日本体育大学の「集団行動」は、日本人らしさを出していると言われる。一般人でも、渋谷のスクランブル交差点でぶつからずに擦り抜けるのを、海外の人から見ると驚異なのだという。
しかし昨今の日本人の行動には疑問がある。スマホ歩きがその典型だし、さらに通勤時間帯だと8割の人がイヤホンをしているだろう。周りのことなど、お構いなしである。
他にも、荷物の持ち方1つ満足にできない例を挙げることができる。デイパックの前背負いもそうだし、紙袋の角が突き出していてもお構いなしである。
吊り革に掴まれば肘が突き出す。濡れた傘を人に押し付ける。先からしずくが垂れていてもまったく気にもしない。階段では傘の先が後ろの人の顔の近くに来ることなど気にもしない。
かつては、きちんと揃った行進ができることが一種の誇りでもあった。ところが、行進は軍隊式だ、とか言ってまともに教えなくなった。結果、道を歩いても、階段を上っても、ペースがバラバラで極めて歩きにくい。かといってー下り階段では駆け降りる人が多く、巻き込まれて怪我をするのではないかといつもヒヤヒヤしている。
さらに歩道の真ん中を歩いている人も増えた。追い抜くことができない。逆に向かって来る時に同じ側をキープし続ける人も増えた。1人が右に寄れば同じ側に寄ってほしいのだが、左側と決めたら変えることをしない。2人3人と横に並んで「壁」を作っていても気づかない。
世の中からいわゆる「行進曲」がなくなったのも原因の1つだと思う。現在の音楽は,ビートがあったとしても16ビートや32ビートで,身体を揺することはできても行進には使えない。さらにテンポ不明な楽曲もあふれている。コード進行も無茶苦茶で,短調系のコードが中心なので,明るく手を振って歩く,というわけにもいかない。高校野球の入場曲ですら,ヒット歌謡曲を大幅にテンポダウンしたりしているが,行進曲にはなりえていない。一方で,街宣車は相変わらずの行進曲的軍歌をガナリ立てる。
行進と言えば,軍事パレードでの兵士の行進がイメージされる。やたらに胸を張り,脚をまっすぐに上げて威風堂々と行進するのが,中国やロシア,北朝鮮などであり,一般の日本人は逆に違和感を覚えるのだが,映画での演出か,警察学校,自衛隊,海上保安庁などの訓練では行進が取り入れられているようである。小学校や中学校できちんと行進を身に着けていないと思われ,かなりきついかもしれない。
周りの人ともめごとを起こさないためには,まず物理的に干渉しないことが大切である。1人の占有面積,占有体積は基本的に同じであるべきで,身体がでかいからといってより多くの占有面積を主張すれば物理的に干渉するのは自明の理である。腕は伸ばして下に下げる,カバンはなるべく自分の占有面積内,つまり足元に置くか網棚に載せるかして,肩に掛けない。道を歩くときは,すれ違えるだけのスペースをあらかじめ空ける。簡単なことではないだろうか。