jeyseni's diary

「ジェイセニ」と呼んでください。批判ではなく提案をするのが生き甲斐です。

久しぶりに聞いた「半導体は産業の米」--かつてのメモリー大国だった日本の凋落ぶり

1980年代,あらゆる電化製品にマイクロコンピュータが搭載された。炊飯器にまで搭載され,火加減のコントロールが細かくできるようになった。電子化が困難と言われたクルマのエンジン制御用にもマイコンが搭載されるようになり,その後は排気ガス規制のために必須の要素となった。

 当時,半導体の生産は欧米が中心。これに日本は半導体モリーの高密度化による大容量化で一大半導体産業拠点となった。日本にとってまさに「半導体は産業の米」と言われた時代である。

 その後,この大容量メモリーの生産は,台湾,韓国,中国からインドなどの人件費の安い地域へと中心が移った。あらゆる機器に半導体が使われる背景には,その低価格化が寄与しており,日本での生産では太刀打ちできなくなった。九州や四国,東北を中心に一時期は日本のシリコンバレー構想が進められたが,ほぼすべてなくなった。高機能のマイクロコンピュータは欧米の設計で主に台湾でTSMCが受託生産しているし,メモリーに至っては東南アジアのどこで生産されているのかもわからない状態である。それでも,建屋から製造装置まで丸ごと作り上げて,生産は自動化なので,品質のバラツキはほとんどない。最後の大量生産品といえるかもしれない。

 コロナ禍で,これらの半導体の生産が通常の1/3ぐらいしかできない状態になっている。従業員が工場に行けない,行っても離れて作業しなければならず効率が悪い,世界中の物流がうまく動いていない,などの理由と合わさって,「半導体不足」が世界中で起きている。

 クルマも新車を作れない状態だが,仕事で必要な人は待つことができない。このために中古車市場が高騰している。筆者の家の近所にある中古車販売店でも,通常はフィールドにほぼ一杯の中古車が並べられており,何となく閑散をしているのだが,現在は半分ぐらいのスペースが空いた状態になっている。おそらくどんどん売れているからだろう。中古車市場もなんと,新車より高値で取引されるような状況になっているそうだ。

 こうした中,熊本県に台湾TSMC半導体工場を誘致する話が決まった。残念ながら日本のメーカーにはもう半導体製造のノウハウがなくなってしまったようである。TSMCから優先的に供給を受けて国内需要に応えようという計画なのだが,生産開始が2024年だという。とても間に合わないような気がする。

 クルマだけでなく,ガス湯沸かし器でも製品不足が進んでいるという報道があった。一般家電でも,家庭用のプリンターの生産が止まっているという。修理を依頼しても半導体チップがなくて受け付けられないケースも出ているらしい。

 冬場に必要な給湯器,夏場のエアコン,テレワーク用のPC,必要悪で持ち歩いているスマホ,そしてゲーム機など,ほぼあらゆるもので半導体が必要になっている今,とにかくまず「壊さないように大事に使う」ことが求められている。壊れたら代わりがない。あっても中古でバカ高いなんてことにもなりかねない。

 結局,日本人はいい意味での「したたかさ(強かさ)」を失ってしまったのではないだろうか。かつて,欧米から技術を盗んででもNo.1になろうとした貪欲さをなくし,安易なカネ儲けの道を突っ走っている。汗まみれ,油まみれ,徹夜残業,どぶ板営業などをしない,ほとんど詐欺まがいの商売か,本当の詐欺によるカネ設け,そして毒にも薬にもならない雑学と,人気アップのためには手段を選ばぬアフィリエイト商法やYoutuberなど,世界に対して恥ずかしい日本の姿ばかりが目立つ。

 クルマ作りも,場当たり的なハイブリッドから,将来の電池資源の枯渇につながるEVシフトなど,誤った方向に向かおうとしている中,トヨタが提案・試作している水素燃焼車が唯一,日本オリジナルな技術として筆者は評価している。

 せっかくTSMC半導体工場が日本にできるのなら,日本人従業員を雇用して勝手にチップを作らせるだけでなく,日本の設計エンジニアによる日本独自のチップをTSMCに作らせて世界に供給する,という「頭」の部分に日本が食い込んで居場所を確保してほしい。そして再び,半導体立国の復興をしてほしいとも思っている。

