2000年を境に日本の経済が低迷している。モノづくり産業が次々と破綻し,家電はほぼ絶滅,クルマもEV量産車を中国と米テスラ社がほぼ世界制覇した。
現在,全国の子供食堂の数は1万2,601ヵ所(2025年12月)もある。最初の開設は2012年で,昨年から1,700ヵ所も増え,年々加速度的に増えているという。
そういえば,学童(放課後児童クラブ)も法制化されたのは1998年の児童福祉法によるとのことだが,筆者は高度経済成長期後の共働き世帯で生じた「鍵っ子」は知っているが,いつの間にか「学童」も当たり前になっていた。2020年7月時点で2万6,625ヵ所あるという。
高度経済成長期に,子供が学校から家に帰って1人で時間を過ごす鍵っ子が問題になり,筆者としては「共働きは子育てには不都合があるのではないか」という気持ちでいたのだが,家で1人で過ごす代わりに集まる「学童保育」も,必要悪に思ってきた。
これに加えて「子供食堂」の拡大である。イメージとして低所得になった母子家庭をサポートする仕組みと思っていたのだが,いまやどの子育て家庭にとっても当たり前の存在になっている。
「鉄腕ダッシュ」という番組の企画の中にある「0円食堂」も,廃棄してしまうような食材を使っておいしく食べられるということを示すいい企画なのだが,ではこれが流通できるのか,一般化できるのか,といえば困難であり,エンタメで終わってしまっている。
その子供食堂の存在を正当化するのが,ロスゼロ運動である。一般流通に乗らない規格外農作物や,賞味期限が近づいた売れ残り商品を,安く販売する。農家や企業にとっては,廃棄処分にもお金が掛かるから,双方にメリットがある。しかし,流通に掛かる経費を抑えるために運送にはしわ寄せがやってくる。
さらに,物価高が続く一方で,収入は伸びないという一般国民が,このロスゼロ商品に群がるようになった。スーパーマーケットでは夕方の値引きまで待ち,食品工場の卸売サービスデイに殺到する。かつてのバーゲンセールのような熱気ではなく,周りから見ると悲壮感すら感じられるのだが,当事者はそれが当たり前のようになっている感覚が,すでに麻痺しているようにすら思える。
安く買えた,たくさん買えた,という前に,正規価格で美味しく提供されていた商品が,ロス直前まで見放されているというのも悲しいし,そもそも規格外商品が売れないのなら,それを世界中で飢えている人々に送るような流れができないものかとずっと考えている。
ほかにも,衣料品を中心に古着の流通マーケットは認知されるようになった。SNSを使った交換システムも定着してきた。衣料品やスポーツ用具を海外に送る動きもすでにあるものの,かつての世界第2位の経済大国だった日本が率先しているわけではなく,民間の事業者がほぼボランティアで進めているにすぎない。コスパのいい国内市場での流通が主力となっている。
リサイクルと言えば聞こえはいいが,モノを大事に使わなくなったことが1つの理由として考えられる。擦り切れて最後まで使うのではなく,価値が下がらない段階で中古市場向けに買い取ってもらうということが当たり前になってきている。個人レベルでの取引を行うサイトやアプリも当たり前のように使われている。筆者からすれば,おかしな世の中になったように見えるのである。
日本はいつの間にこんなに貧しい国になってしまったのだろうか。また日本人の心がいつの間にこんなに貧しくなってしまったのだろうか。昨今の日本の犯罪が,ハラスメントや詐欺などの陰湿なものから,闇バイト,強奪,そして殺人と凶悪になっている辺りも,日本人の経済的な貧しさ,心の貧しさの現れかもしれないと思えている。
手取りを増やすだの,消費税をなくすだの,現金を一律給付するだの,国民全体が生活困難者になっている現実にカネをばらまくような政策ではなく,国民が汗水流して一生懸命働いて豊かになるような産業の育成と雇用の促進,雇用の安定化がなければ,結婚率の低下,少子化,そして経済の縮小は避けられない。多党政治は日本ならではか--意見百出するも,どれも基本は同じ - jeyseni's diary (2026/1/30)にも書いたが,モノづくり党,教育党といった政策を掲げる党の出現が必要である。