jeyseni's diary

「ジェイセニ」と呼んでください。批判ではなく提案をするのが生き甲斐です。

能登半島地震から1年--この態勢が南海トラフ地震や首都直下地震に対応できるのか

2024/1/1。筆者家族は,正月の午後,近くに神社にペットと一緒に初詣に行った帰りに歩きながら,緊急地震速報で緊張した。能登半島地震である。

 2025年の正月,能登半島地震からの復旧のドラマがテレビ各局で構成され,流された。NHKプロジェクトXでは,炊き出しチームの活動を報じた。

 1995/1/17,午前5時46分に起きた阪神淡路大震災では,筆者の実家が半壊の被害を受けた。実家の向かいにある2階建てのアパートは1階が押しつぶされた。このとき,筆者は関東圏に住んでおり,実家の両親とも連絡が付かず,神戸に住んでいた兄と連絡が取れたのは,同じ日の昼すぎだった。それまで連絡が付かないので,とにかく様子を見に行こうと朝からレンタカーを借り,東名高速道路富士川SAでようやく兄と連絡が取れた。混乱してクルマが通れないから引き返せ,という指示だった。実際,現地入りしたのは,震災から1週間後。実家の最寄り駅から2つ手前の駅までしか通じておらず,そこから1時間かけて徒歩でアクセスした。

 阪神淡路大震災は,神戸西部で震災による火事による消失が大きかったが,その他は建物の倒壊や道路の破損が中心だった。ビルが倒れたりする被害もあったが,主要な国道は基本的には通行可能で,被災物資の輸送も比較的順調に見えた。なにより,津波 や山崩れといった二次的な自然災害がなかった。実家での電気の復旧はわずか1週間。水道が1ヶ月,ガスが3ヶ月というペースで復旧していった。

 地震が起きた時期がほぼ同じなのだが,雪害もなかった。実家には旧式の石油ストーブもあり,停電状態でも暖は取れた。

 自慢になるが,筆者の父親は,まず向かいのアパートの倒壊現場から,生存者の救出をした。さらに,震災の翌日からは家の石油ストーブで沸かしたお湯で暖かい飲み物を作り,周囲の人に分け与えていた。自宅の中は,冷蔵庫が倒れたり,階段が崩れたりしている状態なのに,地域の人への手助けを自然に行っていた。もはや他界した父については,いろいろと家庭内の揉め事もあったのだが,102歳まで長生きして天寿を全うした。まあ,自己中の父だったが,プロジェクトXを見て,親父の中でのプロジェクトXだったのだなと思った。

 次に予想されるのが,南海トラフ地震や首都直下地震である。南海トラフ地震では,東日本大震災能登半島地震のように津波や山崩れが予想される。一方,首都直下地震では,交通インフラの破壊が予測されるものの,二次自然災害は免れるだろう。被害が拡大するとすれば,旧市街地の火災と,高層建築での停電による行動制限だろう。

 能登半島地震では,その後9月に豪雨で河川が氾濫し,復興半ばで再び被害を受けるという不幸が重なった。阪神淡路大震災東日本大震災という巨大な地震の経験がほとんど活かす点がなかった。

 自然災害は一期一会。地域によっても季節によってもパターンを特定できない。そろそろAIは何らかの答えを出してもいいのではないか。

 まず,自分の命を守るための備えをした上で,周囲との連携がどう取れるのかを考えなければならない。自治会という組織もそのときに生きてくる。

 それにしても,避難所の設置の遅さとそのクオリティの低さ,陸路が確保できない際の空路や海路の確保の遅さ,罹災証明の遅さ,そして仮設住宅建設が半年もかかることなど,対応が遅すぎる。台湾のように,自治体と民間組織の普段からの連携,さらに自治会を含めた連絡体制作りなど,やることはまだまだたくさんある。重機の動員や確保なども遅い。すべてが遅すぎる。