 たまたまニュースで聞いた民間宇宙ビジネスの話など,「今の地球にまったく必要がない」事業に,頭脳とカネを使ってほしくない。それよりも,COVID-19再感染拡大が起きている世界の中で唯一,低水準をキープしている日本が,早く「なぜキープできているか」を解明して,世界に向けて情報発信することの方がよほど大事ではないのか。

自動車なんだから,停車中のブレーキは「自動車」(ハンドブレーキ)に任せてはどうですか

信号待ち時,ブレーキ踏み続けをやめよう--これが「踏み間違い」の原因だ - jeyseni's diary (hatenablog.com) 2021/11/12。信号待ちで停車した際,サイドブレーキパーキングブレーキ)を使って,フットブレーキから足を離すことで,脚の疲れを少しでも減らし,踏み間違いをなくそう,という提案だった。

 今日,クルマを運転して,改めて「意識的に」サイドブレーキを使ってみることにした。脚が楽なのはもちろんだが,クルマが停止している間,停止という作業をクルマに任せたということに気がついた。つまり,「自動車」に「自分で停車を続けさせる」という作業をさせた,ということである。

 クルマは,実は「自動で動く」わけではなく,人が動きを指示している。しかし逆に,サイドブレーキを使えば,停車はクルマが「自動で停め続ける」ことができる。何も考えなくても,勝手に停車を続けてくれる。これこそ“自停車”である。

 つまり,動かす間は人が操作し,停まっている間はクルマが操作すれば,間違いは起こらない,というわけである。動かして停めるまでの操作がきちんとできるかどうかをきちんと評価するのが,運転免許制度である。しかし,信号停止も含めて,クルマが停まっている間,わざわざ人がブレーキを踏み続ける必要はない。そこはクルマに任せればいい。ブレーキの踏み続け方は審査されるわけではない(もちろん,勝手に動いてしまうようなブレーキペダルの踏み方は論外だが)。

 今回の事故は,サイドブレーキをかけず,ブレーキペダルも踏まない状態で,クルマがクリーピングしたことに驚いて,運転者が慌ててブレーキの代わりにアクセルペダルを踏み込んだのが原因だと報道された。ハイブリッド車にクリーピングが必要なのか,と思うところもある。そもそもクリーピングは,エンジン車の発進時にエンジン回転を車軸になめらかに伝えるためにオートマチッククラッチの接続をわずかに加えているものである。ハイブリッド車の発進時はモーターの回転を車軸に伝えるだけであり,クリーピングはなくてもモーターは最大トルクを車軸に伝えることができるため,不要な機能であるともいえる。長年のエンジン車のオートマチックでのクリーピングが運転者にとっては発進の遅れを少し緩和できるというために,ハイブリッド車でもわざと導入した機能である。そういう余計な設計が,今回のような踏み間違い事故を誘発しているとも言える。かなり多くの事故で,ハイブリッド車が関係しているように見えるのである。

 信号で停車したらサイドブレーキをかける,発進時にはサイドブレーキを外してアクセルペダルを踏む,という動作を基準として教えることで,あらゆる踏み間違い事故は防げる可能性があると考える。だから,停車中のブレーキは自動車に任せよう,という提案である。

「期間限定結婚契約」(たとえば30年満期)の提案

瀬戸内寂聴さんの死と女性の性への考え方--結婚は子供を産んで育てる場。世の中に無事送り出したら自分の人生を取り戻すために準備と勉強を - jeyseni's diary (hatenablog.com) 2021/11/19 と,瀬戸内寂聴さんの死に寄せてコメントしているうちに,「結婚制度」をもっと柔軟に運用することを思いついた。つまり,「子供を育てて世の中に送り出す」までの間の「期間限定結婚契約」を制度化することである。

 これにより,「離婚」という概念はなくなる。「結婚期間満了」である。もちろん,継続することも可能である。

 たとえば30歳で結婚し,2人の子供を設け,子供が25歳になって独立するまで30年である。60歳になれば結婚契約が解消される。その後,一緒に生活するのもよし,別々の人生に旅立つもよしである。結婚解消時に財産分与をすれば,後の生活に当面困ることはない。

