jeyseni's diary

「ジェイセニ」と呼んでください。批判ではなく提案をするのが生き甲斐です。

ピラミッドを見習う--海の惑星に戻ろうとする地球で生き残るため

水の災害は今後も増えるのか--インフラの老朽化に対応し,二重護岸などを提案 - jeyseni's diary (hatenablog.com) 2023/9/9 のコメントで,河川の堤防の強化策について提案した。コンクリートで二重の護岸を作るというものである。

 現在,コンクリートの中に二酸化炭素を閉じ込めて固定するという技術も開発されている。どうせ強固な構造物を作るのなら,いっしょに二酸化炭素も閉じ込めて減らすというのもアイディアである。ただ,そのコンクリートを作る際にも大量のエネルギーが必要なので,決定策にはならないかもしれない。

 そんなことを考えているうちに,地球が元の水の惑星に戻ろうとしているのかもしれないという考えが1つ浮かんできた。

 陸地があることで多くの生命が多様な進化を遂げた地球だが,陸地は太陽の影響を強く受け,気候は荒れやすくなった。地球の自助作用として,元の水の惑星に戻すことで太陽の影響を緩和し,生命を大事に育む環境を作ろうとしているのではないか。そんな考えである。

 「未来少年コナン」というアニメ作品がある。Wikipediaによると1978年に半年間26話でNHKで放送されたという。まさに地球全体が海になってしまった世界での話である。監督は宮崎駿氏だった。ノアの方舟状態だが,悪者は相変わらず存在した。しかし,波は穏やかで環境は穏やかだったように記憶している。

 エジプトには高さ150mに及ぶギザの大ピラミッドがある。クフ王の墓だという。しかし,巨大な石を積み上げて単なる墓を建造するのは,単に権力の象徴としては考えが浅いように見える。

 しかしこれを,限られた者だけが生き残るための人工島と考えた場合,その構造に納得が行く。非常に強固な外壁であり,波や津波があっても崩壊しない。つまり,このピラミッドを作った者は,いずれ地球が現在より深さ100m高い水の惑星に戻ってしまうことを見越して,ピラミッドを建設したのではないだろうか。

 なにしろ平坦なナイル川流域である。しかもナイル川は毎年氾濫して人々を苦しめてきた。いずれ海面が上昇して地面が消え去ることも想定される。たかが20mぐらいのスーパー防波堤では役に立たないのである。

 福島県で次の津波に備えて街全体を嵩上げする工事が行われた。同様に,大河川周辺の街も,河川が氾濫しても堤防の越水と同じレベルにまで嵩上げされていれば被害が最小限で食い止められると提案した。

 ただ,土の上に単に表面だけ舗装していたのでは,地震にも耐えられないし、土台の土砂が水に流されて崩れてしまう。ピラミッドのような強固な地盤を作り,その上に街を作るような作戦も必要かもしれない。

    中国が南沙諸島に埋め立てで人工島を作っている。軍事目的で作っているのが情けない。砂で埋め立てた島が字のごとく砂上の楼閣に終わってほしい。逆に日本の造船技術の粋である浮体工法による人口島を作ることも、今後は考えなければならないかもしれない。ロケットで月を目指すよりは現実的である。

自転車レーンの横断歩道手前は「信号で停止」サインに変更を提案

東京都内の主要道路には,自転車ナビマーク・自転車ナビラインが引かれるようになった(自転車ナビマーク・自転車ナビライン 警視庁)。警視庁と書いてあるから,東京都内用なのだろう。ちょっと画像を拝借して表示させてみる。

自転車ナビマーク・自転車ナビライン(警視庁ページより)

 左側車線で,この矢印マークの方向が進行方向であることを示している。逆走を防ぐのに視覚的に分かりやすいと思う。

 しかし問題を指摘すると,歩行者信号のある横断歩道の手前も同じマークが続いている点である。自転車のドライバーは,横断歩道に差し掛かっても,この青色矢印マークを見て「そのまま進んでいい」と思い込んで横断歩道に突っ込んでくる。横断側が青信号でもお構いなしである。

