ここのところ,日本各地で無差別な殺人事件が多発しているように感じる。この「殺人」という言葉の響きが,筆者は苦手である。
「殺す」という行為には少なくとも2つのケースがあると思える。相手の命を意図して奪う行為を行うケース,自分の命を守るための行動が結果として相手の命を奪う形になるケースである。後者では,振り払った先に相手が頭を打ってしまうなど「モノのはずみ」ということもある。
さらに,相手がまったく関係が無い場合,仕事や家族同士など何らかの関係がある場合,そして身内の場合と,さまざまなケースがある。
「意図」して相手を殺めてしまう場合でも,「未必の故意」という,犯罪の結果が生じる可能性を認識しながらこれを認容している状態というレベルもある。さらに,主に老老介護においては相手が死を受け入れるケースもある。また,医療現場では治癒不能な段階の患者に対しての「尊厳死」のケースもある。
しかし,法律上ではこれらはすべて「殺人」であり,「殺人罪」という罪に問われる。これらをすべて同じ言葉で片付けてしまっていいものだろうか,とニュースを聞いていて思うときがあるのである。
筆者は素人なので,警察や医者,法律家などの専門職では,指定された言葉を使わざるを得ないことは理解できる。しかし,一般人に情報を伝えるメディアまでもが,法律用語だけで淡々と表現する姿勢に対して,何となく「権力に対する忖度・屈服」があるように思えるのである。
逆に,無差別に行動を起こした場合は,殺人というより「殺戮」あるいは「殺傷行為」と表現した方がいいように感じる。正当防衛で誤って犯人を死に至らしめた場合は,「過失致死」だろう。
厄介なのが老老介護の末の終末行動である。相手が自分の死を受け入れる気持ちを持っている場合も,死に至る方法によっても見方は変わる。筆者なら,食を絶つという意志があれば,相手に無理をさせないで自死を選ぶかな,という意識を今現在は持っているが,この場合でも相手は「自殺幇助」という罪に問われることが考えられる。
特に相手が認知症の場合,死を選ぶとか受け入れるという確認が取れない。人間の生理として食べたいという食欲は残るだろうから,そこで食を与えないという選択は他殺行為と認定されるだろう。もちろん,絞殺などはそのまま殺人と認定される。それを「殺人の容疑で逮捕」と報道されると,やり切れない思いに陥るのである。
年金が電子化され,マイナンバーで国民全体の存在をデータ管理できるようになったとしても,個々人の生活状況までは把握できない。人間関係が希薄になり,孤独死も増えている。自宅介護では,いつから始まり,どの程度の状況なのか,どの程度の負担なのか,まったくブラックボックスの中である。しかし,介護にはどこかに限界があるように思える。国や自治体などからその限界に達する前に助けの手を差し伸べなければ,本人も介助者も壊れてしまう。
一律給付やガソリンの暫定税率廃止なども必要だし,生活保護の基準もきちんと管理しなければ不正受給が横行する。それよりも,要介護家庭や独居世帯の状況を正確に管理することも必要ではないだろうか。ただし,正確に管理した上で適切に確実に補助の手が差し伸べられるという確実な保証が必要である。自治体はともかく,国の政策は政権によってクルクルと変わるので,信頼がおけない。
介護疲れによる双方合意の尊厳死については,「殺人」と呼ぶのはあまりにも酷な気がする。「介護放棄」といった間接的な表現はどうだろうか。