 60歳で結婚が解消されることが前提なので,夫婦別姓は当たり前のこととなる。元の姓を名乗ったのなら,実家の墓に入ることもできる。わざわざ嫁ぎ先の墓に入ることもない。

 満了に伴って,特に男性は若い女性とまた契約したいと考えるだろうが,これは禁止事項とする。特に未婚の女性との再契約は違法とする。また契約でなくても愛人関係などもすべて違法とする。

 女性にとって,「60歳になるまでは独立できないのか」という思いはあるかもしれない。別にそこは縛りがあるわけではない。子供が大学に入学するまで,とすれば5年早くなる。ただ,子供が独立して自分で生活を始めるまでは,子供にコミットしてほしいと思うのである。

 結婚する前の仕事を継続しても構わない。その場合は,仕事と子育てを両立する必要はある。これはパートナーとの契約でなんとでもなると考える。男性側も,女性を家に束縛するという意識から離れることができるのではないだろうか。

 要は,日本人は「結婚」に思い込みが激しすぎるのではないかと思うのである。結婚したら女性は仕事を辞めなければならない,家事に専念しなければならない,○○家に入らなければならない,一生面倒をみていかなければいけない,と思い込みすぎるのではないだろうか。だから「パートナー」という対等なイメージがいつまで経っても生まれないのではないか。

 戸籍や家族制度を守るために,「結婚」という形で子供という次世代の財産を生み出すことは,国にとって重要である。非嫡出子をなくす意味でも,結婚という契約形態は必要である。しかしそれは「終身契約」である必要はないのではないか。期間限定で,子供をきちんと育てるため,という大義名分があれば,いいのではないか。その後,契約満了とするか継続契約にするかは,当事者が考えればいいことである。正しい契約の元で生まれた子供たちが非嫡出子になることもないし,姓名で迷うこともない。独立する際に自分で決めればいいだけである。

 この契約制度のメリットは,女性が第2の人生を考える機会を与えられることである。学生時代,優秀な成績を修めていても,卒業後の就職先で「お手伝いさん」状態であっては,キャリアを積むことも将来花を咲かせることもできない。60歳になってからの20年,30年という第2の人生でできることを想像して,結婚期間に子供を育てながらその準備を続けることで,契約満了後にスムーズに第2の人生をスタートできる。女性らしさを活かした細やかな看護や介護,教育,飲食店などから,ITでの独立起業,さらに医師や弁護士などの専門職でもいいだろう。結婚契約期間中はたとえば週2回勤務とし,期間満了後にフル採用に戻る,というようなキャリアパスが望ましい。

 現在の結婚制度では,結婚のタイミングで仕事を辞め,夫の扶養家族になり,子育てに専念,少し手が空いても時給800円のパート仕事しかなく,子供が無事独立しても,手元には夫以外の人間関係や仕事関係がない。その夫が今度は定年で濡れ落ち葉のように貼り付いてくる。それは確かに悲しい人生である。

 「30年満期結婚契約」で,当人同士も子供も十分なサポートが受けられるし,企業側も結婚中の週2日のキャリアパスを提供できれば,30年後も優秀な人材を確保できる。テレワークを併用すれば,フルタイム待遇もほぼ可能な時代である。企業側も十分検討に値するのではないだろうか。

瀬戸内寂聴さんの死と女性の性への考え方--結婚は子供を産んで育てる場。世の中に無事送り出したら自分の人生を取り戻すために準備と勉強を

2021/11/9に99歳で亡くなった瀬戸内寂聴さん。正直,筆者はほとんど存じ上げないし,作品も読んだことはない。出家後の教えを聞いたこともない。女性にとって,先達としてさまざまな体験をされ,それについての一貫した思想をお持ちだったと拝察する。

 追悼のニュースの1シーンで,法話の中で「女性として生まれたことを悲しまないでください。つらいことがあっても必ず終わります。我慢していたら、またいいことがあります」というようなことを語るのを聞いた(正確でなくて申し訳ない)。

