子供には,あらゆるチャンスを与えて, その可能性を目覚めさせて自分の生きる道を自覚できるようにする。それが親の役割だと信じている。
筆者の場合,幼稚園から続けてきた音楽教室は,やがてピアノレッスンへとつながったが,高校段階で限界を知った。その後,音楽を自分で演奏することに能力不足を覚え,趣味レベルで楽しむことも断念した。世界で数十人にしか与えられない芸術の頂点を目指すだけの才能はなかった。
ソロバン教室は1級まで進んだが,肝心の暗算はあまり得意でも好きでもなかった。時代が電卓やパソコンになり,この能力も不要になった。
運動も苦手,走りは遅い,身体は小さい,など,スポーツ系も苦手だった。
どうやら,英語はちょっと才能があったらしく,幼稚園のときにアルファベットを覚えたという。小学6年生で親が勧めたNHKラジオ基礎英語を1年間聞いて,それから続基礎英語,英語会話と続けて聞いた。一方で「百万人の英語」というラジオ番組も聞き始めた。当時珍しかったネイティブの先生の日もあり,ネイティブの英語の響きに耳が慣れていたのだろう。ヒヤリングは比較的楽で,大学入試までに一般的な英単語はほぼマスターしたので,日常会話にはそれほど苦労はしなかった。むしろ,なぜそんな難しい単語を知っているのか,と聞き返されたほどだった。残念ながらネイティブの世界には足を踏み入れなかったので,いまだに頭の中で日英翻訳をしながらだが,それなりに普通に聞くことはできる。
10年ほど前に,多言語活動に参加し,韓国語やスペイン語など新しい言葉に触れる機会が増えた。耳は慣れたが,単語を覚えようとするやり方からは抜け出せず,結局どの言語も理解できるところまでは行かなかった。これはやはり子供のときに英語以外の外国語に触れるチャンスがなかったからでもある。同じ時期,幼稚園ぐらいから活動に一緒に行っていた我が家の子供たちは,どのように頭の中で多言語を聞いているのかは分からない。
結局,自分の場合,身について役立っているのは,第2言語としての英語のみだが,残念ながら仕事にプラスになっているわけでもなく,収入につながっているわけでもない。
音楽,勝負事(囲碁・将棋など),スポーツ(野球,サッカー,テニスなど)を,学校での学習以外に子供に始めさせてみるというチャンスを与えるのが,親の役割だと書いた。最終的にどれも一流になれるわけではない。昨今の話題で言えば,将棋の藤井壮太氏だし,野球の大谷翔平氏だろうが,一流になれる確率は極めて低い。
ところが,インターネット時代になり,正当に習わなくても自己流で情報発信しても,その情報に共鳴する人との間でコミュニティーができるようになった。音楽ももはや新しいジャンルがどんどん出来上がっているし,芸人もお笑いから裸芸まで,かつてのアングラ芸術が表舞台に自由に飛び出せるようになった。
その情報が,スマートフォン上でYoutubeやInstagram,TikTokなどで簡単に視聴できるようになった。簡単という以外に,無料で,いつでも,いつまででも,視聴できる。これまでのテレビやラジオのように時間帯が決まっていたり,映画や音楽会のように始まりと長さが決まっているというものではなくなった。つまり,場所も時間も,視聴側の自由に選べ,場合によっては選び続けることもできるようになった。スマホの上では,情報へのアクセスは時間も空間も超越した世界になっている。
そして,映画でもテレビでも,視聴に対して年齢制限を掛けたり,入場を制限したりできた。情報の内容についても,法律で基準を決め,それを監視し取り締まる組織も機能していた。
しかし,インターネット上の情報は,アップロードもアクセスも全くの自由放免である。子供がエッチ情報にアクセスすることも可能だし,それをチェックすることもできない。年齢詐称,性別詐称,身分詐称も当たり前のようにできてしまう。
しかも,あらゆる情報は子供にとって新しく新鮮に見える。ゲームという形式で非合法な殺し合いや殴り合い,スピード違反などもできる。実際には課金されているが,スマホの世界の中ではお金ではない形なので,お金の誤った使い方をしてしまったりする。
一歩,スマホの世界に入り込んでしまうと,本人の意思で抜け出せなくなる。しかし,外から手を差し伸べて引き戻すこともできない。そして本人は悪意もないのに,犯罪に加担してしまっていることもある。
学校で教えることがどんどん増えて,小学生のころから英語教育が始まったり,プログラミング教育が入ってきたりしている。残念ながら,これらは日本全体からすると能力が低い分野だが,だからといって小さいころから教えても,簡単に身につくような能力ではない。本人が関心があれば,自分で身に着けていけるような世界である。
とにかく,学校で教え込まれる内容が増えすぎてしまい,スポーツやお稽古ごとを楽しみながらするような心の余裕がなくなっている。しかも経済の低迷で親もお稽古ごとをいろいろと子供に提案してあげられるだけの余裕がない。これが,子供にスマホを簡単に与えて,勝手に使わせてしまっていることで,純粋な知識欲が育たずに,安易な金儲けの道を選ぶことになっているように思うのである。
そして2024年に生成AIの爆発的な普及があり,英語もプログラミングも一気にAIにお任せ状態になってしまっている。特に言葉については,スマホを使ってドラえもんの「翻訳こんにゃく」はすでに出来上がってしまっている。
英語もプログラミングも,集団学習には向いていない。むしと1人で現実の海外の世界に飛び込んだり,処理の内容をコツコツと考えたりするような個人的な作業である。
むしろ,スマホを使うことを前提に,その行動の裏に何らかの「法律」が存在するということを認識させる教育が必要だと思われる。そして,犯罪やハラスメントに加担しないための欲望を制御する方法を伝える教育が必要だと思う。
ただし,これは非常に難しいことである。心で自制するためには,知識とともに理性が必要なのだが,往々にして欲望を理性で抑えることが困難なことが多い。
結局は,子供に与えてしまうスマートフォンを作る企業や,情報提供するプロバイダーやネット事業者,プラットフォームを提供するキャリアなどが,条件による規制を組み込むしか方法はないと思うのだが,現実には制御機能は皆無と言っていい。
子供のスマホの使用については,不用意な情報に到達するのを完全にブロックする仕組みが必要だと考える。単に警告を表示するだけでなく,いったん電源が切れるといった,よりストレスのかかる方法で情報アクセスの可否について表現すべきだと考える。
しかし,結局はそうした機能のあるスマフォは,ほとんど売れない。しかも,いったん闇の世界を知ってしまった子供は,その欲望を抑える理性を持ちえないので,いくら法律を教えても何の効果もない。無法地帯では法律が無意味だということを知ってしまうからである。
まず,親が子供にスマホを持たせる段階で,子供と誓約書を交わすぐらいの覚悟が必要だと考える。約束を破った時点でスマホを取り上げ,さらに家庭でのネット接続環境もなくしてしまうぐらいの覚悟は必要だと考える(しかし,すでに今の親世代には,子供のスマホ利用の危険性についてすら認識していないと思える。しかし,それが家族という単位での責任の取り方であり,親の義務であると思う。子供に約束をすることの大切さと,スマホから入れるバーチャルな世界の特徴と危険性を教えた上で,利用状況も監視しながら,アクセス制御する必要があるだろう。