トイレで気になる音が,隣のブースでトイレットペーパーを引き出す音である。当然見えないので想像するしかないのだが,感覚的には次のような感じである。
「カラカラ,カラカラ,カラカラ,カラカラ,カラカラ,カラカラ,カラカラ」
1回の「カラカラ」で50cmほど引き出すとすると,これだと3m50cmが引き出されたことになる。それが1回分。これが3回は繰り返される。とすると,10mを使うことになる。
シングルのトイレットペーパーでは,長さは55mから60mだとすると,1個のペーパーが6人で無くなってしまうことになる。
戦後生まれではあるが,もう前期高齢者になっている筆者にとって,こういう紙の使い方は許しがたい。「子供みたいな大人だなあ」と思ってしまう。これを“子供大人”と呼ぶことにする。
何事にもガマンができないのが子供大人である。“切れる”若者も子供大人である。
筆者の両親は戦前生まれで,実家は裕福ではなかった。しつけも厳しかったし,無駄使いはできなかった。特に子供のころはまだ水洗トイレではなかったし,トイレットペーパーのような巻紙ではなく,いわゆる花紙だったから,枚数を使うわけにもいかなかった。そのため,現在の使用量も1回が「カラカラ」ぐらいである。
水洗トイレは,何があっても水に流してしまえば何も残らない。いくら紙を使おうが,流してしまえばわからない。しかも,妙に潔癖症な人が増えている。大量に紙は使うが,トイレの周辺が少し濡れたり汚れたりしていてもそれを拭こうともしないから,トイレそのものは不潔な感じになるのである。
いろいろ躾をしたり,文句を言ったりするのも親の仕事だと思うのだが,近年,子供を自由に育てるのが流行りで,自由というより“野放し”状態で育ってしまうから,「もったいない」といった常識がなくなってしまう。親が注意しようと思っても,子供が言うことを聞かないどころか反撃に出られることも多くなり,叱ることができない家庭が増えているように思える。
かと思えば,クルマがまったく来ない交差点で,信号が青に変わるのをじっと待っている人も多い。もちろん,交通ルールとしては信号が赤なら停まらなければならないのだが,1台もクルマが走っていない状況なら,“臨機応変”な行動をすべきではないかと思うのだが,優柔不断というか,「これがルール」とばかりの杓子定規な考え方しかできない。これも“子供大人”の典型だと思うのである。
その子供大人が家族を持って子供が生まれてくるのが現代である。もともと何をもって躾なのかがわからないから,何も躾も教育もしない。自由にさせてしまう。とても恐ろしいことではないかと思うのである。
筆者の年代の人間は,そろそろ認知能力が衰えて何をするか分からなくなっている。その次のまだ働き盛りな年齢の人たちが,会社の中で情報を悪用したり,資格を利用した犯罪に手を染めたりする。その次の現在若者の世代は,もはや将来に夢も抱けなくなってしまい,エンタテインメントやマネーゲームに明け暮れるようになってしまう。
1世代変わるともはや修復は不可能な段階になってしまっているように思える。国を守ろう,会社などの組織を守ろう,家庭を守ろう,といった意識がどんどん希薄になっているように思える。人をだましてでも,自分がカネを手にする道を選ぶ。時間の代償として給与をもらうサラリーマンにすらなれていないし,企業ももはや社員を育てて守るなどということを考えていない。
まず,家庭においてきちんと叱ることが必要である。ただそれが,体罰になってしまうのが現在の風潮でもある。もはや,引退族からすると,この世にはもうオサラバしたいと思えるほど,情けない家庭環境になってしまっていると思う。
「他人のため」になる仕事で給料をもらうことができるかどうか,もう一度考える必要がある。しかし,シニアをトイレ掃除や交通誘導だけに使うというのも,ふざけた話だと思うのである。