文部科学省の定める教育指導要綱は,日本全体の識字率アップなどに貢献した面はある。しかし近年の指導要綱に入った投資教育,英語教育,プログラミング教育,そして探求は,極めて中央寄りであり,地域の活性化に逆行するように思えてきた。むしろ各都道府県の文化や地域発展のために,その地域に愛着を持てる人材を育てるような柔軟な教育システムが必要なのではないかと思うようになっている。
何しろ,今の若い人の頭の中は,スマホの普及によって早くから世界の情報につながるために,カネもうけとゲームとアニメ,そしてエンタテインメントにしか向いていないように思える。どこにいてもスマホと対話していて,周りの人との関係をことごとく絶っている。集団や組織に属することができない。
人が集まれば,そこに差別やいじめが生じるという原則があるようである。すべての人が外見も能力も違うのだから,比較したりされたりして優越感を持ったり劣等感を持ったりするのは当然なのだという。しかし,その集団の中で1つの目標,たとえばクラス対抗で1位を目指すといった目標のために一体化する,という中で仲間意識であったり,協調意識というものも生まれる。子供のころの家庭,幼稚園・保育所,小中高の学校は,そういう集団行動や仲間意識を熟成し,社会意識を育てるのに重要な集まりである。
しかし,目標が「いい大学に行く」「他人を蹴落としてでも自分が1番になる」といったミミッチイ社会なので,協調性が育たない。
かつては,「いい大学」に進むことのその先の目標として,「いい仕事」をすることがあった。ここでいう「いい仕事」とは,社会に役立つ仕事をすることである。世界の人の役に立つ製品を考えて作ったり(二次産業),世界の人が豊かに喜んでもらえるようにおいしい食材を捕ったり栽培したり(一次産業),世界の人が楽しく暮らせるような仕組みを作ったり(三次産業,政治)した。モノづくりや流通といった巨大なシステムを動かすには,企業という組織が必要であり,その組織の一員として仕事をすることが,世の中のためになる,という流れがあった。企業戦士として残業も厭わず働くことにやりがいがあった。
しかし,インターネットとスマホ時代になり,若者はリアルな仲間や組織といった仕組みにはまらないようになっているように思える。一次産業の農林水産業,二次産業の製造業など,汗を流す仕事を敬遠し,先に書いたようなカネ儲け,エンタメというバーチャルな楽して暮らすことばかり考えるようになっている。当然,組織に属することも,仲間と1つの目標を目指すこともしなくなっているように思える。
近年,小中高で取り入れられている投資教育,英語教育,プログラミング教育,探求は,何を目標にしているのだろうか。投資は基本は個人運用だし,英語やプログラミングはツールであって目標ではない。探求にいたっては考える能力の差を明らかにするだけで,差別の助長にすらなりえるように思える。
google検索によって,情報を入手するスピードが格段に上がった。google翻訳によって言葉の壁が格段に下がった。そこまでは良かったが,スマホをあらゆる世代が持つことによって,アダルト情報や闇バイトなどへのアクセスが可能になったのが1つの問題である。googleストリートビューによるプライバシーの侵害も甚だしくなっている。さらに,生成AIの登場で人間の考える領域が侵略される危険性が一気に高まっている。正直言って,これは情報の盗用であり,権利の侵害である。フェイク音声,フェイク写真,フェイク動画,そしてフェイクニュースに始まり,詐欺,犯罪を増長しかねない。
筆者は,ツールとしてのインターネットやストリートビュー,生成AIを否定するわけではない。その使い方について「無法地帯」があることをきちんと教えられていないし,学んでもいない間に,使えてしまうことが問題なのである。
giga教育構想として,単に学校にタブレット端末を配布したり,投資教育の講師として現実世界のカネ儲けに長けた証券会社の社員を連れてきたり,プログラミングと称して単に動作ステップを組み合わせて処理させることだけを教えたり,ディスカッションと発表に時間を費やしたりと,ツールだけ与えて目標を定めない今日の教育指導要綱は,おかしいと思うようになっている。
むしろ,そのような一律の細かい規定を設けるのではなく,各都道府県の教育委員会が知恵を絞って,その地域に誇りを持てるような情報発信をし,仲間や組織を作っていくような地方政策を活性化するような教育を提供した方がいいと思うのである。そこに地方大学との連携もあるだろう。農林水産業でもいいし,林業でもいい。地域の特性に合わせたモノづくりでもいい。エネルギー産業も魅力的である。ロケット打ち上げも容認しよう。研究者を育てる環境を作るのも大事である。その地に足を着けて働ける人づくりが,いまは求められているのではないか。
世界にはばたく人材を作るといった目標で英語教育やプログラミング教育を始めたのかもしれないが,それは本末転倒であり,単なる詰め込み教育に過ぎない。せっかくの独立国日本である。日本で日本人チームできっちりと仕事をするというのでもいいのではないか。昨今の日本の殺伐とした状況を見て,先がなくなってきつつあるのを感じる。もう一度,「チーム日本」を復活させたい。