「暗黙の了解」というものがある。また「あうんの呼吸」というものもある。人が社会を維持するために生み出した知恵である。
これらは、「知識」ではない。「経験」でもない。「道徳」でも「ルール」でも「マナー」でもない。ヒトという生き物だけが持ち得た知性である。
ボノボなどごく一部の霊長類には、社会を維持するための知性があると言われている。それ以外の生き物は、すべて自分が生きるためには手段を選ばない。ヒトが繁栄できたのも、この知性のためと考えられる。
育児や躾、教育などによって、こうしたいわば社会常識とも言える知性は伝えることができる。逆に、間違った価値観を植え付けることも、育児や教育の過程で可能になる。悪く言えば「洗脳」も可能なのが人間である。
AI(Artificial Intelligence)は「人工知能」と訳されているが,Intelligenceの一般的な訳は「知性」である。AIは「知識」の集合体だが,“生きるため,共存するために考える”知性は,まだ持ち合わせていない。
人間も暴走しないとは限らないが,正常なら周囲を見て,また自分の心の中を見て,「このまま続けてはまずい」と感覚的にブレーキを掛けるのが「知性(Intelligence)」だと思われる。頭で考えてブレーキを掛けるのは「理性(Reason)」だからである。
AIが暴走しないためには,理性でブレーキを掛ける,つまり「ルール」という「知識」を組み込む必要がある。組み込まなければ暴走するし,ルールが誤っていれば暴走しているようにしか見えなくなる。
生成AIで動画を作成する際に,既存の著作物や実在する人物などを「知識」として持っている場合,「著作権を犯さない」「肖像権を犯さない」「個人情報を使わない」といったルールがなければ,感覚的にこれらの素材を使うとマズイ,という判断をしないので,人の感性が作ってきた著作物が一気に破壊されてしまうことになる。
という流れから見て,現在の生成AIの機能拡張は,知性のない使い方であると言える。つまり,その生成AIを作っている人,そしてその生成AI使っている人が「知性がない」と言われても仕方がないと思うのである。
「あなたは,知性のない人ですか?」