jeyseni's diary

「ジェイセニ」と呼んでください。批判ではなく提案をするのが生き甲斐です。

瀬戸内寂聴さんの死と女性の性への考え方--結婚は子供を産んで育てる場。世の中に無事送り出したら自分の人生を取り戻すために準備と勉強を

2021/11/9に99歳で亡くなった瀬戸内寂聴さん。正直,筆者はほとんど存じ上げないし,作品も読んだことはない。出家後の教えを聞いたこともない。女性にとって,先達としてさまざまな体験をされ,それについての一貫した思想をお持ちだったと拝察する。

 追悼のニュースの1シーンで,法話の中で「女性として生まれたことを悲しまないでください。つらいことがあっても必ず終わります。我慢していたら、またいいことがあります」というようなことを語るのを聞いた(正確でなくて申し訳ない)。

 おそらく,さまざまな体験の中,そして多くの悩みを聞かれた中で,多くの心に沁みる言葉を残されて来られたのだろうが,最後は「女性=我慢」という結論だったのかな,と思ってしまった。

 人を好きになること,夫婦を継続することなど,男女の関係に平等はなく,自分の思いどおりに生きて苦労するか,一緒にいることを我慢するか,というのが悟りの境地だったのかもしれない。

 何度も言うが,男性が女性と一緒にいたいと思うのは,1に性欲が満たされること,2が身の回りの世話をしてくれること,3が自分の我がままを聞いてもらって安心が得られること,などである。デメリットは,若干の扶養のための費用がかかることだけである。逆に,女性が男性と一緒にいることのメリットは,働かなくてもおカネやモノがもらえること,いちおう力で守ってもらえることなどだが,デメリットは,男性の性欲の処理に付き合わなければならないこと,妊娠や感染病などのリスクがあること,そして視覚的,触覚的に秘部を提供しなければならないことなど,セックスに伴うさまざまなできごとである。

 我慢すればいいことがある,と解くのは,やはり残酷である。さまざまな圧に耐えることは,生き物にはすべてあることだし,これに耐えて伸びる力を生き物は持っているが,耐えきれずに死に絶える生き物もいる。雌雄の性によって子孫を反映させる進化をした生き物にとって,子孫を抱えたメスをオスが力で守る,という関係が自然と生まれたと思われる。生き物にとっての「我慢」とは,生死をかけて自然に対して耐え,敵に対して耐えることである。これを守り抜く強いオスの血統が受け継がれることで,繁栄するという構図である。

 その点,ヒトはいい加減なオスの存在によってメスが翻弄される構図になっている。まず「天敵」がいないから,戦わないオスが大半となり,したがってメスや子孫を守るという意識がオスには徹底的に弱い。セックスは自己満足のための遊びが大半である。

 また,自然と闘うのはオスそのものではなく,家であり地位でありカネである。家が寒さや暑さを防ぎ,地位とカネによって貧困や飢餓から逃れる。オスの腕力はほぼ関係なく,知能や知恵が強さの証明になる。もちろん,悪知恵というのも強さである。

 残念なことに,腕力の相手が自然や敵ではなく,仲間である他のヒトに向けられたのが,人間の不幸である。他民族を支配し,他国を占領するという大きなところから,暴力やあらゆるハラスメントで個人的な攻撃をする辺りまで,ヒトはエネルギーの使い方を間違えているように見える。そしてその最大の被害者が女性ということになる。

 とすれば,女性が闘うのに「腕力」は要らない。知能と知恵で強さを証明することである。我慢し続けることではなく,自分の側が上に立つ面を見つけることである。

 多くの男性は,大声を出して手を挙げれば相手は従うと思っている。ここは,寂聴さんの言われるように「別れる」という選択肢を行使すべきだろう。泣き寝入りすれば,相手はますます増長する。その前に吹っ切る必要がある。そのためには,勉強してきた知識を活かし,挑戦し続けることだと思う。Doctor-Xではないが,自分の腕で相手に文句を言わせないだけの能力を身に付けることである。

 寂聴さんも,最後は家族を捨てて文筆と講話という「言葉の力」に賭けられたのだと思う。そこには能力もあったのだろう。筆者がいくら駄文を書いても人に訴えることができないのは,言葉の力が足りないからだろう。

 女性にとっての最大の力は,子供を産んで次の世代につなぐことである。しかし,それだけで終わってはもったいない。またその目的のためだけに,おカネと時間を使うことはもったいない。自分磨きは何も,外見だけではない。内面を磨くためには,興味と勉強と仕事である。子供を無事,世の中に送り出したら,もう一度自分を輝かせるために,道を考えることと,その準備を進めておくことが重要だと思う。

 男性は,結婚すれば生涯,パートナーは付いてくるものと勘違いしている。それこそ,マザコンが抜けきれていない。またそれが当たり前というステレオタイプである。中年離婚,熟年離婚を言い出されたときに慌てるのは男性である。ご飯を作ってくれたり,性欲解消の対象となることを当たり前と思っているのである。

 一生寄り添うのも一つの人生である。しかし,それぞれが第2の人生に旅立つのも,いまや問題はない。それを助けてくれるのがIT技術である。「パソコンの操作はお父さん」ではなく,「そんなのパソコン使わなくてもスマホでできるよ」と言ってのけることができるのが,今の世の中である。

 濡れ落ち葉の男性を振り払い,輝き続ける女性であってほしい。もうセックスの相手はしなくていいのだから。逆に,若い女性は,年寄り(中年を含む)男性の犠牲にならないよう,理論武装をすべきだろう。おカネに釣られて行動することだけは,何としてもやめてほしいと願うのである。