 単純に,横断歩道の手前は黄色マークに変更するか,「横断歩道・一時停止」の文字を入れて,自転車ドライバーに注意喚起してほしい。

 自転車ドライバーは,無免許であり,交通ルールなど守らなくてもいいと思っている。いまどき,自動車のドライバーが逆走するのはキチガイ行為だが,自転車ドライバーは何とも思っていないし,間違っているとも思っていない。まして,横断歩道の手前で停まるなど,交差点でない限り考えもしない。

 オリンピックでは,日本が考えたピクトサインが評判になった。非常口などのピクトサインも結構よく考えられている。男女別のトイレの表示も筆者の感覚では分かりやすいのだが,今後は直感的には判定しづらくなるのかもしれない。

 しかし,交通サインは明確であってほしい。日本語だけで十分なので,文字によるサインを出してほしい(自転車用の交通標識を整備してほしい--「赤信号で停まれ!」「右側通行は“逆走”で禁止」など - jeyseni's diary (hatenablog.com) 2023/6/10)。同様に,無免許でも運転できる電動キックボードのドライバーに対しても,注意喚起になると思うのである。

ナビよりも「いまどこガイド」が欲しい--「右に見えますのは◯◯でございます」的な

耳ナビ用アプリを探しては試しまくっている。

 「音声案内」を優先させると,ほぼ100%,ナビゲーションアプリが見つかる。ナビゲーションなので,必ずまず「目的地」や「行先」の入力が必要になる。経路が決まると音声案内が始まる。経路を決める前に,マップ上での音声案内はしない。

 「地図」「地名」を優先させると,マップアプリが見つかる。クリックすると地名などを表示したり,住所を表示して読み上げもしてくれるアプリもある。しかし,移動しながら適当なポイントに来たときに,その場所の情報を音声で勝手に読み上げてくれるアプリは,先に紹介したチリ製の「Lazzarillo」かトルコ製の「WeWalk」しかない。とりあえずチェックした10以上のマップアプリでも,交差点を音声案内させるには,ナビモードにして目的地を設定しなければならない。

 国土地理院の「ベクトルタイル提供実験」(地理院地図|ベクトルタイルとその提供実験について)は,リアルタイムに現在地の住所を表示するほか,マップ上にある「地名」をクリックすると,緯度経度,高度のほか,ひらがなでの読みの表示,さらにクリックすると音声で地名を読み上げてくれる。しかし,結局は画面を見てクリックしないかぎり,音声情報は得られない。

 ドコモの「my dayz」(新感覚ナビ | my daiz(マイデイズ) | サービス・機能 | NTTドコモ (docomo.ne.jp))は,歩行ナビを設定した場合,近くの建物などを音声案内してナビをしてくれるが,やはりナビ設定しないと音声案内にはならない。ただ,ナビ設定に音声認識が用意されているので,歩きながらでも行き先設定しやすい。建物名やコンビニ名などを手がかりにできる点は,今までにないナビ感覚である。

 GPSの民間利用として,カーナビゲーションシステムを開発・普及させたのは日本で,1980年代初めであり,市販のカーナビをパイオニアが販売したのが1991年である。「狭いニッポン,そんなに急いでどこへ行く?」と言われるほど,一気にクルマ社会になった狭い日本では,カーナビはドライバーにとって救世主のような存在になった。筆者もポータブル型のCDカーナビからスタートし,DVDカーナビも2014年版マップのままだが使い続けている。知らない場所に行くのにカーナビなしでは行けないし,慣れた道でも現在地表示されているだけで安心して走れる。

