jeyseni's diary

「ジェイセニ」と呼んでください。批判ではなく提案をするのが生き甲斐です。

女性の魅力と男性の魅力

フィギュアスケート全日本選手権をテレビで観た。観客も席数の半分ぐらい入り,声を掛けない拍手とカードだけの応援だったが,選手との交流はできていたようだ。女子も男子も予想通りの紀平さんと羽生さんが優勝。これにジュニア優勝者やシニアになったばかりの若手が絡んできている。代替わりも激しい種目である。

 何度見ても,2回転,3回転,4回転が目では数えられない。踏み切りの足,着地の足,そしてそのエッジ使いによって,技の種類が違うそうだが,それも見えない。スローモーションで見ても,右か左か外側か内側かが見えない。解説者はともかく,アナウンサーも的確に技を解説してくれる。驚きである。

 今回は,それを少しでも理解しようと,選手の足元を集中して見ていた。それでもわからない。動体視力も元々は強くないので,仕方ないのかもしれない。

 フィギュアスケートの女子競技は,スポーツの中では最も女性らしさを表現していると思う。今回の競技でも,森の妖精であったり,プリンセスであったり,衣装や身のこなしも表情も,女性としての魅力を存分に表現しているスポーツである。これまでは,その表現力の方に目を奪われていたこともあり,回転などの細かい技まで目が行かなかったというのも事実である。

 男性である筆者からこういう話をすると,セクシャルハラスメントと言われかねないが,女性の目から見てもフィギュアスケート女子の演技は魅力的に見えるに違いない。衣装,身のこなし,表情という表現力が,魅力のベースにあることは間違いないだろう。しかし正直言って,男性の視点からは女性のセクシーさも評価に加わってくる。カメラ小僧の撮影アングルがよく問題になるが,おそらくほとんどの男性の視線は同じである。

 フィギュアスケート男子の演技は,元々はスピードと回転のキレが評価ポイントだったと思われるが,現在はアピール性,芸術性も評価の対象となっている。以前は黒づくめの衣装が中心だったが,今はフリルが付いていたり,色もパステルカラーだったりする。ショート演技やフリー演技ではカッチリした衣装で滑ったあと,エグジビションでコケティッシュな衣装で観客を楽しませる,そういう演出だったが,今は競技もエグジビションも華やかな衣装である。

 フィギュアスケート男子のイメージは,「王子様」「プリンス」だろう。海外の選手は背が高く,手足が長くハンサムで,ダンディな印象である。日本では高橋大輔選手がダンディさで人気がある。これに対して羽生結弦選手は,王子様タイプとしての人気だろう。中性的な雰囲気に,演技に対する凛とした厳しい表情が加わり,完璧な演技を披露する。少女漫画に登場するような理想的な男性像なのかもしれない。女性ファンにとっては理想的な存在なのではないだろうか。

 現実問題,羽生選手のような優しそうな男性や,高橋選手のようなダンディな男性は,世の中にはそれほどいないと思える。筆者も落第である。それなのに,世の中の男性は男性としての魅力の見せ方が間違っているような気がする。

 男性が魅力を発揮する方法として,一つは腕っぷしがあること,そしてもう一つが身体の大きさである。腕っぷしは,実際の腕力もその一つだが,もう一つは外見的な筋肉を見せることである。ボディビルダーが筋肉ムキムキであることを見せつけるのは,一つは同姓,つまり男性に対する対抗心であるが,もう一つはおそらく女性に対する自己顕示欲である。身体の大きさは,主に対抗系のスポーツをする選手に代表されるように,背の高さ,身体の大きさがポイントになる。

 男性は,女性がこのような筋肉ムキムキマンや身体ガッチリマンを無条件に受け入れる,と考える場合が多いようだ。これが男性のセックスアピールだと思っている節があるが,女性は男性を見て性的に興奮するわけではない。男性の視点と違って,女性の視点がセックスにあるわけではない。股間を見て興奮する女性はいない。自分を守ってくれるかもしれない,という安心感を感じるだけである。あきらめて受け入れられるかどうかを判断するだけである。

 しかし,競技として観たりする場合はいいのだろうが,パートナーとして常に一緒にいるのはどうだろうか。一般論として,肉体的に優位性を感じている男性は,自己顕示欲が強く,支配欲が強い。1対1になったときに理性的な行動がとれるのか,はなはだ怪しい。有名なスポーツマンの家庭が本当はどうなのか,表には出てこないだけなのではないのか。

 魅力の感じ方が,女性と男性では異なる。男性は女性を常にセックスの相手として評価する。衣装や身のこなしに「感じる」と,それはすぐに性的な刺激につながって興奮する。衣装から見える肌,胸元やヒップのシルエット,顔の表情,話し方など,すべてが男性を性的に刺激するのである。一方,女性は男性をセックスの対象とはすぐには考えない。魅力を感じたらうっとりして,自分の理想の付き合いのイメージに浸って満足感や安心感を覚えるが,性的な興奮はない。そして実際のセックスでも,男性の射精のようなピーキーな絶頂感はなく,夢が現実に戻されるのを覚えるのである。それでもパートナーとしてやっていけるかどうかは,男性の思いやり次第であり,これには強い理性が必要である。

 スポーツ界の選手年齢層がどんどん下がっている。先のフィギュアスケートや体操,水泳などでは,中学生でデビュー,高校生で技術のピーク,その後は演技で伸ばすといった風潮が強い。特に女子選手の場合,身体が変化する前の中学や高校時代に技術的に難易度の高い演技で活躍し,その後,身体が成熟すると技術点が取れなくなるという流れが強い。女性の演技というより女子の演技,という印象であり,低年齢層の演技は女性としての魅力を出すにはかなり無理がある。また正直言えば,まだ女性としての魅力が成熟していないのに,女性としての演技をさせられている,という痛々しさを感じることも多い。個人差はあるだろうが,シニア競技の中にジュニアが入るのは,むずかしさを感じる。

 スポーツをセックスアピールとしてとらえる筆者の視点は正しくないことは理解している。しかし,それぐらい男女の感じ方の違いがあるということを,改めて知ってほしいと思い,ここに記述することにした。女性は常に,周囲,特に男性には注意を怠らないことをお勧めしたい。男は常にオオカミである。