 おそらく,さまざまな体験の中,そして多くの悩みを聞かれた中で,多くの心に沁みる言葉を残されて来られたのだろうが,最後は「女性=我慢」という結論だったのかな,と思ってしまった。

 人を好きになること,夫婦を継続することなど,男女の関係に平等はなく,自分の思いどおりに生きて苦労するか,一緒にいることを我慢するか,というのが悟りの境地だったのかもしれない。

 何度も言うが,男性が女性と一緒にいたいと思うのは,1に性欲が満たされること,2が身の回りの世話をしてくれること,3が自分の我がままを聞いてもらって安心が得られること,などである。デメリットは,若干の扶養のための費用がかかることだけである。逆に,女性が男性と一緒にいることのメリットは,働かなくてもおカネやモノがもらえること,いちおう力で守ってもらえることなどだが,デメリットは,男性の性欲の処理に付き合わなければならないこと,妊娠や感染病などのリスクがあること,そして視覚的,触覚的に秘部を提供しなければならないことなど,セックスに伴うさまざまなできごとである。

 我慢すればいいことがある,と解くのは,やはり残酷である。さまざまな圧に耐えることは,生き物にはすべてあることだし,これに耐えて伸びる力を生き物は持っているが,耐えきれずに死に絶える生き物もいる。雌雄の性によって子孫を反映させる進化をした生き物にとって,子孫を抱えたメスをオスが力で守る,という関係が自然と生まれたと思われる。生き物にとっての「我慢」とは,生死をかけて自然に対して耐え,敵に対して耐えることである。これを守り抜く強いオスの血統が受け継がれることで,繁栄するという構図である。

 その点,ヒトはいい加減なオスの存在によってメスが翻弄される構図になっている。まず「天敵」がいないから,戦わないオスが大半となり,したがってメスや子孫を守るという意識がオスには徹底的に弱い。セックスは自己満足のための遊びが大半である。

 また,自然と闘うのはオスそのものではなく,家であり地位でありカネである。家が寒さや暑さを防ぎ,地位とカネによって貧困や飢餓から逃れる。オスの腕力はほぼ関係なく,知能や知恵が強さの証明になる。もちろん,悪知恵というのも強さである。

 残念なことに,腕力の相手が自然や敵ではなく,仲間である他のヒトに向けられたのが,人間の不幸である。他民族を支配し,他国を占領するという大きなところから,暴力やあらゆるハラスメントで個人的な攻撃をする辺りまで,ヒトはエネルギーの使い方を間違えているように見える。そしてその最大の被害者が女性ということになる。

 とすれば,女性が闘うのに「腕力」は要らない。知能と知恵で強さを証明することである。我慢し続けることではなく,自分の側が上に立つ面を見つけることである。

 多くの男性は,大声を出して手を挙げれば相手は従うと思っている。ここは,寂聴さんの言われるように「別れる」という選択肢を行使すべきだろう。泣き寝入りすれば,相手はますます増長する。その前に吹っ切る必要がある。そのためには,勉強してきた知識を活かし,挑戦し続けることだと思う。Doctor-Xではないが,自分の腕で相手に文句を言わせないだけの能力を身に付けることである。

 寂聴さんも,最後は家族を捨てて文筆と講話という「言葉の力」に賭けられたのだと思う。そこには能力もあったのだろう。筆者がいくら駄文を書いても人に訴えることができないのは,言葉の力が足りないからだろう。

 女性にとっての最大の力は,子供を産んで次の世代につなぐことである。しかし,それだけで終わってはもったいない。またその目的のためだけに,おカネと時間を使うことはもったいない。自分磨きは何も,外見だけではない。内面を磨くためには,興味と勉強と仕事である。子供を無事,世の中に送り出したら,もう一度自分を輝かせるために,道を考えることと,その準備を進めておくことが重要だと思う。

 男性は,結婚すれば生涯,パートナーは付いてくるものと勘違いしている。それこそ,マザコンが抜けきれていない。またそれが当たり前というステレオタイプである。中年離婚,熟年離婚を言い出されたときに慌てるのは男性である。ご飯を作ってくれたり,性欲解消の対象となることを当たり前と思っているのである。