 ケータイでは,歩行者ナビが最初に搭載されたauガラケーPHSから乗り換えた。歩行者ナビが付いていることが選択の前提だった。仕事で新しい場所に行くのに,本当に役立った。現在では,スマホに複数のマップとナビアプリが入っている。クルマのDVDカーナビが古いので,スマホカーナビと併用している。ただ,このDVDナビの表示が実に分かりやすく,案内も適切なので,スマホカーナビだけにするに至っていない。

 カーナビの使い方でもそうだが,別に必ずしも行き先を設定して「ナビをスタート」して動きだすわけではない。地図が表示されていて,「いまどこ」が分かれば,基本的に移動は可能だからである。交差点を通過するときに交差点名を見て,地図と照合して合っていればそのまま進める。カーナビの場合は,マップをちらっと見て確認すればいいが,歩行中のスマホの場合はスマホを見ると「スマホ歩き」になる。したがって,ナビよりも「いまどこ」アプリで,しかも音声で耳に案内してくれるシステムが欲しいのである。

 交差点名の情報としては,【交差点制御情報が提供されている交差点の位置情報等の提供】 - (公財)日本交通管理技術協会 (tmt.or.jp) が全国の主要交差点のマップ表示を提供している。ただし,カーナビ向けの大きな交差点の情報が中心で,筆者の家のような田舎では,バス通りにも関わらず,最寄り駅の南にあるかなり大きな交差点の情報は提供されていなかった。

 おそらくこの交差点情報を使っているのではないかと思われるもう1つのマップに,交差点名マップ - uMap (openstreetmap.fr) というのを見つけている。OpenStreetMapに情報を埋め込んで提供していると思われる。これで音声案内があればなぁ,と思ったりする。ひょっとしてそんなインタフェースがあるかもしれない。

 そういえば,もう長い間,観光バスというものに乗ったことがない。観光バスだとバスガイドさんが必ず,「右に見えますのは◯◯でございます」と案内し,お客は一斉に右を見て,カメラで撮影する,といった光景が見られた。今も観光バスではこんな場面が見られるのだろうか。

 筆者が欲しいのは,ひょっとしたらバスガイド的なアプリかもしれない。実際,複数の観光地で名所を音声案内するアプリが開発され,提供されている。美術館や博物館でも音声ガイドシステムが提供されている。もうひと頑張りして,歩行者用のガイドアプリにまで発展できるといいのだがと思う。

 現時点では,細かい案内としてmy daizが一歩先に進んでいるように思っている。ただ,google mapもyahoo mapも,詳細なガイドを提供し始めている。ナビ設定しなければ使えないのはどれも同じなので,ナビ設定のしやすさを含めて,もう一度評価し直したいと思う。

造り物で浮かれるのはしばらくやめてほしい--リアルな現実を直視しなければ,人類は滅びる

筆者は,現代小説は読まないし,映画も映像技術の革新を確認する以外は観ない。まして,マンガ,アニメ,ドラマ,特に歴史モノや戦争モノは観ない。スポーツも個人の能力を競う競技は観るが,団体競技は観ない。演劇,芝居,話芸なども観ない。ゲームもしない。マネーゲームもしない。

 基準となっているのは,造り物か真実か,というところである。

 芸術や文化は,国民の感性の幅を広げるためには,教育と並んで重要だと思っている。運動やスポーツも,自分の能力に挑戦し伸ばして行こうという心づもりは,教育的な価値もある。国民の生活が安定し,気持ちや時間の余裕のできた戦後の高度成長期には,心の豊かさを育てるという意味でも重要な役割を持ったと思う。

 一方で,経済の成長を支え,国の信用を高めるために身を捧げた「ビジネス戦士」には,100の時間の中で1桁の下半分ぐらいの時間しか,こうした文化に触れる時間的な余裕はなかった。しかしその短時間の楽しみが翌日の仕事へのパワーの源になって頑張れた。1日の1/3の時間を仕事に捧げ,その前後の3時間を通勤に使い,残りの時間を家族を守るために使ってきた。週6日働き,休みは日曜日だけ,という生活が当たり前だった。

