1件のクレームで市が花火写真の掲示取りやめ…相次ぐ「キャンセルカルチャー」当事者は何を思う「人の不快感は主観」「全ての人の不快に応えることはできない」(ABEMA TIMES) - Yahoo!ニュース (2025/10/26)。
おかしな世の中になってしまったものだと筆者は感じる。「不快だからと言ってすぐにクレームを言う」という精神状態は,我慢を美徳と考えていた時代から見ると,「大人の幼児化」「幼児性を持ったままの大人化」に見える。
世の中がすべて幼児化している。学校を卒業しても,仕事を社会貢献と思わない社会人が増えているように思える。まず自分の生活ありき,そのための金稼ぎなら何でもする,仕事に対する誇りや向上心などがどこにも見えない。経済が停滞した2000年以降,そんな社会に日本が陥っているのを感じる。「多様性の容認」が時代の流れなのだが,その中で「自由」と「わがまま」を混同する風潮がある。
「社会」には大きな枠組みが必要だと筆者は信じている。筆者にとって大事な枠組みは「日本」という国の存在である。自分が日本人であることとほぼイコールで,日本という領土,日本という文化,そして単一民族,単一言語という価値が及ぶ枠組みである。したがって,日本が経済発展すること,日本国民が豊かに平和に幸福になることが,筆者にとっての社会の枠組みである。メディアの仕事を続けて来ているのも,日本応援団であり,モノづくり応援団,環境応援団といった立場であり,関連する情報発信をしてきたという自負がある。人生の後半は,転職によってサラリーマンとしての収入が激減したが,志は高く持ち続けて仕事ができ,なかなか幸せな社会人人生だったと思っている。
その「日本」という枠組みが崩れたのが2000年ごろだと思われる。かつて戦後復興を成し遂げた最大の活力であるモノづくり産業において,コスト重視,人件費削減のために日本という枠組みを広げてアジア各国にノウハウが流出した結果,あらゆる資源を集約してきた「会社」「企業」という枠組みが壊れた。正社員としての雇用が激減し,定年まで勤め上げるという価値観もなくなった。当然のことながら,「会社に対する忠誠心」といったものもなくなった。サラリーマンとして就職しても,自分のやりたい業務を会社が与えてくれないからといって退職・転職が当たり前のように行われる。資源が集中できなくなったモノづくりは活力を失い,より良いモノを作るという意識すら希薄になってくる。
そして「会社」「企業」がどんどんブラック化してくる。そういう会社への帰属意識のなくなった社員が,悪事,犯罪を犯すケースが非常に増えているのを感じる。
個人という枠組みが最大の枠組みになってしまった現在,日本という国も,社会という秩序も,なくなってしまったように感じる。自分さえ良ければ,自分の収入さえ得られれば,という意識では,企業への帰属意識も,さらに家庭を作って維持するという意識も希薄になる。目先のアルバイトや派遣で食いつなぎ,これが一歩外れると闇バイトから犯罪へと展開したとしても,もはや理性が働かない。
個人の枠組みでの価値観は,万人万様である。それがぶつかり合っては社会も組織も成り立たない。個人の個性は尊重すべきだが,社会秩序のためのルールはどこかに線引きしなければ社会は崩壊する。
今回の市の展示に対する1件のクレームについて,詳細は明らかにされていないが,おそらく匿名で,電話番号を特定できない形で寄せられたものと想像する。個人が特定できていれば,少なくともきちんと話し合った上で対応をしただろう。であれば,これは単なるクレームではなく,市に対する「脅迫」であり,「犯罪」である。匿名での意見・クレームは「卑怯」でもある。
市側が写真を外さないという対応をした場合,何が起きただろうか。市に対するさらなる嫌がらせや写真の損壊・盗難,さらに市の職員や市長に対する妨害や傷害などの犯罪に発展する可能性がある。市の判断は,これを嫌ったものだろう。ある意味で「逃げた」と言えなくもない。写真の掲載を続けた上で,警備・警護を強化する,という対応もあったろう。しかし,もしこうした事件に発展したとすると,これは犯罪でもあるとともに「テロ」でもある。
おそらく,昔からある「キャンセルカルチャー」は権力に屈する構図である。これは現在でも当てはまる。官僚や政治家,上司,取引先などの無理難題に屈して主張を取り下げる。客商売では,「お客様は神様」という風潮が広がり,客の無理難題に屈することが当たり前になった。カスハラ(カスタマーハラスメント)に対しては,改正労働施策総合推進法に盛り込まれ、令和7年(2025年)6月11日に公布された。
市に対するクレームが,1市民からの意見なら,市民は市にとってはお客様なので,無理難題を受け入れる立場にもある。しかし,ハラスメントであれば正式に法律で対応すべきところである。
何かのイベントの記録をプロカメラマンに依頼し,その素材をポスターに使い,署名入りで展示する,というのは普通の対応だと考える。これを市という公的機関が実施し,市役所という公的な場所に展示したとしても,問題はないと思える。
仮に,事前にカメラマンへの依頼がなく,イベント後にそのカメラマンからの売り込みがあったとしても,それがプロであれ一般市民であれ,撮影者の名前の記載はむしろ当然というか,著作権上は撮影者名を明記するべきことである。これを「売名行為」ということが筋違いであるのは明確だと,筆者は考える。
現在は,「クレームに対して素早く適切に対応すること」が美徳のように言われる。対応が遅い,あるいは対応しないために炎上したら取り返しがつかないことになることも事実である。この辺りの判断は,どちらに転んでもまた炎上しないとも限らない。厄介な世の中になってしまったものである。