jeyseni's diary

「ジェイセニ」と呼んでください。批判ではなく提案をするのが生き甲斐です。

目が怖い--なぜ同じ写真ばかり使い続けるのか。情報発信の礼節知らずと思う件

筆者は子供のころから絵が苦手だった。特に自分の顔を含めた人の顔を描くのが苦手だった。「イラストの描き方」といった本でコツをつかもうとしたこともあったが,まったく上達もしなかった。

 そころが一度だけ,ある人の似顔絵を描いたところ,驚くほど似てしまった。小学生の高学年の頃である。その似た瞬間は,最後に目を描き込んだときだった。なぜか,目の表情が生き生きとした。そしてじっと自分を見つめる目に怖くなって,消してしまった。それ以降,人の顔を描くことはまったくなくなった。

 人の写真には,いろいろな表情が現れる。カメラマンがポーズを取らせる以外,基本的に人はカメラ・レンズの方をまっすぐに見る。そのとき,笑った表情のこともあれば,人を射すくめるような視線のこともある。気持ちを読み取られないような目をすることもある。

 人間を宗主として信仰の対象とする新興宗教の場合,宗主の考え方に惹かれるだけでなく,宗主と対面したときに目と目で心が通じ合うような瞬間があるのだと思われる。

 人の上に立つ者は,人格としての魅力も求められる。トップとして相手との交渉を進めるためには,眼力(めぢから)も必要である。それが魅力と映る場合もあれば,威嚇と見える場合もある。

 ここのところ,地方自治体の長による不正や,不適切行動が次々と明らかになっている。また宗教団体のトップの逮捕などの報道もある。特にそのWeb報道に当たって,使われる写真データがいつも同じで,自動的にその写真が出るような仕組みになっているのか,バリエーションを持っていないのか,工夫をする気がないのか,と情けなく思うことがたびたびある。中には,あまりにも眼力が強くて,記事を読む気にもならないことがある。

 かつて,解散させられた新興宗教のトップの写真が毎日のように表示され,それを見た元信者がフラッシュバックするケースも指摘された。当たり前だと思うし,それを公の場に提示することに鈍感なメディア側に問題があると感じる。

 1枚の写真,1行のタイトルにも,もっと真剣に考えて取り組むべきだと思うのだが,校正・校閲もなく垂れ流される情報の発信者に,配慮を求めること自体がすでに死語状態になっている。