jeyseni's diary

「ジェイセニ」と呼んでください。批判ではなく提案をするのが生き甲斐です。

「起業」を再考する--虚業ではなく実業を

日本でも自分で起業する若者が増えている。これだけなら喜ばしいと言えるのだが、中身が残念なので、一言まとめることにした。

   2023年3月末までのNHK朝ドラ「舞い上がれ!」で、主人公は航空機バイロット試験に合格したが、父の死で家業のボルト工場の営業を手伝い、その後、独立して地域の中小企業の協業を支援するコンサルタント会社を設立。最後は、その支援で完成した空飛ぶクルマのパイロットとなる、というストーリーだった。

   日本の中小企業の力だけで、製品が作られるというシナリオは理想的なのだが、最後はCGで誤魔化したのは残念である。しかしもっと残念なのは、主人公の起業が「実業」ではなかったことである。

   実業団といえば、企業や団体を指すのだが、かつての実業団といえば、基本的にメーカーや交通機関だった。その延長か、プロ野球チームの親会社は鉄道会社や水産会社、そして新聞社だった。

   ところが、プロ野球チームのスポンサーは、鉄道会社も水産会社もなくなり、金融会社のオンパレードになってしまった。日本のモノづくり力の低下を示している。

   実業団のスポーツも、金融会社やインターネット企業が増えた。クルマメーカーやコンピュータメーカーも入っているが、他に目立った企業がいない。

   かつて、パナソニック松下電器産業)も本田技研トヨタ自動車も、ベンチャー起業会社だった。しかし現在、メーカーとしての起業はほとんど聞かない。

   多くの起業が、コンピュータソフトウェアやスマホアプリなどのプログラム系と、サービス系である。前者の8割はゲームであり、後者の半分は飲食系、残りは金融系である。

 モノづくりこそ外貨を稼げる,まさに「実業」だと思っている筆者にとって,プログラム系やサービス系は外貨を稼がない「虚業」に見える。筆者が関わっているメディア系も,もちろん「虚業」である。さらに,個人企業である専門職や,芸人,そしてYoutuberなども独立起業だが,外貨を稼ぐことはなく,やはり「虚業」だと考える。

 筆者が社会人になった40年前は,日本のモノづくり産業が絶頂期にあった。クルマも家電もワープロもプリンターも,何でも世界一にあった。大学の工学部を卒業した筆者は,どうすれば新しいモノを生み出せるかが夢だったが,大手メーカーはいずれも製造現場での採用だったため,モノづくりを応援するメディアにたまたま出会ったことから「虚業」の道を進んだ。ただ,製造業応援団として努力してきたつもりである。2000年を過ぎて日本のモノづくりが停滞し,衰退していったことが残念でならない。現在は,モノづくりを含む科学技術の再興を目指す若者を支援するメディアに参画している。人材を生み出す教育系は,「実業」だと考えている。

 虚業虚業たるところは,ほぼ頭で考えるだけなので,変わり身が容易なことである。次々と新しいアイディアを実現できる。新商品,新メニュー,新ネタなどを生み続けなければならない。そこに設備投資が要らないからである。実業の場合,世の中にモノを送り出す前に何度も試験をし,性能や安全性を確実にする必要があるが,虚業の場合は,アイディアを世の中に送り出すだけで良く,不都合があれば修正を繰り返せばいい,という安易な発想で仕事ができる。柔軟といえば柔軟だが,見方を変えればいい加減ということになる。

 パソコンの基本ソフトであるOSも,機能を向上するとともに,不都合をどんどん修正することで現在はアメリカが世界制覇を果たしてしまった。さらにAIが実用的になってしまい,人がコントロールできなくなりつつある。AIによって仕事がなくなると懸念されている業界こそ,「虚業」である。

 ただ,実業の起業は難しい段階に入っている。日本ではさまざまなスキマ製品がアイディア商品として提案されてきたが,決してお金を出して買おうというモノばかりではなかった。そこに中国を中心としたアジア諸国が低コストでスキマ製品を開発し,これを展開する100円ショップという形態が定着してしまった。当初は品質に問題もあったが,現在は「本当にこれで100円なの?」と思えるほどクオリティもアイディアもビジュアルも高いレベルになっている。かつての,「安くて高品質な日本製品」を上回る製品が,しかも開発速度100倍で日本に押し寄せてくる。これに対抗する実業を生み出すのは非常に難しい。

 このブログで何度も書いているが,日本が今,生み出せるものは水素エネルギーと食糧である。特に食糧は,自然から搾取するのではなく,育成する養殖,しかもコントロールできる陸上養殖や植物工場など,日本ならではの集約的な運用で作って供給することで,その関連産業を育成するというかつての成功モデルを,水素と食糧で実現してほしいと考えている。筆者は,その人材育成の仕組みを支える応援団として,もう少し頑張ってみたいと思っている。