 一生寄り添うのも一つの人生である。しかし,それぞれが第2の人生に旅立つのも,いまや問題はない。それを助けてくれるのがIT技術である。「パソコンの操作はお父さん」ではなく,「そんなのパソコン使わなくてもスマホでできるよ」と言ってのけることができるのが,今の世の中である。

 濡れ落ち葉の男性を振り払い,輝き続ける女性であってほしい。もうセックスの相手はしなくていいのだから。逆に,若い女性は,年寄り(中年を含む)男性の犠牲にならないよう,理論武装をすべきだろう。おカネに釣られて行動することだけは,何としてもやめてほしいと願うのである。

「鮭ふりかけ」に出会う--三角おにぎらずのススメ

筆者は,おにぎりを作って持ち歩くことも多い。もともと,おにぎりを作るのは苦手なのだが,「おにぎらず」にできる容器を見つけたところからいろいろ研究している。

 まずこの「三角おにぎらず」容器について紹介する。購入したのは,ある100円ショップである。ちょうど,コンビニの三角おにぎりが入るような,三角形のシェル状のプラスチック容器である。もちろん100円。最初はあまり期待していなかった。

 おにぎらずの作り方は,この容器を貝状に開いてラップを載せる。これを左手の上に載せ,右手でシャモジでご飯を詰めていく。詰めるというより,少しずつ載せていく。3つの角は少し強めに入れるだけでいい。

 詰め終わったら,中身を入れてパタンと合わせる。いったん開いて,ラップの端を折り込み,もう一度閉じる。これを容器ごとパンパンと叩いて少し押し固める。握らずに形を整える。つまり「おにぎらず」である。あとは開いてラップを軽く開いて,熱気を逃がす。このとき,1/3幅の海苔を重ねて巻くと,さらにコンビニおにぎりみたいに見えてくる。

 さて,おにぎらずの中身だが,シャケ,カツオ,高菜漬けなど,好みのものを入れてきた。ただ,シャケはいつも瓶入りの鮭フレークを使ってきたのだが,この瓶入り鮭フレークの取り扱いにいつも難儀してきた。開封後は冷蔵庫で保管しなければならないが,個人の家で使うにはスーパーで売っている鮭フレーク瓶は大きすぎて,消費するのに何ヶ月もかかってしまう。味もどんどん落ちているように感じる。かといって,小瓶を選ぼうとすると,正直言って“偽物”っぽい。ひょっとしたら,タラを着色しているだけなのではないかと思ったりする。

 カツオは「おかか」としてふりかけとして売られているし,小魚の山椒和えなどもふりかけとして普通にスーパーに並んでいるのに,なぜか鮭のふりかけに出会わなかった。おにぎり用に「鮭とワカメ」は売られているが,鮭単体のふりかけにはどうしても出会えなかった。「しっとりシャケ」というフレークの袋入り商品も試してみたが,これも本当にシャケかと疑ってしまうほど,シャケの香りがしなかった。

 試しに「鮭茶漬け」をおにぎらずに挟んでみた。これはまあまあシャケの香りはしたが,量を入れようとすると今後は塩っけが多くなり,おにぎりには不適当だった。

 そうこうして数年が経過し,スーパーで初めて「鮭ふりかけ」に出会った。カツオふりかけならば削りカツオ節,ジャコふりかけなら乾燥小魚の形が残っているものだが,この鮭ふりかけは,いわゆる「のりたま」的な顆粒状だった。鮭茶漬けはシャケのフリーズドライの形が残っているが,ふりかけはさらに細かい粒だった。香りはシャケなのだが,やはり食感は物足りないのが残念だった。

 以前から,「鮭,フリーズドライ」とかで検索してもなかなか見つからず,あってもイヌのおやつだったりする。ふりかけやお茶漬けの追加アイテムとしての需要はあると思うのだが。まあ,生シャケ(塩シャケ)を買ってきて,焼いてほぐして,冷凍にしておけば済む話なのだが,なんとかもう少し手軽な食材として供給してもらいたいものである。

 

