jeyseni's diary

「ジェイセニ」と呼んでください。批判ではなく提案をするのが生き甲斐です。

野球も嫌いである

野球も嫌いだ,という話をすることにする。筆者の生まれ育った時代と地域では,今のようにサッカーもなければテニスもなかった。バスケットボールもなかったから,球技といえば野球だけだった。当時から少年野球チームに入っている友人もいた。

 筆者の野球経験といえば,高校のころのソフトボールである。ウチのクラスは55人中52人が男子で,けっこう仲が良かった。高校3年生だというのに,休み時間にはグラウンドでソフトボールで遊んでいた。そのせいか,8割が受験に失敗して浪人した。当時はそれがけっこう許されていた。筆者も浪人組の1人である。

 ソフトボールは面白かったが,正直筆者は下手くそだった。外野まで飛んだことがない。たいていはボテボテでアウトになっていた。なぜ飛ばないか一生懸命考えたがわからなかった。いまだによくわかっていない。

 野球が嫌いな理由は2つある。一つは以前書いたが,駆け引きのスポーツだからである。時間という記録への挑戦がない。ピッチャーの投げるスピードぐらいしかない。敬遠で勝負しないことが許されるというのも嫌いである。満塁策を採ってホームでアウトにするという作戦も嫌いである。

 嫌いな理由のもう1つは,周囲に対して危険な競技だからである。

 筆者の兄は,小学校のころ,野球部の練習のそばを通ったときに,振り回されたバットが頭に当たって失神した。後遺症こそ残らなかったようだが,一時は命の危険もあった。実際,筆者のいた高校では,野球部の練習で飛んできた硬式ボールが頭に当たってサッカー部の部員が亡くなった。木のバットを使うプロ野球では,折れたバットがピッチャーに直撃する事故もある。手からスっぽ抜けたバットが飛んでいくことも多い。

 最近のプロ野球を見ていても,その防具の着け方がどんどん大げさになっていく。ヘルメットは耳の上も覆うようになったし,顔を守るためのプロテクターも開発された。ヒジから手首を保護する小手のような防具,膝からスネを守る防具,スパイクの上面にも金具が入っているものがある。当事者ですら,これだけ身を守らなければならないのに,その周辺に飛んできたボールをどう避ければいいのだろうか。

 野球マンガでは,バックネットにボールが食い込んで回転し,煙を上げるような描き方をして球力を表現したりする。しかしこれが実際は選手や関係者,そして観客に対しても同じ脅威を与えるのである。

 ときどき,道端で,しかも暗くなってからバットの素振りをしている人を見かける。当然,素人であろう。とても怖くて,近くを通ることができない。

 同じ理由で,ゴルフも嫌いである。ただ,コースをどう攻めるかを考えたり,芝の目を読んでパットする辺りは,自分とコースとの闘いなので,自分が参加する分には面白いと思っている。しかし,ドライバーなどのクラブは野球のバット以上に長く,しかも先端に固い塊が付いていて,回転時のスピードも野球より速い。これも素人が振り回すとあぶなっかしい。グリップがすっぽ抜ける可能性も高い。ボールは硬式野球のボールよりさらに硬く,飛翔スピードも速い。たぶん後ろには飛んでこないとは思うが,左右のある程度の角度までは危険があると考えた方がいい。

 筆者は関西出身だが,阪神タイガースファンではない。東京で仕事をしているが,読売ジャイアンツファンでもない。さらに西武電鉄沿線に住んでいるからといって,西武ライオンズファンでもない。かつて仕事で広島の企業を訪ねた際,いきなり広島カープ戦の話から始まった。地元では,天気の話よりも野球の話なのだという。しかし,アメリカの野球が地元色なのに対して,日本の野球はスポンサー色が強い。かつては電鉄会社と新聞社,水産業がスポンサーだったが,今はインターネット企業や保険業が幅を利かしている。球場の名前にスポンサー名が入ったり,その名前がころころ変わったり,節操がないように感じる点も,好きになれない理由かもしれない。

 野球やゴルフに限ったことではないが,引退後にタレント業に転向する人が多いのも気にいらない。やはりスポーツ解説者やスポーツ指導者として後進の育成やアドバイスをするか,あるいは一般の会社員的なルーチンの仕事でコツコツと活躍してほしい。その知名度からCM出演などへのオファーも多いのだろうが,現役とはまったく畑違いの製品コマーシャルなどには出てほしくない。逆に,このコロナ禍で「ルールを守る」というメッセージを伝えるには,スポーツ選手やスポーツ出身者は適任ではないだろうか。しかし,一度おいしい人生を味わってしまった身にとっては,相変わらずある程度贅沢な暮らしを続けておられるだろうから,このコロナ禍の庶民の切実感は感じないのかもしれない。そういう社会性のなさは,有名人や先生族に共通の感覚なのかもしれない。