 21世紀に入り,経済が破綻し,大手企業が破綻し,会社に忠誠を尽くすという環境がなくなった。週5日制が当たり前になり,正規雇用よりも非正規雇用が当たり前になり,副業すら奨励されるようになった。会社の一員であることよりも,資格で仕事を受託した働き方が当たり前のようになった。会社に時間を売って給料をもらうという働き方はなくなり,結果だけで判断されるので,仕事をするというポーズはしなくなった。遊んでいるように見えても,スマホをいじっていようとも,結果を出せば文句は言わせないという態度が普通になった。

 100の時間のうち,仕事に使うのは30ぐらい。あとは自分の好きなように楽しむ。その需要に応えるのが,小説やアニメ,ゲームなどの造り物のエンタテインメント産業である。かつては,書店とテレビしかなかったメディアも,インターネットによって動画サイト,アーカイブサイト,そして各種アプリと広がった。

 そのバーチャルな世界をリアルでも楽しませるために,コミケコミックマーケット)などのイベントが行われ,コスプレ(コスチュームプレイ)文化は今や世界に発信されている。世界中の閉塞感の中で,エンタメがその隙間を埋めるどころか,人々の生活そのものに組み込まれてしまったようにさえ思える。

 頭を鍛える教育や身体を鍛える運動は,繰り返すことで自分の血となり肉となる。しかし,エンタメは心に刺激を与えて発散させる以外に蓄積するものは何もない。しかも,求める刺激の強さを求めてエスカレートし,習慣性も持っているため,心を消費するとともに,金銭も消費してしまう。感覚がマヒしてしまい,金銭感覚も常識も失われ,ついには犯罪行為までつながってしまう。現実の世界と空想の世界の区別がつかなくなってしまうからである。

 テレビ番組は,9割が造り物になってしまった。リアルな現実を伝えるニュースや天気予報すら,視聴者の好奇心を煽るテーマしか発信されない。

 映画の世界も,もはや完全な造り物になってしまった。ドラマも,コミックが原作になり,アニメが実写版になるというシナリオが多くなった。表舞台としてのテレビだけでなく,ネットドラマという裏チャンネルで若手の人気アーティストが使われたりする。

 歴史モノも,かつては「大河ドラマ」という歴史考証を経た基準となる表現があったが,今や人気俳優のキャラ出しで話を展開させているだけのように思える。過剰な演出,視聴者に媚びた演出などが散見される。

 小説に至っては,「小説家」というプロ意識のないタレント作家ばかり登場する。現実離れした,あるいは単に現実に沿ったストーリーの作品が溢れる。読者の仕事の活力のための刺激ではなく,もはや国民の怠惰を助長すらする存在になっている。

 経済が破綻し,地球環境も破綻し,国同士の関係も野蛮な暴力関係に陥っている現在,自然災害も巨大化し,恵みの雨が街を破壊し,国民の命や経済を守るはずのインフラが老朽化して大災害の引き金となっている。1つの災害や事件によって,10年以上もその影響が残り,人々の生活も精神もボロボロになってしまう。

 そんな傷ついた心に侵入し,人心を狂わせるのが,現在の虚構の作品である。現実の世界と虚構の世界の区別がつかなくなった者が,まるでゲームの世界のように何の疑問も感じずにリアルな犯行に及んでしまう。その得られた報酬の快感が,さらに心を狂わせてしまう。反省の気持ちもなく,むしろ犯罪行為が当たり前だったような錯覚に陥ってしまう。もはや狂人である。

 しかし,その虚構の世界のような犯罪を判定する基準が現実にはなく,したがって屁理屈を使って無罪を勝ち取る弁護士がまたカネで動くことになる。

 エンタテインメントは,人生の100の時間の中の10でいいのではないか。ただ時間とカネを消費するだけで,何の建設的な結果を生まないエンタメに,人類が時間を使い過ぎることで,経済は破綻し,環境は悪化し,国際関係も悪化し,気がついたときには人類の居場所がなくなっているのではないか。

