民党から出て新政党を作った動きは、見られない。一方で、立憲民主党も党首選挙が行われるが、変わり映えのしない候補しか出てこない。
アメリカ大統領候補には、州知事経験者が名乗りを上げるケースがほとんどである。各州は独立した政治運営をしており、いわばすでに一国の主を経験した人たちである。主張が具体的で政策もすでに作られている。
一方、日本の知事や市長は、政治家としてのリーダーシップからは程遠いイメージがある。自己中心的な人ばかりのように見え、県民・市民の意向を行政に反映させているように見えない。まして、日本のリーダーにふさわしいように見えない。単に人気取りのYoutuberみたいな政治家では、この国は滅びてしまうように見える。
自民党総裁選びは自民党内部で選挙をすればいい。しかし、その次の日本のリーダーである総理大臣を選ぶためには、政権与党内閣が解散・総選挙をするしかない。しかし、なぜ今なのか、なぜ岸田氏は今総裁をやめることにしたのか、もう少し説明がほしいところである。