久しぶりに平日に休みを取って,都内に普通の通勤時間帯に電車に乗って出かけた。自分の中では休日モードであり,服装も気持ちも休日対応になっている中で,周囲を見回したところ,あれっと思った。ビジネスモードの乗客がほとんど見当たらないのである。
筆者ももう20年も前からノーネクタイのカジュアルスタイルにしてきた。周囲を見るとまだほとんどがネクタイにスーツ,ビジネスバッグ姿だった。当時はまだデイパックを背負って出勤するスタイルは,一般的なビジネスマンの中では異様だった。
ところが現在は,多くの人がカジュアルスタイルで出勤している。カバンもデイパック(リュック)が多くなった。近年問題になっている「リュック前抱え問題」が生じる結果にもなった。
2000年を境に,会社という組織を中心に動いていた戦後の日本から,個人の能力をアピールする日本へと変化してきた。もちろん昔から,会社組織に属さずに仕事をしている方も多くおられる。ただ,その多くの方は満員の通勤電車とは縁がなく,自分のペースで仕事をされてきたと思うので,筆者が出会うこともなかった。
2025年現在,満員電車の中で多くの人がカジュアルウエアで通勤している姿を見て,筆者は「会社という組織」の力が弱くなっているのではないかと感じる。
スーツにネクタイというビジネスマンのスタイルは,元は軍隊の「軍服」である。軍隊といえば,組織の統制力が必須。作戦を遂行するためには,命令に従って行動することが求められる。かつての会社人間が「ビジネス戦士」と呼ばれた理由だと思っている。しかし,スーツにネクタイがなくなった現在のビジネスマンは,個性を活かしたり,自主性を発揮すことが求められたりする。上からの命令に従って仕事をしていれば済む時代ではなくなっている。
ただし,逆に企業という組織としての「組織力」は失われていると思う。これが日本の経済力を低下させ,国としての国力を低下させ,日本人としてのアイデンティティを低下させ,家族力を低下させる元凶となっていると筆者は考えている。
かつての組織は,同じ服装,つまり制服を着ることで,組織への従属意識を高めていた。制服に近いものとして,スーツとネクタイがあった。会社を代表して相手企業の担当者と会うためには,スーツとネクタイが必須だった。個人の好みの範囲でスーツを用意する場合でも,社員バッジを襟に付けたり,会社のロゴマーク入りの名刺を渡すことで,会社を代表していることを示していた。
しかし現在,社員バッジもなく,名刺交換すらない付き合い方は増えている。リアルで会うこともなく,オンラインで打ち合わせをするだけでビジネスがスタートすることも多い。会社に出社して打ち合わせしなくても,自宅でも打ち合わせができたりする。連絡に個人の携帯電話が使われることも多い。メールアドレスが唯一,会社の所属であることを証明しているが,その会社の社員でなくても,仕事の関わり具合で会社のアドレスを発行して使っている場合もある。もはや会社を背負っているという事実は,実社会では存在しないと言ってもいい。
今考えると,スーツとネクタイは,「リアルな世界におけるビジネスマンの象徴だった」と言えるかと思う。それは,特定の会社や組織に属していなくても,リアルな世界で経済を動かす実体としても仕事人の象徴である。
一方,スーツとネクタイを捨てた現代人は,リアルな世界の何らかの組織に属さないことの象徴のように見える。これが組織力の低下である。かつて,副業やアルバイトはご法度だったが,今は逆に推奨されたりしている。組織への帰属意識が低下しているため,転職に対するハードルも低くなっている。組織側,企業側も,帰属に対するインセンティブを与えられなくなり,引き留めようがなくなっている。仮にインセンティブが与えられたとして,福利厚生や休暇取得の容易さなど表面的なものであり,仕事の充実度などを提供できる企業が少なくなっている。これでは,組織力を発揮しても社会貢献できるようなアウトプットが出せるはずがない。