 エネルギー問題,食料問題,人口問題など,エンタメはすべて何の解決にもならない。マネーゲームも,失敗者からの搾取に過ぎない。

 権力者は結局はカネで物事を動かそうとし,実際に動かしている。現実の世界に加えて,裏の世界にも通じていることで世の中を牛耳っている。まともな人間が政治家になれない世の中である。

 小説や映画,アニメ,そしてスポーツ,歌手など,エンタメの世界は,気持ちの余裕のある人の息抜き程度に存在するのが適切なバランスだと思う。現在のような気持ちの余裕のない段階で,なんでもかんでもエンタメづくしでは,本当に経済の基礎体力が破綻し,気がついたら地球環境も元に戻す力もなくなって,大災害に泣くことになるように思う。

 かつては,人の心の支えになったのは宗教などの信教だった。自らの命や財産,幸せなどを顧みず,民衆のために命を捧げることで民衆を支えてきた。20世紀は科学技術による真実が,人々の生活を支え,経済を発展させ,病気を克服してきた。

 21世紀,その心の拠り所がエンタメでいいはずがない。何か成果を出せるのか,もう一度考え直してほしい。すでに宗教界は腐り切っている。各国のリーダーの中で信頼できる人は残念ながら1人もいない。リアルな世界だけでなく,多くの人物がバーチャル,つまりメタバースの世界で金儲けをし,その無法地帯で犯罪を犯していても野放しの状態にある。日本の言うことは,もはやだれも聞かなくなっている。世界が日本を褒め称えている,というのは勘違いであり,単におだてて搾取しているだけである。それにいい気になっている日本のリーダーが情けない。

 平和主義を通すなら,防衛にかける予算をすべて,エネルギー開発と食料開発に割り当て,世界に供給できる体制に切り替えなければならない。それができなければ,明日の日本はないし,世界も滅亡すると筆者は考える。

第17週は17.54人--このままピークアウトか,あるいはリバウンドか

新型コロナウイルス感染症が五類指定になってから第17週は,17.54人と,2週連続でマイナスになった。

第17週。17.54と2週連続のマイナス。

 第7波,第8波のときは,積極的なワクチン接種とマスコミによる喚起もあってか,ピークアウト後は一気に減ったが,最後は減り方が緩慢になり,次の感染拡大につながって行ったように見える。

 今回は,増え方も緩慢で,マスコミの喚起もほとんどない。ピークアウトにも見えるが,再度増え始めるのか,減り続けるのか,この数字だけでは判断ができないと考える。一喜一憂するのはまだ早い。

 各県の様子を見てみると,確かにどの県も前週から減ってきている。

第17週の各県の数字。前週越えはなし。

 2023/9/20からXBB 1.5対応ワクチンの接種が始まったが,この効果が出るまでには時間がかかる。自然なピークアウトと,新ワクチンの効果で,このままピークアウトしてゼロコロナになってくれることを期待したい。

 

緩やかな坂が冠水の盲点--ゲリラ豪雨であっと言う間に冠水

2023/9/20 予定どおり第7回目の新型コロナウイルス対応ワクチンの接種にでかけた。予定どおりと書いたが,実は自転車で行く予定をクルマで行くことに変更した。当日の午後,関東地方は大気状態が不安定になるとされており,実際に家を出る際に雲行きが非常に怪しかったからである。

 クリニックへの行きにポツポツと雨が降り始めた。レインコートと自転車でもなんとかなったかな,と思いながら到着すると,一気に本降りになった。接種待ちをし,接種後の15分間の様子見をしている間,クリニックの外は雷雨の大雨になっていた。

