2024年にノーベル賞を日本が受賞したのがノーベル平和賞だけだったこともあり,その話題で持ち切りである。しかし筆者は否定的である(韓国の非常戒厳--韓国国民のその後行動に対し,平和ボケした日本ではピンと来ないのでは - jeyseni's diary 2024/12/11)。
ノーベル賞は,ダイナマイトを開発したアルフレッド・ノーベルが,平和利用,効率向上のために発明したダイナマイトが,戦争で人を殺す道具に使われてしまったことを悔いて,ダイナマイトの特許の売り上げを世界平和のために使ってもらうための賞として始まった。
その後,アメリカが開発した原爆によって被害を受けた日本が,ノーベル平和賞を受けるというのは,なんとなく筋違いのような気もする。しかも,戦後80年にもなろうとしている時である。また,次の戦争の危機や核兵器使用の危機が目の前にある中での授賞が,火に油を注がないとも限らない。
今の世界は物理,化学,平和,文学のさらなる進展を求めているのだろうか。技術の行き詰まりが,物理賞,化学賞のAI研究に与えられたことが,それを象徴している。いずれ,生理学・医学賞もAIがらみになるかもしれないし,もっと微細な研究になってしまって本末転倒になるような気もする。
それよりも,生物学分野,環境分野,食糧分野に“ノーベル賞”が欲しい。時代はこれらを求めているように思う。そうすれば,日本がリーダー国になれる可能性も高くなる。
かつて,ノーベル物理学賞を受けた青色LEDとリチウムイオン充電池で稼いだ資金を元手に,日本主導の新たな賞を作ることもありえる。そうすれば日本が地球環境におけるあらゆる問題解決の中心的存在になれる。アメリカに対抗して中国が動き出す前に,日本の立ち位置を示すためにも,新たな評価価値を示すいいタイミングでもあるような気がする。