制服が着られなくなった日本人は,おそらく再び軍服を着て戦うことはないだろう。仮に制度として,あるいは法律として徴兵制度が復活したとしても,赤紙の呼び出しに応える人はいないだろう。もちろん,戦争が起きたとしたら日本は滅びる。アメリカや友好国の助けがあるなどと信じることはバカげている。そして多くの日本人は日本という国を捨てるしかないが,その行き先はなく,パレスチナ人と同じ道を辿るか,バーチャルな世界で生きるしかないだろう。その場合,組織はもはや不要になっている。
今,日本は大きくバーチャルに舵を切っている。企業というリアルな経済組織も,国というリアルな政治組織も,ほとんど何も機能しない状態になりつつある。そして,バーチャルな世界での経済は,国というリアルな組織への経済効果は皆無どころか,リアルの経済から価値を吸い取ってしまって疲弊させる(現に,生成AIは原発を新規建設しなければならないほどエネルギーを消費している)。
人間を組織としてまとめるのは,一部の国,そして臨戦状態の軍隊以外は困難な状態にあるように思える。数万点もの部品を組み合わせて製品を作るモノづくりも,その企画から設計,個々の部品の外部発注,そしてそれらを集め,正確に組み立て,安全な製品として出荷する,という一連の流れを,維持することができるのだろうか。
現在,世界の大型プロジェクトをリードしているアメリカのテスラ社ですら,ロケットの爆発,電気自動車の発火,自動運転による事故が発生している。企画は大胆だが,それを支える部品レベルのモノづくりや,それをまとめ上げ,完全なモノづくりとして完結する体制が,どこかで破綻しているのではないかと思える。
これは日本のモノづくりでも同様な問題が起きていると思う。すでに,純国産でモノを作れる時代は去り,重要部品をアメリカや中国,韓国,台湾などに依存し,さらに組み立てまで海外に移管してしまっている。かつて,良品率100%を目指す高品質な生産・検査体制を構築してきた日本企業が,産地偽装,検査偽装などの犯罪を犯してでもモノづくりを標榜するという情けない事態が起きている。昨今のスマホや充電池の発火事故なども,品質チェックなしに輸入して市場に撒き散らしている結果と思われる。
もはや,汗を流してモノづくりを楽しむ人も,笑顔で営業を展開する人も,世の中から急速に減っているように思える。パソコンを前にしてバーチャルな世界でのセドリでゲーム感覚でカネを動かし,残りの多くの時間もまた,非生産的なゲームに費やす人が増えている。汗もかかず,超タイパな生活で,人のため,世のためなどという意識は全くなく,人との関わりもなく,生活している人ばかりになりつつある。
ゲームを作ることが人類の幸せにつながるのか,アニメを作ることが人類を平和にするのか,火星に移住することが人類の未来なのか,生成AIでイメージや文面を作ることが人類の創造性なのか----そんなことを考えていると,食べ物は誰が作るのか,電気はどうやって作るのか,生活に必要なモノは誰が作るのか,そして止まらない地球温暖化と海洋汚染の問題を誰がどのように解決できるのか,など,さまざまな終末シナリオが見えてしまう。
温暖化による気象異変で,2025年は多くの地域で夏の大雨に見舞われた。一方で全体としての雨不足でコメの生育に問題が出ている。2024年のコメ不足の教訓で作付け面積を増やしたとしても,結局「お天道様任せ」の農業では生産を安定できない。コメを含めて,もはや植物工場による計画生産に切り替える段階に来ていると思えるし,それを支えるための水素エネルギー活用に切り替えて本格稼働させないと,地球温暖化を抑えることも,食料不足を解消することも,不可能な段階に来ていると筆者は考える。
人口減少はもはや止められない。人口を支えるための家族をサポートするための収入源も教育体制も,破綻しつつあるからである。であれば,少ない人口で効率よく生き残るための合理化産業の育成が,今こそ必要だと思われる。国民の収入を増やそうとしてもその原資がない状態では,どの政党の政策も餅に書いた絵である。
バーチャルに逃げ込んでバラバラな方向に向かっている人類を,もう一度ベクトルを揃えて一致団結して問題解決に向かうための組織,そしてそこに属することに誇りを持てる新たな“制服”を作ることが,人類を救うような気がする。