 クリニックを出ると,駐車場までの間がすでに水たまりが広がっており,駐車場の中もほぼ全面的に3cmぐらいの水たまりになっていた。

 クルマに乗り込んでホッとし,すぐに帰路についた。普通の道だが雨がところどころ川のように流れていた。途中に急坂があるのだが,ここは逆にほとんど水がなかった。

 ところがその先にある太い幹線道路で冠水が起きていた。幹線道路なので,比較的緩やかなアップダウンで,片側2車線で歩道もあるゆったりとした道である。しかし,小川のある交差点に向かっていったん下ったあと,緩やかな上りになるという地点の一番底のところで深さ20cmほどの冠水が起きていた。

 幅広い舗装道路が,その一帯に降った雨をすべて低い場所まで流し,本来ならそこで小川に流れ込むところが排水能力が間に合わないというケースだった。下水道も満水状態だったようで,マンホールから30cmほどしぶきが上がっていた。

 近くにはこの幹線道路に直交して隣の道に抜ける道があり,そこは電車の下をくぐるアンダーパスになっている。このアンダーパスは冠水の恐れが指摘されているので,近づいたことがなく,今回も冠水していたかどうかについてはわからない。それなりの排水設備は備えられているとは思われる。

 しかしオープンな幹線道路でも冠水の可能性があることを,今回のゲリラ豪雨で改めて知らされた。

 上記の小川は細く,クネクネと曲がっているのだが,大きな川につながっているわけではないので,地域の水を集めて流れる程度で,越水しそうでここ20年間あふれたことがない。近くに巨大な貯水池も作られており,川からの氾濫はないだろうと予想はしているのだが,この貯水池が一度満水状態になって若干溢れたこともある。ハザードマップでもいちおう越水の危険性が指摘されている地域でもある。線状降水帯に見舞われたら,厄介なことになるかもしれないとも思っている。

 人間の移動の便利のために作った舗装道路が,地面に水を染み込ませずに逆に水を集めてしまうことを改めて知った。ただ,普通の土でもこれほどの雨が降った場合は保水力に限界が来て,山崩れの危険性が増す。逆にアメリカのように平坦な土地では排水ができずに街全体が水没する危険があり,さらに竜巻が発生しやすいという危険性もある。コンクリートのように人的に固めた構造物も,時間が経てばヒビが入り,崩壊の危険がある。メンテナンスも非常に難しい。

 地球温暖化で雨が各地で大量に降っている状況はもはや元に戻らない可能性が高い。シェルター的な対策がやはり必要なのかもしれない。

政治家と会社員の違い--働いている仕事に「責任」を取れるかどうか

日本では政治家になる女性の割合は,議員の10%。しかし,女性の政治進出の先進各国でも,2021年のメキシコの48.2%が最大で,2位のフランスが39.5%。その他も30%前後で,半々には遠い。しかも,2010年はすべての国で30%を切っている。各国でもここ10年の動きに過ぎないように見える。

 一定の割合で女性議員を入れるクォータ制を各国では取り入れている。結局は,制度化しないと,女性の割合を確保することはできないのではないか。

 しかし,たとえば100人の議員のうち40人を女性議員にしたい場合,男女が同じ確率で当選するには,たとえば男性候補300人,女性候補200人を擁立しなければならない。しかし,実際には女性候補の成り手が50人しか集められなかったとして,当選確率は男性候補の4倍にもなる計算である。

 女性が政治家になるのに,日本ではいろいろ制約があるのではないか。1つは共働き率の低さである。共働きであっても,パートタイムの低時給の仕事がほとんどである。資格で仕事のできる法曹界や医者も,女性の人材は少なく,多忙を極め,政治の世界にシフトすることはない。大学の研究職には多くの女性が進むが,結婚を機に辞める人は多い。また典型的なピラミッド構造の中を突き進める人は限られている。一般企業でも,男女雇用機会均等法によって就職時に差別されることは減ったとはいえ,責任のある仕事を与えられる女性は少ない。

 逆に,女性らしい資格や学問,起業などを積極的に創出する専門系大学を作ったり,女性従業員の受け皿となる企業をもっと多く作る必要があるのではないか。かつての土木建築・機械・化学,エネルギーなどの力仕事では男性が責任を担ってきたが,健康・医薬など,女性の感性が求められる事業は,もっと女性が中心になって開発してほしいと思うのである。