テレワークデスク&ベッドを提案するはずだったが・・・

筆者の育った家は,昔ながらの和式住宅だった。決して金持ちでもない普通のサラリーマンの家だが,今の我が家の規模から考えると,信じられないぐらい大きな家だった。家の中央には廊下があり,玄関と勝手口があり,そして畑が作れるほどの庭もあった。給料はオヤジよりもはるかに稼いでいるはずなんだがな,と思いつつ,見果てぬ夢である。

 当然のように,ほぼ全室が畳敷きの和室だった。寝る時は布団。羽毛布団もエアコンもない時代で,寝る時は寒かった。

 今の我が家も和室中心だが,筆者のいる納戸兼の小部屋は,板張りである。ここでベッド生活を,しかも目の高さぐらいのハイルーフベッドが憧れだった。子供用の学習机を家具店に見に行ったときも,2段ベッドやハイルーフベッドのコーナーを見ていた。ベッドの下のスペースに机を置いて,基地のように使うことをイメージして,子供にも勧めたり,母親に打診したりしたが,何しろ床面積の狭い家なので却下され続けていた。

 しかし,実は我が家は今時の高断熱高密閉住宅ではなく,夏は暑く冬は寒い。床から少しでも離れたいと思って,折りたたみ式のベッドを導入。これはこれで,掛け布団も一緒に折りたたんで壁に寄せられるので快適である。ただ,毎日畳んだり広げたりを繰り返すのがやや面倒だった。

 そこで思い切って,ハイルーフベッドを買おうと計画し,実際に注文もしたのだが,冷静になって考え直して,「私の部屋には大きすぎる」と改めて思って,キャンセルしてしまった。大きさ的には十分入るのだが,余裕スペースがなくなってしまうのである。

 また,ハイルーフベッドは地震対策にもなると考えていた。筆者の部屋は,モノを積み上げてあるので,おそらく大きな地震が来たら全部上から崩れ落ちるのだが,寝ている時にちょうど頭の上にもダンボール箱が落ちてくる感じになる。ハイルーフベッドで高さ150cmぐらいのところにいれば,上からモノが落ちてくる心配はない,と考えてこの方が安全ではないかと考えたのである。

 しかしよく考えてみると,ハイルーフベッドの上で寝ていて地震が起きたら,果たしてベッドがひっくり返ることはないか,自分は安全にいられるか,と考えたときに,不安の方が大きくなったのである。

 ハイルーフベッドを導入し,その下にデスクを置き,周囲にカーテンを巡らせることで,テレワーク用の“基地”あるいは“コックピット”ができるはずだったのだが,残念ながら実現しなかった。

 実はこの基地ができたら,さらに改造して「防音型テレワーク基地」を提案する予定だった。周囲にさらに板を貼り付け,音が漏れないようにすれば,機密性の高い仕事でもテレワークに堪えられる環境を提案するはずだったのである。

 実際,防音型の時間貸しテレワークボックスは駅を中心にあちこちにできつつあるが,正直,そんなところで1時間や2時間で集中して仕事ができるかと言えば疑問である。自宅で完全に家の環境と切り離した空間で仕事をすることを,できれば提案し,アピールしたかった。

 自宅用のテレワークボックスも販売されているが,だいたい10万円はかかる。もう少し安く,3万円ぐらいでできれば,企業側からもテレワークの推奨ができるのではないかと思うのである。ちなみに,今回のハイルーフベッドは,定価税込みで2万5000円と格安だった。あとは防音カーテンに5000円ぐらいかけて,実現できるのではないかと考えたのである。カーテンを使えば,背景をほぼ均一にでき,zoomなどでのコクピット化が容易でもあると考えている。 

 このコクピット化をイメージして,部屋のモノや棚を少し移動させた。もう少し断捨離すれば,再度,導入を考えてもいいかなと思いつつある。

我が家のイヌが2匹から7匹に増えたかもしれなかった件

筆者宅では,12年前から2匹のイヌを飼っている。老犬の域に入り,あと数年かなどと思うたびに,ペットロスになることが予め予想されるのが辛いが,今をとにかく最大限有意義に過ごそうと思って日々を過ごしている。テレワークは,筆者にとってはとてもありがたい仕事形態なのである。

