jeyseni's diary

「ジェイセニ」と呼んでください。批判ではなく提案をするのが生き甲斐です。

「木を使えばサステナブル」ではない--「大屋根リング」を残そうという本末転倒な考えは箱物行政そのもの

2025/4/13関西万博が開幕する。前日には開会セレモニーが行われたようだが,筆者は都合で情報にアクセスできなかった。開幕当日の様子についても,相変わらず関心はない。ネガティブ報道が東京のメディアに多いというのも納得できる。開幕してしまったのなら,事故なく終わることを切望するばかりである。

 msnニュースは本当に玉石混交というか,半分は広告やミスリードするような項目が並んでいる。中には詐欺まがいの項目もある。掲載基準について改めて疑問を呈したい。その中で目に止まったのが,「大屋根リングは好評だったので残したい」という記事だった。

 筆者はまず,この大屋根リングの目的が理解できない。大量の木材を使用し,会期が終わったら基本的には再利用する,という話だと言われていた(「大屋根リング」の目的がやはり不明--人数制限はできるのか,暑さ対策,雨風対策はあるのか,リユースできるのか - jeyseni's diary 2025/3/26)のときも,「リユース」について疑問を呈していたが,どうやら「評判がいいので,このまま残すことにする」という“本音”が出てきた。

 本当に残したいのなら,木造はありえない。寺社でも神社でも30~50年に一度は作り直ししてきたものが時代を経て残っている。そこには仏教や神教,そして天皇制などの支えがあるからこそ成り立っている。

 一方で,大屋根リングにはこれを維持していく後ろ盾が何もない。目的も希薄なら機能も希薄,そして何よりも美しくない。風雨にさらされ,いずれ来ると予測される南海トラフ地震津波に飲み込まれるのは目に見えている。これを残そうというのは,「とりあえず箱を作って既成事実とする」箱物行政そのものである。

 時の支配者が権力の象徴として巨大建造物を作ってきたのが,人類の歴史である。ピラミッドしかり,万里の長城しかり。その支配者が去ったあとも残っているのは,石を使っているからに他ならない。木は燃えたり朽ちたりして100年持たずに消えてしまうが,石はそれが1000年以上は基本形を保つ。大屋根リングは,単なる建築家のお遊びであり,だれもこれを支える人はなく,そのまま残しても30年と持たないだろう。規定どおり,分解して再利用できるうちに別の用途に使い回すことこそ,この万博のテーマではないだろうか。

 その前に,まず会期中の半年間持つのかどうかもやはり疑問がある。これから夏場にかけて,大屋根の上はとんでもない暑さになるはずなので,構造的にも連休以降は大屋根に上がることを禁止した方がいいと感じる。事故が起きてからでは遅い。