 今回,第二次岸田内閣の組閣で,大臣には5人の女性が入ったものの,副大臣政務次官人事に女性がゼロだったことに,新聞社の女性記者が意見したことで,別の問題が噴出した。女性記者のコメントに対する逆批判である。ここにも,旧態依然とした男性系メディアの理屈がまかり通っている。

 ジャニー喜多川の性犯罪について女性記者がテンションを上げる理由は何かを考えてみた - jeyseni's diary (hatenablog.com) 2023/9/9 でもコメントしているが,まず筆者を含むどんな記者も,ほとんど理論武装していない。では1人でも女性副大臣がいればよかったのかといえば,半数を女性が占めるまでは納得しないだろう。その解決の糸口はすぐには見つからない。クォータ制を取り入れてたとしても10年はかかる。まして,人数が少なく,層の薄い野党が政権を獲得した場合,責任を取れる大臣の任命は困難を極めるだろう。

 今回の布陣にしても,まず責任者としての大臣に適任者を選び,そのサポート役としての副大臣事務次官に手堅い適任者を配した結果ではないかと考える。

 逆に言うと,法曹系や医者,教員など資格を必要とする仕事は,努力次第でポジションを得ることができるが,一般企業の社員のように無資格で就職をできる場合は,「責任を取れるか」という1点でのみ判定される。かつての定年制がある場合は,責任を取り業績を上げた人が昇格する。これは別に男女を問わないはずである。しかし,一般社員の定年以上に役員定年になるまで,会社の業務に専念するには,相当な覚悟が必要になる。男性であっても,せいぜい部長までは昇格したとして,その上を絶対に目指す人は少ない。

 お客様がいなければ企業の収入は上がらないが,メディアの場合は広告収入が大半を占める。すなわち,広告主が喜べば何でもありであり,視聴者が喜べば販売収入が入るので,どちらに転んでも収入は得られる。そこにポリシーがあるかどうかである。

 もし,女性代議士を増やすことを論じるのであれば,どうすれば増やせるかについて提案をすべきだろうし,メディアで騒いでももはや何の効果もないことを認識して,別の道を探すべきだろう。作家でもいいし,むしろ代議士の道を選んでみてはどうだろうか。給与所得者に独立して無収入から始める覚悟があるかどうかだろう。

 ちなみに,筆者の例を言えば,中学生の卒業アルバムには「政治家になる」と書いた。日本のあらゆる面で矛盾があり,正義に欠けていると思ったからだろう。その後,公害問題を技術的に解決する,という目的意識で大学の工学部を選んだ。しかし,一般企業が自分たちの利益を優先して環境問題には後ろ向きだったことも見えてきたため,経済の発展と環境の保全の両面から情報提供をする専門雑誌の記者の道を選んだ。21世紀に入って経済が破綻し,モノづくりが破綻したことで,そのメディアを離脱し,またそのマスコミ企業も離脱した。現在は,環境に深く関わる地球の生物のメディアを通じて,研究者の応援と多くの地球人への気づきのメッセージを発信している。

 残念ながら,どの国の政治家も,「国民の生活を守る」と言いながら,環境を破壊し,他国を侵略し,ケンカばかりしている。女性議員が増えたとしても,高齢化問題や少子化問題,介護問題などの根本的な解決策は出てこないように思える。経済成長が唯一の目標で,何でもありというのが国である。また,どんな手を使ってでもいったん金儲けをした人間は,それをたやすく手放すことはない。企業人も政治家もそして芸能人も同じである。

 日本の人口問題にとって,今回の内閣の布陣で大丈夫なのかを正し,何のための布陣なのか,その目標についてコメントをする,といった奥深さが足りなかったのではないだろうか。もちろん,答えを出すのは容易ではないだろう。