jeyseni's diary

「ジェイセニ」と呼んでください。批判ではなく提案をするのが生き甲斐です。

日本の政治家の「モノのたとえ」が幼稚すぎ--国民の代表とは思えないし,交渉で負けるのは当たり前かも

2025年に弱小与党となった政界で,野党の政策提案が与党に受け入れられたり,受け入れを前提に与党案を修正して賛成側に回る野党が加わるという構図が見えてきた。年金問題やコメ価格問題などについて,かつてはほぼ与党案しか見えてこず,野党は「反対,反対」と叫んでいるだけの形が多かったように思えるが,現在は与野党全政党の提案が横並びで比較されるようになった。なるほどと思わせる政策提案や改正案も見えてくるし,相変わらず「全面反対」を唱える党もあるのだなという印象も受けた。

 さらに,テレビ番組でも,野党各党の主張を聞く機会が増えたように思えるし,ワイドショーでも以前は政権与党のみがインタビューに答えていたことが多いように思ったが,今年は与野党それぞれが並んで出演してコメントする場面が増えたような気がする。いろいろな意見が戦わされることの重要性を改めて感じる。

 ただその中で,主に野党側の説明の中で出てくる「モノのたとえ」がなんだか幼稚な印象を受ける。「あんこの入っていないアンパン」だとか「目の前にニンジンをぶら下げて」だとか,果ては「おにぎりじゃなくてアンパンでしょう」発言まで。今日見かけたのは,コメの増産の予算を防衛予算から回すのに「トマホークはかじれない」と表現した議員の発言には,あきれてしまった。

 普段から言葉を駆使して議論をしているはずの政治家の皆さんだが,一方では失言も連発する。逆に「きちんと」「しっかり」「適切に」とばかり連発して具体的な方法を言わないというボキャブラリー不足も感じる。記者会見でも,官僚が作った作文どおりの読み上げに終始していることがほとんどである。まるで失言を恐れての自主規制のようでもある。メディアのニュース原稿と同様,あまりにもパターン化しすぎているし,聞き手側のメディアもまた同じ対応である。どうせ突っ込んでも返事は同じとあきらめているかのようである。

 言葉はキャッチボールである。そのうえで,相手に納得させなければ議論は進まない。もちろん言う側も相手の言葉を聞いて理解して,納得する部分は納得しなければ譲歩も何もなく,結局は数の論理で押し切られておしまい,という従来のパターンを繰り返してしまう。

 近年の議論でいえば,トランプ大統領のディール(交渉)術は,無茶を言っているように見えて,実は攻めた後に引いて相手の譲歩を引き出し,同時にこちらも譲歩して相手に対等の立場を失わせないという,絶妙の駆け引きをしていると筆者は感じる。世界に対して投げかけた関税論争も,まず日本を第一交渉相手として選び,交渉の窓口は開いていることをアピールした上で,続く17ヵ国との交渉を進め,まず具体的な譲歩条件を出してきたイギリスとの間で関税引き下げを実現した。日本は2度3度と交渉団を送っているにも関わらず,主張が同じ(日本の対米投資でアメリカ企業が利している)ことばかりなので,妥協点が出て来ないままになっている。このままだと,日本の利益が優先となるため,交渉が進まないのは当たり前なのだが,そこが分かっていない。

 野党も,幼稚なたとえを持ち出さず,従来どおりきちんと数字で説得できるような方策を提案する方法で攻めるべきだと思う。いつのころからか,国会中継でグラフやチャートを中継カメラ側にも見せるようになり,視覚的に非常にわかりやすく訴えられる方法になったと感心していたのだが,今年に入っての幼稚なモノのたとえで一気に評価を下げてしまったのではないかと感じる。せっかくの与野党逆転国会である。正々堂々と政策議論をすればいいと思う国民の1人の意見である。