jeyseni's diary

「ジェイセニ」と呼んでください。批判ではなく提案をするのが生き甲斐です。

男の「愛」は後付けだ

男女の関係をいろいろ考えてきた。還暦を過ぎたシジイが何を言うかという気もするが、結局男女の間の溝は埋まらないものなのだなぁ、というのが結論である。

 それを一言で言ったのが、タイトルにある「男の愛は後付けだ」ということである。

 男が女性に近づくのは、愛ではない。単なる性欲である。それを成就するためには、あらゆる努力をする。言葉、プレゼントはそのためのものである。時間をかけることもいとわない。

 女性は、この「愛ではない」攻撃を「男性の愛」だと勘違いしてはならない。しっかり見極める必要がある。この言葉はホンモノか、この人物は間違いないか、値踏みしたほうがいい。

 女性には「恋」と「愛」がある。「こういう男性が理想!」というのが「恋」である。白馬の王子様に憧れる、これが「恋」である。テレビの人気グループのメンバーに憧れる。こういう人の「お嫁さん」になることに憧れる。これが「恋」である。

 しかし現実は、この夢が叶うものではない。周りにはあれこれ言い寄ってくる男しかいない。その中にも心を動かされる人がいるだろう。実際の結婚まで考えるようになるのが「愛」である。

 女性にとっての「愛」は心も体も許すことである。そうでなければ、自分にとって生物的にある意味で危険なセックスを許すことはできないからである。

 これに対して、男には基本的に「愛」も「恋」もない。アイドルへの憧れというのも、空想や夢ではない。現実に自分のものにしてしまおうという意志がある。アイドルですら、セックスの対象でしかない。オナニーの対象となることもある。ストーカー行為に走ることもある。

 「恋愛」というのは、女性のものである。男性に憧れ、二人の時間を想像して理想を膨らませ、華やかな結婚式をイメージし、輝かしい未来の家庭を夢見る。そのプロセスに感動するのが女性である。したがって、そのどの段階においても、失望の危険がある。それを押さえ込んだり、ガマンして耐えるのが、女性の愛の力かもしれない。

 しかし男には恋愛の感情がない。セックスできればそれで成就である。相手は誰でもいいのである。

 結婚という形は、セックスを苦労なくできるようにするための言わば詭弁(きべん)である。そしてこれを「愛」と口で表現して、女性を安心させるのである。したがって、男にとって「愛は後付け」なのである。

 しかも、女性にとって「安心」と「安定」はほぼ同義語なのに対して、男にとっての「安定」は実は全く不確実なものであることを付け加えたい。男は「安定」を基本的に望んでいない。常に前を向き、新しいことに挑戦する。それが男の本性である。したがって、目の前により魅力的な女性が現れると関心がそちらに向く。女性から見るとこれが「浮気」である。しかし男にとってはこれは本性である。実際に自分の妻以外の女性とセックスするところまで行って初めて「浮気」と自覚するかも知れないが、全く罪の意識はないことも多い。

 このあたりの感覚のズレは、お互いの理性で埋めるしかないだろう。男性よ。結婚できたなら、後付けでもいいからその「愛」を相手に合わせる理性を持ちたまえ。それが平和的な人生の進め方である。