jeyseni's diary

「ジェイセニ」と呼んでください。批判ではなく提案をするのが生き甲斐です。

会社経営は「子育て」と同じ--身を粉にして次々と旅立たせる覚悟が必要

筆者は会社勤めばかりである。社会人になって最初の会社には29年6ヶ月勤め、永年勤続表彰直前で早期退職に応じた。当時なら後5年で定年退職になったはずだが、その後、定年年齢は5年延びたという。それでも現在、すでに一般的な定年年齢を過ぎ、働ける間は働くつもりだった。

 しかし、遅くに家族を作り、ようやく子供たちが社会人として巣立って行った現在、仕事に対する情熱が冷めている自分に驚いている。

 子供たちそれぞれが自分の仕事で自分の生活を支えられるようになり、収入相応の人生に踏み出している。余計な口出しはしないし、金銭的に縛ることもしない、となれば、そろそろ自分のために時間を使ってもいいかなと思うようになった。

 会社員としての人生は,会社の経営理念に賛同して社会に役立つアウトプットを出すための歯車として働くことだった。自分がその会社を創ったわけでもなく,そのアウトプットも自分で企画したわけではない。もちろん,社会に役立つだろうことを信じて働いてきたわけだが,本当に役立ったのか,またそのアウトプットによって会社の経営がうまく行ったのかどうかの責任は社員にはなく,それは経営者の仕事である。

 ということで,会社員人生を卒業しようとしている今,自分が社会に直接アウトプットしようと考えるものが何もないことに驚く。せいぜいがこのブログを続けることぐらいかなと思えるほどである。

 筆者が現在所属している会社の社長は,創業社長であり,アウトプットに自信を持っている。筆者より年上だが,おそらくあと10年は経営者としてアウトプットを出し続けるだろう。そのパワーは凄まじいものがあると感じる。サラリーマンにはとても真似ができない。

 家庭に置き換えれば,会社のアウトプットは家庭における子供と同じようなものではないかという思いがした。しかも毎日のように旅立たせるという義務を何十年と続けなければならない。日本の高度成長期を支えてきた製造業は,戦後の数十年にわたって優秀な子供を輩出してきたようなものだが,現在は経営者の思いとは裏腹に,会社の歯車となってくれるはずの会社勤め人が,経営者の思いに応えず,自分の生活や人生を優先して流動性も高まっているため,経営者はアウトプットのクオリティ以上に社員への投資が増え,結果としてコスパの悪い経営に陥っているように思える。

 子供を社会に送り出して「一仕事終わった」と感じる今,残りの人生をどう送るべきかで2つの選択肢が考えられると思う。1つは,悠々自適は無理としても,あとは自分の時間としての価値観を見つけて自由に生きる道であり,もう1つは,ほかに世の中の役に立てることがあればそこに生き甲斐を見つける道である。

 前者は,趣味があればゆっくりと楽しむ道だろう。無理をしない程度に昔楽しんだテニスやスキーなどのスポーツもしてみたい。またほとんどどこにも行っていないので,旅行をするという選択もありそうである。

 一方,後者は,自分の能力を使ってもらえるような仕事をそれなりの分量とスピードでして貢献したり,ボランティアの形で地元で役割を持ったり,あるいはそれが見つからなくて自分でやってみたいと思ったことがあれば,自分で始めてみる,という道もあるかもしれない。それが起業という形でもありうるだろう。

 しかし,今から数十年にわたってアウトプットという「子育て」をできるようなテーマと意欲が残っているだろうか,という迷いもある。それだけの覚悟も必要だと思うのである。