 さてその我が家に,突然,5匹のイヌが来る可能性があった。昨日,ある情報網で「明日,殺処分になるイヌたちの引き取り手を募集」という情報が流れてきたからである。対象は10匹。そのうち半分の5匹は保護団体に引き取られることが決まったが,残り5匹の引き取り手がいないというのである。

 時間がない。周りの人に少し状況を聞いてみても,欲しいけど翌日すぐに引き取れるという人はなかなかいない。しかし,朝の間に連絡して引き取りを申し出なければ,命が失われる。

 家族からは,こっちの子はウチの子の小さいときに似てるから引き取りたい,とかいろいろ話はあったが,じゃあ残った子はどうなるのか,と考えたとき,筆者は「とにかく一度,5匹全部引き取ろう」と提案した。どの命も同じ命だからと考えたからである。

 すでに2匹の老犬のいる一般住宅に,しつけ状態も分からないイヌが一気に5匹も来ると想像しただけで,部屋中が大混乱になることは目に見えていた。そもそも場所がない。ケージもリードもトイレも,今の2匹分しかない。餌はどうする,散歩はどうすると,考えることは楽しいが,現実が近づくと「とにかくその場その場でやるしかない」という気持ちで高揚した。

 結果として,10匹がまず全部保護施設に引き取られることになった。そこで譲渡会などを通じて欲しい人へのアナウンスが行われるのだという。筆者宅もいつもの2匹の散歩で朝を迎えた。

 イヌやネコの殺処分数について,昨年のデータを見つけた 犬の「殺処分」の現状。殺処分ゼロは本当なのか?ペット先進諸外国との違いについて知る|docdog(ドックドッグ) 2020/7。2018年度における犬の殺処分数は7,687頭、猫の殺処分数は30,757匹で,その10年前はほぼその10倍はあったらしい。年々,処分される数は減っている。それでも単純計算で毎日イヌが20匹,ネコが100匹も処分されていることになる。筆者が思いつきで5匹引き取ったとしても,それが限界である。

 ペットとして我が家に来た2匹ですら,おそらく生まれて1ヶ月ぐらいで母イヌから離されてペットショップ店頭の陳列ケースで数ヶ月を過ごしていたことになる。ずいぶん残酷な仕打ちを受けたものである。当時,ケースに並んでいたのはイヌが7匹ぐらいとネコが10匹ぐらい。1匹をまず家に引き取り,その後3ヶ月後にもう1匹を引き取った。最初にこの2匹が候補になり,手間のかからない1匹を選んで家に引き取ったが,もう1匹がどうしても気になってショップに通い続けた。3ヶ月も経過するうちにどんどん成長する。子犬が大きく育ってしまうと,その分,引き取り手も限られてくるらしい。「来週来て,まだ引き取り手が決まっていなかったら我が家に引き取る」と決めて帰った翌週,図らずも彼女はまだケースに残されていた。あとは無条件に引き取り手続きを進めた。もともと,トリミングの手間のかかる犬種だったので我が家では飼えないといってもう1匹にした経緯があったので,家族からは呆れられたが,2匹いると何かと行動の違いもあり,楽しく世話が続けられている。病気になることも少なく,結果オーライだった。

 しかし,考えてみるとその時の残りの5匹のイヌはどうなったのか,10匹のネコはどうなったのかはわからない。それぞれ引き取られたことを祈っているが,実は今回のような末路をたどっていたのかもしれない。

 2匹が老犬の域に入り,近所で飼っていた数匹のイヌたちもすでに他界して,いまや我が家の2匹だけが近所で残っている。老犬の世話は実は大変で,飼い主も年老いてくると世話ができないこともある。そんな老犬を介護してくれる施設も世の中にはあるが,経営は非常に苦しいのだという。

 5匹の保護犬を引き取ったとして,7匹をきちんと飼うには,もう少し設備も整える必要がある。都内近郊の住宅街で多くのイヌを飼うこと自体も問題がある。少し田舎で,こうした老犬を預かる施設をできれば運営したいとも考えたこともある。

 これもSDGsの1つのテーマだと思うが,ヒトすらまともに住めなくなりつつある地球で,ヒトのわがままの犠牲になるペットたちがこれ以上増えないような,規制法ももっと必要などかもしれない。